バイト探しは直接アタック
夕飯の準備が始まる前ということもあって食料品コーナーはお客さんがたくさん入っている。人混みを抜けてエレベーター近くの求人募集コーナーを見つけた。
「たくさんあるねー」
「やっぱりレジが多いわね」
「店の人にバレんかったとしても、お客さんにバレたら一緒じゃけんのう」
そっかヤクザの子どもがいる、ってクレームが入ったらダメなのね。どのくらい蛇ノ塚さんの顔が知られてるのかわからないけど、本当に顔を見せないようにした方がいいのね。警備員とかなら人に会わないで済むかもしれないけど、高校生は深夜にバイトなんてできないしね。
「あ、これどう? お惣菜の調理スタッフだって。七緒はお料理できるんだもんね」
「ちょっとしたおかずくらいならわけもないのう」
「さっそく聞きにいこうよ。あんまり時間もないんだから」
千尋の考えは大当たりで、採用担当の店長さんは蛇ノ塚さんの名前を聞いても特に驚いているような様子はなかった。ちょっと珍しいくらいに思っただけみたい。
四人同時っていうのは、って戸惑われたけど、元々仕事があるわたしと部活の助っ人がある黒羽根さんは外れることになった。千尋も忙しいはずなんだけど大丈夫かしら。やっぱり心配ね。
「それじゃ急で悪いんだけど、明日からお願いね」
「はい。よろしくお願いします」
「よろしゅうお願いします」
かなり人手が足りないみたいで、面接も適当にすぐに採用が決まってしまった。制服だったから烏丸高校の生徒だってわかったのもあるけど、履歴書もなしなんて。バイトなんてそんなものなのかもしれないわね。
千尋なんて目に痛いくらいの金髪だったのに。そのくらいが個性的でいい、なんて言われるくらいだから、本当に猫の手も借りたいみたいね。
「じゃあちょっとの間トレーニングはお休みだね。部活の助っ人の話は私が伝えておくから」
「勉強の方はわたしが榊原さんに言っておくわ」
「頑張って七緒の手伝いするからね」
「親父のためにしっかり働くけんの」
それじゃ今日はこれで目的達成ね。千尋がここまでバイトに来るのはちょっと不安だけど、蛇ノ塚さんが一緒ならきっと大丈夫よね。
二人とは途中で別れて、千尋と二人の帰り道。ほんの一か月くらい前はわたしに朝から助けを求めていたのに。変われば変わるものよね。
「でも千尋がバイトなんてね。なんだか最近千尋のお母さんになった気分だわ」
「なんで?」
「だって見てるとハラハラして落ち着かないもの」
「お母さんはよく海洋実地研究とか言ってすぐ家を空けちゃうから、伊織がお母さん代わりで嬉しいよ」
そんなことで喜ばれてもあんまり嬉しくないんだけど。ま、お父さんじゃないだけマシかしらね。
「蛇ノ塚さんは大丈夫そうだけど、千尋は料理できたっけ?」
「僕はレジにしてもらったよ。その方がまだできそうだから」
「なるほどね。蛇ノ塚さんじゃなければ別にいいんだもんね」
なんだかわたしもちょっとやってみたくなるかも。モデルの仕事で友達はいるけど、学校で毎日一緒になるわけじゃない。そういう気の知れた友達と一緒に働くってどんな気分なのかしらね。
「でも千尋って接客なんてできるの? いつも知らない人と話すの苦手でしょ?」
「僕だってカッコいい男の子を目指してるんだから。部活の助っ人だってやってるんだよ」
「それって関係あるの?」
確かにいろんな部活に顔を出してるみたいだけど、それって黒羽根さんに仲介してもらってるじゃない。
「それに伊織みたいにテレビに出るわけじゃないから。ちょっとくらいなら平気だよ。このくらい男気と筋肉の力があれば乗り切れるんだから」
「見事なまでに悪影響を受けてるわね」
結構トレーニングは頑張ってるけど、女の子の体だからか千尋の体に大きな違いは見られない。急にムキムキになられても困るけど。
周りの影響を受けて、千尋はどんどん前に進んでいる。わたしはどうだろう? 全然変われていないのかな。わたしが守り続けてきたと思っていた千尋は、もしかすると私が縛りつけていただけなのかもしれない。
