20.研究所(4)

 警報ランプの光で室内が赤く染まっている中、部屋の入口の2人の男が加賀瑞樹に冷たい目を向けた。


 金髪の男―――金城龍かねしろ りゅうは、驚いた表情を一瞬で隠し、「瑞樹」と呟いた言葉も飲み込んだ。


「なぜ叔父さんが?」


 加賀瑞樹が疑問を叫ぶ。


 なぜ、ここにいるのか。

 なぜ、極東軍の軍服を着ているのか。

 わからないことだらけだった。


「ここは、お前に任せた」


 金城龍が山田の肩を叩くと、部屋には入らずに姿を消した。


「はいはい、それじゃー、仕事しますかねー」


 山田は肩を回すと、部屋の中に足を進めた。


「ところで、キミは総帥のこと知ってるの?」


 その山田の質問に答えようとした加賀瑞樹の声をさえぎって、忌野が叫んだ。


「キサマら極東軍なぞに渡さんぞ! これは犯罪の道具ではない。人類が自らの進化を促す道具、言うなれば、人類が神に近づくための神器なのじゃ」


 忌野の身体全体から白い光が発せられる。

 おそらくアビリティを発動させている状態なのだろう。


「所長は、もう歳なんですから、無理しないで下がってください」


 中沢美亜が忌野より一歩前に出た。


 山田が長い髪を掻き上げながら、「可哀そうだけど、普通の人間にはオレを倒せないよー」とあざける。

「オレ、天才ですから」


 背中に担いでいた鞘から剣を抜き、両手で構えると、急に真面目な表情に変わった。


 視界の中央にいたはずの山田の姿が瞬間的に消えた。

 同時に、山田がいた場所を中心にして、空気の振動が波紋のように広がり、風が加賀瑞樹の髪を巻き上げる。


 その直後、空気を切り裂く音が聞こえた。


 その方向を見ると、すでに山田と中沢美亜が激しく戦っていた。

 正確には、山田の剣を中沢美亜が紙一重でかわし続けていた。


 避けるたびに長いスカートが破れ、いつのまにか丈が短くなっていく。


 刃に触れた髪が切れ、毛先が宙に舞う。


「へぇー。これが噂のACCねー。キミのは、ただ避けるだけの能力かい?」


 山田が笑みをこぼす。


「もちろん違うな。私の『先見のアビリティ』は、3分後の未来まで予知や予測ができる」

 中沢美亜が攻撃を必死に避けながら反論した。


 そして、山田が大きく振りかぶろうとしたタイミングで、右足を蹴り上げた。


 それを山田が身体を反らして回避し、そのまま、後方に跳んで、間合いを取る。


「ほほー。意外とやるねー」


 白い軍服には、ナイフでスパッと裂かれたような切れ目が縦に入っていた。その隙間から引き締まった胸筋が顔を出す。


「そして、こんなこともできる」


 中沢美亜は両方の手のひらを胸の位置で重ね、唱えた。


「ル・プレシャンスサーブル」


 手のひらの間から紫色の光が拡散する。

 両手を開くと紫色の細い剣が現れ、すかさず、生み出した剣を右手に構えた。


 それを見て、山田がひゅうと口笛で驚きを表現した。


「容赦はしない」


 中沢美亜は間合いを詰めると、フェンシングの要領で何度も突いた。


 しかし、ことごとく山田が刀身で受け止め、弾き返した。


「くっ」


 未来は予測できている。間違いなく、山田の動きを先読みして攻撃していた。


 だが、自分の剣のスピードよりも相手の動きの方が早ければ、防御されてしまうということだ。


 中沢美亜が唇をかんだ。


「オレは『予知』はできないけど、3分後の未来を『予言』してあげようかー」

 山田が白い歯を見せる。


「キミたち全員、3分以内に死ぬよ」


「何をばかな。ACCの私たちを普通の人間が殺せるはずがない」

 中沢美亜が首を振って否定した。


「嘘だと思うなら、自分の能力で未来を見てみればー?」


 途端に、中沢美亜の顔から血の気が引く。真っ青な表情で、忌野を見た。


「所長、私たち殺されます……」


「そんなはずはない。ワタシの『観測のアビリティ』なら、相手の物理攻撃を無効化できる」

