第93話 夢の後


 ケントが目覚めたとき、まず目に入ってきたのは自分の手をぎゅっと力強く握りしめるワタルの姿だった。


「いてぇ……」


 意識の奥底でずっとワタルの声がしていた気がする。夢だと思っていた。そして一体ここはどこだ?


「っ……! ケントさんっ!」


 おいおい、何泣いてるんだよ。イケメンが台無しだぞ。――などと考えながら目だけを動かして周囲を見渡すと、どうやらここは病院のようだ。しかも……


「日本か……ここは?」


 ここは日本だ、間違いない。ワタルが着ているのは高校の制服だ。それに病院によくあるカード式のテレビ……。

 そして声を出して気付く。あまり大きな声が出せないことに。声が掠れて上手く喋れない。腹に力が入らないのだ。


(俺は一体なぜ寝ている? なぜ日本に居る? ディアボロスは? セシルはどうなったんだ? そして俺はなぜこんなに弱っているんだ?)


 頭の中は疑問符だらけだった。現状が理解できない。なぜ目の前にワタルが居るのかも、なぜ日本に戻ってきているのかも。

 一瞬、異世界に居たこと自体が長い夢か何かかと思った。だが目の前に居るのは間違いなく異世界で出会ったワタルだ。もしかして今見ているのも夢なのか?


「ケントさん……よかった。ずっと、目を覚まさないかと、思った……」


 目の前のワタルが嗚咽を漏らしながら話しかけてくる。安堵している様子が見て取れる。

 一体何に? 少しずつ状況を説明してもらうしかない。


「俺はなぜ日本に居る……?」


 ワタルはそう尋ねたケントに、ようやくワタルは涙を拭う。

 そしてずっと前から準備していたかのようにすらすらと答えた。


「あの戦いのあと僕たちは……」


 ワタルが順番に教えてくれた。

 ケントがディアボロスによって致命傷を負わされ、そのあとにセシルが奴を倒したこと。

 エメリヒが助かって断罪されたこと。

 ハイノがクロードで、しかも日本人でセシルの祖父だったこと。

 そしてケントがずっと目覚めずに病院で見てもらうべく日本への扉を開き異世界から送られたこと。

 そのためにワタルが一緒に日本へ帰ってきて、3か月ずっと見守っていてくれたこと。


 ケントは順番にワタルの話を噛みしめていった。3か月間眠っていた脳はなかなかスムーズに理解することを許さず、何度かワタルに同じことを聞き返したりする羽目になった。


 ようやく事情を理解したときにはもう既に暗くなっていた。

 ワタルはスマホで自宅に連絡し、ケントが目を覚ましたから今日は病院に泊まると告げていた。なんだか申し訳ない。


「そうか……。世話になったな、ワタル。ありがとう。それと、本当にすまなかった」


 言葉に尽くせないほどの感謝がある。彼はエリーゼとともに居たかっただろうに、ケントのためにその未来を諦めたのだ。とても申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

 ケントがそう言うとワタルは目を丸くして答える。


「何言ってるんですか。仕方なくやったんじゃありませんよ。僕の意志で決めたことです。だからそんなふうに謝らないでください。エリーゼの前で格好つけたかっただけですから」


 ワタルはそう言って笑った。そんな彼はイケメンに磨きがかかっていた。

 だがそれはお世辞でも何でもなく、出会った頃の彼に比べると一段と大人に見えたのだ。ずっと年上であるケントが何となく負けた気がするくらいに。


「俺のやったことは無駄だったのかなぁ。なんか皆に世話かけただけでさ」


 思わず愚痴をこぼすとワタルが真剣な顔で答える。


「ケントさんのお陰でディアボロスがエメリヒを分離させたんです。あのまま同化してたら多分セシルちゃんは本気を出せなかった。貴方が奴に本気を出させたから倒せたんですよ」

「そうか……。そう言ってもらえると救われる」


 それにしてももうあっちへ戻れないのか。最後にセシルの顔をちゃんと見たかった。

 それにケントが居なくなって悲しんでるんじゃないだろうかと考えると切なくなる。


(セシル……元気かな。クロードさんと一緒にもう婆ちゃんのとこに戻ったかな。ずっと一緒に居てやるって約束したのに、ごめんな)


