第14話 パン屋での日々
シンがパン屋で働き始めて三日が経った。
パン屋での仕事の日々は、とても規則正しい、真面目なシンの性格に合ったものだった。
朝、目が覚めたらまずは身だしなみを整える。
顔を洗い手を洗い、髪型を整えて、髪が長過ぎるようであれば短く切り揃える。
髭……はまだ生えてないようなので手を入れなくとも良し。
それらが終わったら洗いたての仕事服に着替えること。
身だしなみが終わったら食堂へ。
食堂では焼き損ねのパンを好きなだけ食べて良く……また古くなったパンの材料から作られるシチューも好きなだけおかわりして良い。
一人一皿のサラダと一人一つのゆで卵と一人一杯の牛乳は、健康な身体を保ち元気に働くために必要な食事なので絶対に残さないこと。
食事が終わったら、歯を磨いたりトイレに行ったりの小休憩を挟んで、開店の準備を整える。
シンの仕事はサラマンダーの餌係。
厨房の隅に椅子を二つ用意しておくので、そこにドルロと共に座り……サラマンダーがお腹が空いたとの声を上げたら、魔力を練ってそれを与えるように。
昼休憩は昼を知らせる大鐘楼の鐘が鳴り次第、順番に取ることになっているが……シンは順番を気にせず好きなタイミングで取って良い。
夕方の鐘がなったら閉店。
そうしたら順番に風呂に入り、夕食を摂り……そこからは自由時間。
翌日の仕事に差し支えないように早めに寝ること。
5日働いたら2日の休日が与えられる。
シンが居ない間は魔石で補うので遠慮なく休むように。
休日の間も給金の銀貨二枚はちゃんと出るので安心して良い。
―――と、こんな感じの日々だった……のだが、そんな悪くないように思える日々の中でシンはひどく思い悩むことになる。
十分過ぎる程の給金が出て、上質な食事と部屋が与えられるという、かなりの高待遇だというのに、肝心要の仕事があまりにも……待遇に全く見合わぬ程に簡単過ぎたのだ。
サラマンダーの給餌係といっても、サラマンダーが餌を、魔力を欲するのは日に二、三度のこと。
その為に一日中、何をする訳でもなく椅子に腰かけ続けていれば良い。
たったこれだけの事をしているだけで、これ程の高待遇を受けるというのは、どうにもシンの性に合わず……そしてアヴィアナの教えにも合わないことだった。
アヴィアナは言っていた。
『魔法使いは謙虚でなければならないよ。
魔法使いという存在は、自然から……他所から力を借りなければ何も出来ない存在なのだということを、魔法が借り物の力なんだということを決して忘れるんじゃないよ。
この世界には無数の生命が住んでいて……アタシ達はその一部、人間という小麦を砕いた粉の一粒でしかないんだ。
傲慢が過ぎればそんな粉粒……一息で吹き飛ばされて、この世界から追い出されちまうんだよ』
……と。
その言葉を胸の奥深くに強く刻み込んでいたシンは、今の自分が、今の自分の生活が傲慢なものに思えてしまって……居ても立ってもいられなくなってしまう。
そうやって心を決めたシンは、パン屋で働き始めて三日目にして、自らの仕事を、あるいはその待遇を、相応のものに変えて貰うべく行動を開始したのだった。
そうして迎えた昼の休憩時間。
まずは世話係であるガラハに相談すべきだろうと考えたシンからの相談を受けて、食堂の自らの席で身体を休めていたガラハは……なんとも難しい顔をしながら向かい合った席に座るシンへと声を返す。
「……まさかシン君の方からそんなことを進言してくるとは思いもよりませんでしたよ。
シン君、君のその志はとても立派なものだとは思います。
思いますが……その、正直な所を言うと……シン君の待遇はそれ程良いものでも無いのですよ?」
と、そんな言葉で始まったガラハによると、バルトにおける一般的な魔法使いの待遇は、銀貨どころか金貨の数枚が舞い飛ぶようなものなんだそうだ。
一日に銀貨二枚というシンの給金はそれを思えばとても少ないものであり……ガラハ達職人達はそのことを心苦しく思っていたそうだ。
