EP07-03





 グラスホッパー。跳躍力と推進力を爆発的に高める脚部の器具ブーツを、ホムラたちはそう呼んでいた。CUBEの上甲板から見たあの時の彼女たちと同じように、ホムラとクレアは人間離れした加速を伴って夜の闇の中へと駆けていく。もっともその闇は今、断続的に放たれる火球によって不気味に照らされているけれど。


 疾駆する二つの赤髪を追って、飛翔物の大半が軌道を変化させた。クレアがハエと卑下するそれらは、奇しくも飛蝗グラスホッパーを標的として捕捉したのだ。


 私とサヨさんは、近くの茂みに伏せて状況を見守っていた。サヨさんはスコープを覗きながら、二脚バイポッドを生やした機関銃マシンガンを構えている。


「そうだ、追ってこい! 世代退行ダウングレードまみれのガラクタ共がっ」


 敵機の襲来を迎え入れるように、クレアが腹の底から叫んだ。音質が心許ない簡易的なインカム越しに、私たちは音声を共有している。


 中空で孤を描く飛翔物を、まずは研究所ラボから引き離すことが最初のフェーズだった。節足動物インセクトを思わせる彼らの重量は未知数なのだ。難なく撃墜したとしても、施設の上に落下されたのでは身も蓋もない。


 もう十二分に引きつけたと判断したのか、飛び上がったクレアが腰溜めに構えた。彼女の身の丈近くもある銃身が、炎に照らされて赤銅色に輝く。対装甲銃ラハティは腰に堪えるなどと嘯いていた彼女は、嬉々とした表情で今トリガーを引いた。


 刹那、大気を震わす砲撃音と共に、飛翔物の一つが火を吹いて墜落した。発射の反動をいなすために、クレアは後方に宙返りを決めて地表に着地する。破壊力のみに特化した対装甲銃ラハティは、連射には極めて不向きだった。その隙を突いて、他の機体が次々にクレアを狙う。


「前回の借りは返せそうだね」


 ホムラが放った手投げ式の電撃網スタンが、三機の飛翔体をまとめて補足した。感電して絡まり合う彼らへと向けて、クレアの対装甲銃ラハティがもう一度放たれる。私は思わず息を呑んだ。鮮やかな手際と阿吽の呼吸で、二人は四機を瞬く間に沈めてみせたのだ。


 しかしクレアとは対象的に、ホムラの表情は鬱々としている。ある意味で私の同郷である機体を撃ち落とすことに、少なからず良心の呵責があるのだろう。そう、治験容器シャーレトランクの中で変わり果てたT-6011の前でも、ホムラは今と同じ顔をしていた。


「これは正当防衛だ。世界中が俺たちの行為を肯定する」

「そのに懐疑的だからこそ、私とあなたは戦っているんだけどね」


 あいも変わらず軽口を叩き合う二人を、十以上の機体がぐるりと取り囲んだ。それぞれが大地にアンカーを打ち付け、肩口の砲台が一斉に開かれる。360度全方位から、絶体絶命の一斉射撃をするつもりだ。


 息つく間もなく、発射フルファイア──。


 凄まじい光と、熱を孕んだ爆風が周囲一体を走り抜けた。私は呼吸器を焼かれないように、地面と口づけするほどに態勢を低く落としてやり過ごす。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。

 フードを口許に当てて三秒を数えながら、同時に絶望を受け入れる覚悟を決めた。

 上体を起こして状況を確認した私は、驚きに目を瞠る。


「……え、嘘でしょ?」


 想像を超えた事態に、間の抜けた声が喉元から漏れた。先ほどの機体たちがまるで円舞曲ワルツでも踊るかのように、全部一緒くたになって燃え盛っていたのだ。ばちばちと不規則的な音を立てながら、轟々と立ち昇る黒煙と火柱。


 その上空に、ホムラとクレアは飛び上がっていた。グラスホッパーの恩恵をすべて跳躍力へと変えて、二人は遥か空高くから騎兵たちの相討ちを見下ろしていたのだ。


「間一髪以外のなにものでもないけど、クレアはどこまでが計算だった?」

「俺が何かを言えば、お前は必ず噛み付いてくる。せいぜいその辺りまでだ」


 さすがに肝を冷やしたらしい彼女たちを、残りの機体が追尾する。格好の的となった二人を見て、サヨさんが凍てつくような声音で言った。


「あなたたちは、もう少しスマートに戦えないのかしら」


 剣閃にも似た機関銃マシンガンの弾幕が、闇を切り開くように斜線を描いた。サヨさんの制圧射撃が、敵機の進路を妨害したのだ。さらに彼女は手元を器用に操り、そのついでとばかりに数機を撃墜する。


 二脚バイポッドをすばやく折りたたむと、サヨさんは片腕の動きで私に「待機」の指示を出した。そして逡巡する素振りも見せず茂みから飛び出る。こちらの存在を捕捉された以上、この場に留まっては私に危険が及ぶと判断したようだ。


「あと15機。やれますね?」

「うん……。危険に晒してごめん」


 インカムから流れる雑音塗れの音声通話を、どこか遠い世界の出来事のように聞いている。自らの無力さを恥じながら、私はせめて彼女たちの勇姿を一つ残らずこの目に焼きつけようと決意した。飛翔物アンノウンと交戦することへの葛藤も、いつの間にやら感じなくなっている。


 光が飛び交う。

 音を認識するよりも早く、あるいははやく火花が飛散しては消えていった。

 鼓膜を突き破らんばかりの射撃音が、小気味よいリズムとなって心臓を叩く。

 決して不愉快ではない硝煙の匂いと、篝火を連想させるあたたかな熱風。

 無数の流星が瞬くように、偽りの生命を散らしていく量産型機械ロボティクスたちの姿。


 それらは、まるで拡張空間オーグメントの中での出来事だった。眼前の光景は、ほんのひとかけらの現実感リアリティさえも伴わない。私は消極的観測者サイレントルッカーとなって、アンが導き出した並行世界を見ているかのようで──。


 視覚野の恍惚を破り捨てたのは、被弾したホムラの姿だった。左腕を染める生々しい赤色と、焦げて爛れた傷口が急速に現実感リアリティを呼び戻す。


「……はは、しくじっちゃった」


 手負いのホムラへと向けて、敵機の追撃が迫っていた。クレアもサヨさんも、各々の相手を切り上げて彼女の援護へと向かう。けれど、絶望的に間に合わない。グラスホッパーの推進力をもってしても、今のホムラは孤立無援と呼べる位置にいた。


 ホムラの名を叫ぶ私の声を、巻き上がる爆炎が掻き消した。彼女を亡くす悲しみよりも、やり場のない喪失感が勝っている。


 そしてどうしようもない現実が、今度こそ私に幻を見せたのだ。


 炎の陰から現れたのは、テラテクスと同じ見目形をした白髪の青年だった。彼に抱かれるようにして守られていたホムラは、大量の失血のせいか蒼白い顔をして気を失っていた。




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