42.

 僕が二本目の500CC缶を飲み干すと同時に、サトミが口に手を当てて「ふぁぁ」と欠伸あくびをした。

 ここらが潮時と思い、サトミに「そろそろ休む?」とくと、彼女は「うん。そうだね」とうなづいた。

 立ち上がって、コンテナボックスの中から洗剤とタワシとスポンジを出す。

「なんか、手伝う事ある?」とサトミ。

「そうだな……じゃあ、クッカーとスプーンを持って来てもらおうか……それから、これで足元を照らして」LEDランタンの電源を入れてサトミに渡した。

 使った食器は少なかったから洗うのは大した手間じゃないし、本当のことを言うと僕一人で充分だった。

 でも、あえてサトミにも手伝ってもらうことにした。

 複数人でのキャンプの場合『共同で何かをしている』っていう感覚も大事だ。それが単独ソロキャンプとはまた違った楽しさを生む。

 炊事場までは百メートル以上あった。酒を飲んでいるから、もちろん自動車は使えない。

 サトミの持つランタンの明かりのを頼りにして、僕らは二人並んで炊事場まで歩いた。

 平衡感覚を失って千鳥足になる……って程じゃなかったけど、歩いていて少し酔っている自覚があった。

「大丈夫?」サトミがいてきた。「足元をもっと良く照らそうか?」

 言いながら、彼女は肩と肩が触れ合うくらい僕に近づいて、僕の歩く先にランタンを突き出すようにした。

 冷えたキャンプ場の空気の中、彼女の体温が肩から伝わって来た。

 そのとき僕は、食器洗いが済んだら彼女に『ある事』をしようと心に決めた。

 炊事場に着いて、僕らは交代で食器を洗った。

 まずは、サトミにランタンを持ってもらい、その明かりの下、僕がタワシで鋳鉄鍋を洗った。冷えて固形化したシチューをタワシでこすり落とす。

 洗剤を使わないから表面にどうしても油分が残るけど、鉄鍋の場合は、それで良い。

 それから今度は僕がランタンを持って、彼女がスポンジに洗剤をつけてクッカーとスプーンを洗った。

 行きと同じように、帰りも僕が鋳鉄鍋を持ち、サトミがクッカーとランタンを持って歩いた。

 設営地に戻り、クッカーは水気を切ってテーブルの上に置き、鉄鍋はからのまま焚き火にかけて水気を飛ばし、火から下ろした。

 とりあえず食器類の後処理が終わった。

 僕は「サトミのベッドを作らないと」と言って、ジムニーの所へ行き、助手席側のドアと後部ハッチを開けた。

 助手席の背もたれを倒し、座面に木の板を置いて、なるべく平らにならし、その上にエアーマットを敷き、さらにその上に寝袋を敷いた。

 サトミに「出来たよ」と言うと、彼女が「テントの中で寝巻きに着替えて良い?」といたので、僕は「うん。良いよ」と答えた。

 それから、窓の目張りを忘れているのに気づき、黒布を出して後部の窓を全ておおい、前席と後席の間にも黒い布を下げた。

 ジャージに着替えたサトミが、僕のところに来た。

「はい、これ」ポケットからジムニーの鍵を出してサトミに手渡した。「このじょうが外れているマークのボタンがアンロックで、錠が閉まっているボタンを押せばロックされる」

「え? 良いの?」

「今夜はサトミが自動車の中で寝るんだから、サトミが持つべきだよ」

「そうか……そうだね。ありがとう」

 それから、サトミは靴を脱いで僕の作った『車中泊ベッド』に昇り、前方に足を伸ばして上半身だけ起した格好かっこうで座った。

 僕は、サトミが脱いだ靴をシートの下に置いてやった。

 それから、毛布をサトミのももの上に置いた。

「寝袋を敷布団がわりに、毛布を掛け布団がわりにして寝ると良いよ。もし夜中に寒くなったら、寝袋の中に潜り込むと良い……まあ、今これくらいの気温なら、そこまで寒くなることは無いと思うけど」

「分かった」

 これで一通りすべき事は全て終わった。

「あの……サトミ」僕は、サトミの顔を見つめた。

「何?」

「僕ら、出会ってからまだ一日もってないけど……だから、まだ早いような気もするけど、どうしてもサトミに……その……したいんだ」

「うん」サトミが僕を見つめ返して微笑んだ。「良いよ」

 僕は、彼女の両肩を軽く押さえた。

 彼女が目を閉じた。

 唇に触れた。

 思った通り、サトミの唇は柔らかかった。

 思った通り、彼女の肩は細く、柔らかく、暖かかった。

 一度目のキスが終わって、僕らはもう一度見つめ合った。

 今すぐ……彼女の唇だけじゃなく、肩だけじゃなく……彼女の全身を抱きしめて、その身体からだのあらゆる場所の柔らかさと温かさを確かめたいと思った……んだけど……

「あ……ごめん……なんか、急に」いきなり彼女が白目をいた。

「え?」

「なんか、急に、お酒が回って……急にドッと疲れが出て来た……」

「え?」

「私、もうダメだわ」

「え? ダメって? どういうこと?」

「……寝るわ」

「え? 寝ちゃうの? ちょ、ちょっと待っ」

「ごめん……こっから先は、次の機会ってことで」

「ええ……そんな……ええ……」

 彼女は、いきなりジムニーの車内に作った即席ベッドの上にコテンッと仰向あおむけに倒れたかと思うと、次の瞬間には、もう、スヤスヤと気持ち良さげな寝息をたてていた。

「ほ、本当に、寝ちゃったの?」

 僕の質問に、サトミは答えない。

 そりゃ、そうだ。

 もう寝ちゃってるんだから。

「やれやれ」

 ……まんまと逃げられちゃったな……などと思いながら、仕方なく、彼女の体に毛布を掛けてやり、ジムニーのドアを閉めた。

 リモコン・キーは彼女が持っている。

 ドアをロック出来ないけど、仕方がない。

 焚き火のところに戻って、飲み直すことにした。

 おきになっていた焚き火台に新たなまきを追加し、もう一度火をおこす。

 クーラーボックスから氷を出してマグカップに入れ、ウィスキーを入れ、ミネラルウォーターで割って、さっきまでサトミが座っていた椅子に深々と腰を下ろした。

 カバ島教授のところの焚き火も、轟天院ごうてんいん夫妻の焚き火も既に消えていた。

 目をらして見たけど、どちらの設営地にも人影は見えなかった。教授も轟天院ごうてんいん夫妻も、それぞれのテントやキャンピング・カーの中に入って休んでいるのだろう。

(この広いキャンプ場で……この広いクレーターの中で……この広い砂漠の真ん中で……目がめているのはただひとり、僕だけみたいだ)

 静かな、本当に、静かな夜だ。

 満天の星の下、焚き火のオレンジ色の炎と、その向こうに広がる真っ暗な湖面を見ながら、僕は氷とウィスキーとミネラルウォーターの混合物を飲み続けた。

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