「シン君がサラマンダーに餌をやってくれるようになって……サラマンダーの調子は、竈の調子は上がり続けています。
そのおかげで銀貨二枚どころでは無い売上が出ていますし、魔石を消費しなくなったおかげで経費にも余裕が出始めています。
……そんな状況を受けて僕達はシン君の待遇をいつ上げるか、どう上げるかと、そんな相談をしていた程なのですよ?」
そうかと言ってあまり待遇を上げすぎてしまうと……それこそ金貨数枚という魔法使いに相応しい待遇にしてしまうと、流石に赤字となってしまう。
そういう訳で職人達は、シンのシチューの具材を豪華にしたり、サラダの具材を豪華にしたり……職人達が交代でやっている食事当番、掃除当番からシンを外したりと、職人達に出来る限りの範囲でシンに気を使いつつ、どのくらいの待遇にしたら良いのか、すべきなのかを日々の中で模索していたんだそうだ。
「え、えぇーっと……じゃ、じゃぁ、ボクは一体どうしたら良いんでしょう……?」
「ミミー……?」
ガラハの説明を受けて、困惑の色の濃い不安気な声を上げるシンと、シンに抱きかかえられたドルロ。
そんなシン達の声を受けて、シンの様子を見て……ふーむと唸ったガラハは、どうしたものかと悩み、その表情をなんとも言えない形に歪めながら口を開く。
「サラマンダーの餌やり以外の仕事をシン君にして貰う事、それ自体はそう難しいことではありません。
荷運びや食器洗いだといったシン君に出来る仕事はいくらでもありますから。
……ですが、ただでさえ待遇が良くないところに、更にそういった仕事をして貰うというのはあまり良いことだとは言えませんし、僕達としてもとても心苦しいことです。
一方で魔法の先生の教えを守りたい、ちゃんと働きたいというシン君の気持ちもよく分かりますし……さて、どうしたものですかねぇ……」
そう言ってまたもふーむとガラハが唸り、それに釣られたシンとドルロが唸り……そうやって三人で唸り続けていると、近くの席で食事をしていた、パン職人達の中で一番身体の細い……普段は経理を担当しているケイという名の職人が、ずいとテーブルの上に身を乗り出して三人に声をかけてくる。
「あー、お前達の話を聞いてて、俺ふと思っちゃったんだけどさ……シン、お前ってさ、森の中で何年も金にも銀にも縁のない修行生活を送ってたんだろう?
で……その森の中で培った価値観で銀貨二枚が多いとかそんなこと言ってるような気がするんだけど……どうだ?
正直経理の俺からしてみても、銀貨二枚の給金って少なめに思えるんだけど……そもそもそこら辺の価値観の時点ですれ違ってねぇか?」
そんなケイの言葉を受けてシンは、アーブスがパン屋での仕事を紹介した際に『まぁーそこそこの給金は出る』と、そう言っていたなと思い出す。
シンの住んでいた街では、銀貨が二枚もあれば5日か10日は暮らしていくことが出来た。
それはかなりの大金と言えて『そこそこの給金』などでは決して無い
銀貨二枚が大金だというのは……それはあくまで森の向こうの、シンの住んでいた街での話。
ここバルトでの銀貨の価値がどういったものなのか、どれくらいのものなのか、銀貨二枚でどんな物が買えるのか、何日くらい生活出来るのか。
……その辺りの知識を持っていないことに、ようやく気付いたシンはハッとした顔になる。
「はははっ、やっぱりな。
よしよし、じゃぁこのケイ様がそこら辺の話をしてやるとするよ。
待遇だなんだの話はそれからでも遅くはねぇだろ」
と、そう言ってケイは、ポケットの中から自分の財布を取り出し、その中から銅貨、銀貨、金貨を一枚ずつ取り出して……それらをシンの眼前、テーブルの前に並べていく。
そうしてケイによる、バルトの経済の……お金の価値の話が始まるのだった。
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