 彼女のことを考えると胸が苦しくなる。別れを言うこともできず、気がついたら日本に居た。やるせなくてつらい。


 苦笑するケントにさらにワタルが話を続ける。


「それよりもケントさん、体、動かせそうですか?」


 そう尋ねられて、横になったまま右手を強く握りしめてみようとするが、どうにも力が入らない。


「いや、まだ駄目みたいだ。力が入らない」


 ワタルはケントの言葉を聞いて神妙な顔で答える。


「そうでしょうね。なんせ3か月も体を動かしてませんから。取りあえず医師せんせいを呼んできますから待っててください」

「ああ、ありがとう」


 本当にワタルには感謝しかない。こうやってずっとケントの面倒を見てくれたのだ。異世界で知り合って間もない自分のために。



  §



 それからケントは医師の指導のもと3日間のリハビリを経てようやく体をまともに動かせるようになった。

 あまりにも短期間で回復したので病院関係者には酷く驚かれた。そしてそれは多分加護のせいだろうとワタルは言っていた。


 今日も病室にはワタルが来てくれている。そして俺の傍らでリンゴを剥いてくれている。

 お前は俺の嫁か。そうなのか。


「いつもすまないねぇ」

「どこの爺さんですか」


 そんな会話を交わしながら、これからどうするかなぁと考える。取りあえずアパートの鍵は異世界に置いてきたが家主に言えば開けてくれるだろう。

 部屋に戻りさえすれば免許証も保険証もある。

 キャッシュカードは財布に入っていたから、異世界に転移したときにどこかへ紛失した。だが通帳と印鑑は部屋にある。銀行に直接行けば金も下ろせるだろう。

 病院に事情を話して一度戻ってから精算して退院の手続きを済ませよう。


「そういえばケントさん、ご家族は呼ばなくていいんですか?」

「ん、ああ、俺は両親も祖父母も居ないんだ。俺が就職してすぐに1人だけ残ってた母親が死んじまってな。今は全く付き合いのない遠い親戚しかいない。だから連絡するような相手はいないんだ」

「そうだったんですか……」


 ケントの話を聞いてワタルが気まずそうに目を臥せる。この話をすると皆聞いちゃまずかったみたいな顔をするから、あまり話したくないのだ。


「そんな顔するなって。俺にとっては今さらな話だ。気を遣わせてすまんね」

「いえ、退院したらどうするんですか?」

「んー、仕事のこと?」

「はい」


 ケントはごく普通のサラリーマンだった。1年近く何の連絡もなしに休んでいたのだ。とっくに解雇されているだろうが、一応連絡くらいはしておくべきか。

 正式に退職願を出したらどこか別の就職先を探すか。


「転移前に勤めていた会社はちゃんと退職願を出して、新しい就職先でも探すさ。まあしばらく生活する分くらいの貯金はある」

「そうですか。なんだかそう考えると強制的に召喚されるのってかなり迷惑な話ですね」

「だろぉ!? やっと分かってくれたか!」


 苦笑するワタルにケントがニヤリと笑う。



  §



 ケントは最初に目覚めて1週間後ようやく退院する運びとなった。

 退院手続きも済ませていよいよアパートへ戻ろうというときに再びワタルが来た。


「退院おめでとうございます!」

「おう、ありがとう。本当にワタルには世話になったな。一度アパートに戻ってから夜にでもお前の家へお礼の挨拶に行こうと思ってたんだ」

「そんなの気にしなくてもいいのに」


 ワタルが笑いながら答える。

 そういや、なんでこんな昼間に来たんだ? 学校はどうしたんだろう?


「ワタル、学校は?」

「今日土曜ですよ。休みです」

「ああ、そうか。なんだか曜日の感覚がなくってな」

「ふふ、そうでしょうね」


 昼前か……よし、ワタルに昼飯でもおごってやるか。


「予定がないなら一緒に昼飯食いに行かないか?」

「あ、いいですね。ぜひ」


 ケントはワタルと一緒に病院を出た。



  §



 市の総合病院は割と街中にあり、病院から出て少し歩くと繁華街のアーケードへと出た。

 ここなら昼飯を食べる店も見つかりそうだ。――そう考えながらしばらく歩いたあと1軒の店の前で立ち止まった。別に美味そうな匂いがした訳でも行列ができてた訳でもない。


 店の名前が気になっただけだ。店の中は暗そうで営業している様子はなかったが暖簾はかかったままだった。

 なんとその暖簾に『くまちゃんラーメン』と書いてあったのだ。


 まさかそんな訳はないだろうと思いつつも、どうしても店のことが気になってしまう。


「ワタル、ちょっとここ入ってみていい?」

「え? でも営業してなさそうですよ?」

「うん、そうなんだけどさ……ちょっと様子見るだけだから」


 扉は引き戸だった。暖簾をひょいっと持ち上げて扉に手をかける。

 ん、鍵が開いてる? まさか鍵が開いているとは思わなかった。


「鍵、開いてるみたいだ」

「ええっ、まさか! でも人の気配が全くないですよ」


 そうなのだ。ケントとワタルは気配を察知できる。

 気配を探ってもこの店には全く人の気配がない。

 だが扉は鍵が開いている。どういうことだ? 不用心だろう。


「こうなったら中に入ってみるしかないな」

「それって不法侵入になりませんかね?」

「咎める奴が居なさそうだから大丈夫じゃね?」

「そっか」


 ワタルとともにその扉をゆっくりと開け中を見る。

 中はラーメン屋の店内といった感じだ。やはりあの・・『くまちゃんラーメン』にどことなく造りが似ている気がする。

 店の中は薄暗く、予想した通り誰も居ないようだ。

 恐る恐る一歩中へ足を踏み出す。そして少し遅れてワタルも足を踏み出した。


「こんにち……わぁッ!!!」

「ちょっっ!!」


 店へ足を踏み出した瞬間、ケントは白い光に包まれてどこまでも深い穴に落ちていく感覚に襲われた。




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