【形骸──代償と代替の塑性】

EP08-01





 もう本当に、何から語れば良いのか。

 隣の簡易ベッドでは、顔色の優れないクレアがどこか遠くを見つめていた。

 ありとあらゆる意味で、今の私たちは疲労困憊を極めている。

 茫洋とした意識の中で物思いに耽る私を、緊張感に欠けた彼の声が引き戻した。


「ちょ、サヨ。待って、行かないで。焼けるように背中が痛いんだってば。君の手で軟膏を塗って欲しいんだってば」

「テラ、あなたの行動に感謝はしていますが、それを逆手に取るような言動には幻滅するばかりです。単刀直入に言って、死ねば良いと思っています」


 サヨさんは辛辣な言葉と共に、彼の手をはね退けた。身を挺してホムラを庇った、テラという名の青年の手だ。


 テラではなく、テラ。つまりテラテクスの仮想人格ニア・フィジカルは、実在する彼をベースにして構築されたらしい。またそれだけではなく、テラとテラテクスはその外見もニアリーイコールで結ぶことができる。青みがかった白髪はくはつと切れ長のまなじり。中性的な印象が拭えない彼は、縋るような表情で私の方を見やった。


「ねぇエリカ。背中に軟膏を塗って欲しいんだけど」

「絶対にお断りします。とにかく服を着てください」


 ここぞとばかりに上半身裸の彼に向かって、私は手元のシーツを投げつける。当然といえば当然なのだけれど、軽薄な中身までテラとテラテクスは瓜二つだった。とはいえ、彼がその身を顧みずにホムラを守らなければ、なのだ。そのをこうして想像するだけで、血の気が引くような思いに襲われる。


「あの……、ごめんなさい。私も感謝しています。あなたの助けがなければ、私たちは間違いなくホムラを失っていました」

「感謝の言葉よりも、行動で示すべきだとは思わないかな? ちょっぴり焦げちまった俺の背中に、軟膏を塗って欲しいんだよね」


 シャツを着るどころかシーツさえ羽織ろうとしないテラを、サヨさんがめつけた。彼は芝居がかった身震いをしてから、いそいそと上着に袖を通し始める。


「大体さ、敵襲なら最初から声を掛けてくれれば良かったんだ。そもそも神奈木博士ディア・ジニアスが行方不明になった時点で、サヨたちは俺を頼るべきだった」


 テラは研究所ラボの一角を間借りして、まともに明かりも点けず研究に勤しんでいるそうだ。限界まで深度デプスを深めたご自慢の固定端末ターミナルで、輻輳する大海原ワールドウェブ上の赤潮プランクトンを監視しているのだとかなんとか。


「ホムラはね、テラテクスを眠りに就かせたことに負い目を感じているの。それに理由ならもうひとつ。恋人パートナーを信じたい乙女心が、あなたには一生かけても分からないでしょうから」


 テラの上着の裾を捲って、サヨさんは彼の背中に薬を塗布していく。冷たい言葉とは裏腹に、その手つきは患者を労るそれだった。サヨさんに医療の心得がなければ、ホムラだって一命を取り留めることはできなかっただろう。


「……もう夜明けですね。エリカさん、それからクレアちゃんも少し眠ってください。ホムラが目を覚ましたら、何が何でも叩き起こしてあげますから」


 少しだけやつれてしまった笑みで、サヨさんが言った。簡素なパーテンションの向こう側では、今も意識を失ったままのホムラが横たわっている。


「大丈夫ですよ。もう命に別条はありません。あなたとクレアちゃんが、たっぷりとその血を分け与えてくれましたからね。だからこそ、あなたたちは眠らなくちゃ」


 ホムラが負傷した後、クレアは半狂乱となって残る敵機を撃墜した。いつものクレアからは想像もつかない鬼気迫る姿は、量産型機械ロボティクスへの怒りと自責の念に打ち震えているように見えた。


 そしてサヨさんは、ホムラのおびただしい出血が間もなく致死量に至ると判断したのだ。彼女は迷うことなく、裂傷の著しい左上腕部に局所止血用の投錨ボルトを撃ち込んだ。失神中のホムラの身体が、着弾の衝撃で跳ね上がる。血管の中で根を張り凝固するそれは、即席の止血手段として究極アルティメイトでありながら最終手段でもあった。


 研究所ラボの医務室に場を移してから、即座に大量輸血が行われた。血液検査等の工程の一切を飛ばして、私とクレアが血液を提供したのだ。きっとあのような状況でもなければ、複製体コピーであることの有り難みを感じる機会なんて一生なかっただろう。もちろん、二度と同じ経験はご免だけれど。


「君たちが眠れないとなると、ここは俺の出番かな? 子守唄には自信があるし、お望みなら添い寝でも何でも仰せのままに応えるよ」


 テラの軽薄な申し出が、部屋中の空気を白けさせる。けれど、彼が彼なりに私たちを励まそうとしてくれているのは明らかだった。その不器用な気遣いが分かっているからこそ、サヨさんだってテラを邪険に扱いきれないに違いない。


 言葉少なになっていたクレアが、消え入りそうな声で言う。


「なぁサヨ。もしもホムラの腕が元に戻らなかったら、俺の左腕を充てることは可能か?」

「もちろん可能ですけれど……。ホムラがその提案を受け入れるような子だったら、私もクレアちゃんも同じ志を共にしていないでしょう?」


 まるで幼子に接するみたいに、サヨさんはクレアの頭を撫でた。いつもなら軽口ばかりが先行するクレアが、枯れ落ちる前の花のように俯いて泣き声を圧し殺している。


「損壊した骨と神経を繋ぎ合わせるために、傷口に神経誘導管ワンドを注入しました。うまく再生してくれれば、半年後には簡単な運動くらいなら可能になるでしょう」


 自らの胸にクレアの頭を抱えながら、サヨさんは見解を述べた。その場しのぎの安い希望なぐさめなどではなく、客観的な視点から見た嘘偽りない現実だ。今はホムラの快復を願うほかに、私たちにできることは残されていないのだろうか。


 いや、ある。

 できることなら、ひとつだけ残されている。


「ねぇやめて。彼らに報復するとか、そういうことを考えるのだけはね」


 パーテンションの奥から、ホムラのかすれ声が訴えた。何かに弾かれたように、クレアが乱暴な動作でパーテンションを取り払う。脚部のキャスターは惰性のままに転がり、やがて派手な音を立てて部屋の壁に激突した。


「もう、クレアは騒々しいね。傷口に響くからさ、そういうのはしばらくナシでお願いしたいかも」


 滲み出た鮮血が染めるシーツの上。軟性ギプスを取り付けられたホムラの弱々しい姿に、私たちの誰しもが言葉を失ってしまった。意識を取り戻したホムラに安堵したクレアが、緊張の糸が切れたみたいにがくりとくずおれる。私の視界も、沢山の感情の濁流のせいでみるみる滲んでしまった。


「……ただいま。ご心配をお掛けしました。この私、雪白ホムラは、このたびの失態を心から反省しています」


 左腕の機能を失った彼女は、まるでそれが何でもないことであるかのように笑った。




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