「お給料もらえたら伊織に何かプレゼントしようか?」
「なんでよ。誕生日はまだ先よ」
「いつもお世話になってるから」
「そういうことなら期待せずに待っておくわ」
それなら自分の欲しいものを買ってくれればいいのに。実際に自分の手元にまとまったお金が入ると今までは全然気にしていなかったものまで欲しくなっちゃう。わたしも初めてお給料をもらったときはそうだったな。
「へへ、楽しみにしててね」
はにかむように笑った千尋と別れて家に帰る。明日からは一緒に帰るのも難しい。そう思うとなんだか千尋がわたしの手から離れていくみたいで、急に寂しくなるような気がした。
次の日は放課後に理科室へ向かった。榊原さんに千尋のことを言っておかなきゃいけない。
「そういうわけだから、ちょっとの間お勉強はお休みってことでお願いね」
「そうですか。少し寂しいですが、千尋さんも頑張っているんですね」
「研究に集中できるからいいんじゃないの?」
「最近千尋さんのお膝が恋しくてあまり集中できないんですよね」
そんなの期待してないでよ。そう言いながら榊原さんはわたしの体にすり寄って、スカートから覗く足を撫でた。
「ちょっと!」
「伊織さんが代わりをしてくれてもいいですよ」
「千尋に手を出さないって約束してくれるなら考えるわ」
わたしの答えには何も言わないまま、榊原さんはわたしの膝の上に座った。交渉は不成立っぽいわね。千尋は女の子なんだからわたしで我慢してもらった方がいいわ。それにしてもこうしてるとなんだかくすぐったいのよね。
兄弟もいなかったし、両親の膝に座った記憶なんてない。だからこういうスキンシップに慣れてないのかも。
「伊織さんは今ちょっと寂しいですか?」
「え、別にそんなことないわよ」
「ボクでは千尋さんの代わりにはなれませんから残念です」
「別にそんなこと期待してないわよ」
わたしの膝に収まった小さな体を預けてくる。妹がいたらこんな感じなのかしら。榊原さんの方が頭がいいから威厳なんてなくなっちゃいそうね。
満足そうに体を揺らして、わたしに擦りつけてくる。これをやるといい考えが浮かぶって榊原さんは言うけど、本当なのかしら。わたしもやってみようかな。
「ひゃっ! なんですか?」
「自分がやられるのは苦手なのね。いいこと知ったわ」
ぬいぐるみみたいな小さな体を抱きしめると、榊原さんがピクリと跳ねた。抵抗するのは諦めたみたいでちょっと身じろぎした後はおとなしくわたしの膝に収まっている。
借りてきた猫みたいに固まってる姿を見るのは初めて。ちょっと楽しくなってきたわ。
「こうしてると天才もかわいいものね。ん?」
ポケットに入れていたスマホが震えている。仕事の話かしらね。この間のテレビの放送日が近くなったからその連絡かもね。
『緊急事態! 後で家に行くから!』
「緊急なら普通呼びだしたりするものなんじゃないの?」
千尋の緊急が緊急じゃないのはいつものことだけど。
「何かあったんですか?」
「たぶんバイト先で何かあったんでしょ。大したことじゃないわ」
蛇ノ塚さん、何かやっちゃったかしら。何かトラブルがあると自分から首を突っ込んでいきそうだもんね。黒羽根さんにもちょっと声をかけておこうかしらね。
「ボクも手伝えることがありましたら言ってくださいね」
「そうね。頭を使うことだったらお願いするわ」
頼りになる人がいるっていいわね。問題は自分の力でしか解決できないと思っていたから。手伝ってくれるって言ってもらえるだけでこんなに安心できる。
「さて、じゃあ千尋が来る前に帰らないとね」
「待ってください。もう少しだけ」
「もう。手のかかるのは千尋で十分なのに」
榊原さんが満足するまで理科室で宿題を進めてから、わたしは少し急ぐ足で家へと帰った。
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