 忌野が言い放つと、白衣のポケットから取り出した外科手術で使われるようなメスを右手で握った。


 そして、雄叫びを上げながら、山田に向かって走り出した。


 間合いに入った忌野に向かって、山田が剣を振る。


 忌野は左腕を剣先の軌道をさえぎるように突き出し、音もなく、腕の側面で刃を受け止めた。


「ワタシは、外界からの任意の影響を無視できるのだよ。古い人間よ、進化した人類の力を思い知れ」

 忌野は、そう叫ぶと、右手に握っていたメスを山田の腹部に突き刺した。


 メスの刃が、グサっと音を立てる。


 勝利を確信した忌野が笑う。


 はたから見ていた加賀瑞樹は、ほっと胸を撫で下ろした。


 やはり、人智を超えた能力を持つ『ACC』に、普通の人間が勝てるはずがないのだ。


 忌野の勝利により、極東軍に殺されずに済んだ。

 もう大丈夫だ。命の危険はない。


 突然、忌野の顔から笑みが消える。


「メスが動かん……」


 山田の腹部に刺さっているメスを必死に抜こうとしているようだが、メスはビクともしない。


「まさか、筋肉で刃を止めているのか?」


「可哀そうだけど、これが現実なんだよねー」と山田が憐みの目を老人に向けた。


 そして、今度は剣を左手一本で持つと、片手で振り下ろした。


「じゃが、キサマのような旧人類にワタシを殺すことはできん」


 忌野が右腕で剣をブロックする。


 刃が白衣に、ピトっと張り付く。


「全て、無効化する」


 その瞬間、乾いた音が響いた。


 昔、友達の誕生日会で鳴らしたクラッカーにも似た音だった。


 忌野が2、3歩あとずさり、右手で左胸のあたりを抑えた。

 その手のひらを中心にして、見る見るうちに白衣が真っ赤に染まっていく。


 山田の右手には、小型の銃が握られていた。


 火薬の臭いが鼻をつく。


 どうやら、左手の斬撃で注意を引き、その隙に、隠し持っていた銃で発砲したようだ。


「オレが思った通り、『任意の影響』は無視できても『想定外の影響』は無視できなかったみたいだねー」


 山田は、しげしげと自分の銃を眺めた。


「そんなバカな……」


 忌野がフラフラとよろけ、その場に崩れた。


「ACCのワタシが。進化した人類であるワタシが、旧人類に負けるじゃと……」


 山田は、懐の中のショルダーホルスターに銃を収め、腹部に刺さったメスを抜き取って投げ捨てると、茶色の長髪を掻き上げた。


「可哀そうだけど、オレ、天才ですから」と悲しそうな表情で嘆いた。


 中沢美亜が「所長!」と叫びながら忌野に駆け寄り、上体を抱きかかえる。


「どうやらワタシは、ここまでのようだ……」

 忌野が傷口を右手で抑えながら、消え入りそうな声で言った。

「美亜君、キミは……」


 そのあとの言葉は聞き取れなかった。


 そして、ゆっくりと忌野は瞳を閉じた。


 中沢美亜が脈を確認し、悲痛な顔で唇を噛んだ。


「死んだ……」

 うっすらと顔を上げ、鬼のような形相で山田を睨みつける。


「心配しなくても、すぐに会わせてあげるよ。天国でねー」


 山田は右手だけで握った剣を前方に突き出し、構えた。


「天国に逝きな」


 真面目な低い声と同時に、突進し、刃を撃ち込んだ。


 あまりの速さに刃が伸びたように錯覚する。


 それを中沢美亜が柔らかい身体をひねって、ギリギリのところでかわし、そのまま回し蹴りの体勢に入る。


 だが次の瞬間、山田の左腕が空を裂き、中沢美亜の右脇腹に左こぶしが直撃した。

 彼女の軽い身体が部屋の隅まで吹き飛び、壁に叩きつけられる。


 そして、そのまま床の上に崩れ落ちた。


「予想できていても、速過ぎて避けきれないことってあるよね」


 山田が静かに息を吐き、呼吸を整える。


「さて、と」


 今度は、加賀瑞樹に氷のような冷たい視線を向けた。


「次は、キミを殺す」

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