序 ある軍人の凋落

〇一 泥棒ども



 三人組の木登りには、いつも決まった順がある。

 もっとも慣れた一番手が、自分にとっての近道ではなく、残るふたりに合う手順でするすると木を登っていく。刀をいているというのに、邪魔とも思わず、実に巧みだ。ついで、道中で目についたせみを払いのけるが、盛夏のこと、そこかしこでせんそうかまびすしい。もっとゆっくりわかりやすく登れと何度言われても、決まって返事は、これ以上遅くはならない、である。

 二番手はどうか、がんりきには長けたものがある、ゆえ、一番手の道筋を丁寧になぞっていく。失敗らしい失敗はなくも、が転げ落ちそうなところは、むしろうわよりわかる、場合によっては下に残るひとりに向けて注意を与えておく。一番手は、ひとつ上に場所を取っている、すでに、遅れて登るふたりが陣取れる、安定すると思われる場所を見定めてあり、登ってきた二番手に、どちらかと言えば安定しないほうを指し示す。もっとも、どちらであれ、貧乏くじを引くことはまずない。

 例外もある。三番手は股を開いて座ることになるのを嫌うのだ。今回はそれにあたったので、二番手はどちらかといえば安定する方、立派な枝に跨がることになった。そこに落ち着いて陣取る直前、やはり上から示された場所――陣取るべき残るひとつに、麻の布を敷いてやりつつ。股を開くことを嫌うならば、服が汚れることはさらにする。下手のくせに、と、何度言われたか知れずとも、げない。どうせ登る途中で汚れるだろうにと、そう言われようとも、なので結局は敷いてやる。麻布は目が粗く、特に滑りやすくはないが、布を一枚噛ませ、無用どころか、むしろ危なかろうと。

 三番手は、先のふたりに示された手順にならい、どうにか登るというていで、とはいえ、すでに上に居座るふたりからすれば、それでも感嘆してしまうほどには上達したのだ。かつて、登り切れないことが幾度あったか。とはいえもはや昔話のたぐいだ。少なくとも、もう誰も、途中で落ちる心配はしていない。

 三番手はどうにか上まで辿り着き、敷かれた麻布の上に腰を落ち着ける。すっかり腹が立っている。やはり、自生する樹に登り、何ひとつ服が汚れずに済むという話にはならないからだ。結局はみきに身を寄せることにもなる。致し方ない、落ちればただで済まない、体が、ではなく、服が、だ。

 ともかくも、こずえの群れに身を隠し、眼下に街道を望み、見守ろうという。危機が迫っているのは察した、が、積極的に加勢してやる義理はなく、自分たちは出番なしとなるほうが大変に好ましい。

 それが、十分足らず前のこと――


 けんげきの響きが断続的に続く中、木登りの二番手の少女、つむぎは、ぼうで買ったいもをすっかり平らげ、なんとはなし、油の滲みた包み紙を見て目を見張った。姓はひとたちばな、諸国連合よりさらに東、大陸の東岸、さらに言えばその田舎の出身である。田舎育ち、その地に根付く独特の口調はいまだ直らない。包み紙は昨日の、つまりは新年二日のかわらばんだった。大きな見出しが目を引く。

「ありゃあ、つら椿つばきの総大将が替わったっていうのさ。新任さん、ずいぶんと若いようだけど、だいばってきかね、こりゃ。何もこんな時に、ってなもんだ。こいつはあたいっちらにとって、どっちの風だい。か? か?」

 木登りの一番手の少女、なつは冷ややかな目線で戦況を見つめていた。つまり、助太刀せねばならないか、だ。姓はいつひなどり、名門の武家の出ではある、今となっては、一族いずれも、もう亡いか、せめてどこぞへ落ち延びたか、知れない。護衛たちの腕前は悪くない、少し刀の筋も、槍も、お行儀が良すぎるきらいはあるが、真っ当な戦力だ、つまりはやはり、この街道を警戒していたのだろう。もっとも、真理はひとつだ、多勢に無勢、と。口数は少ないほうだ、やはり、多くは語らなかった。

「どうせこのままなら風はむ。ふみが届かない」

 もっとも遅れて木に登った少女、めぐは、懐から西さいごくからの輸入品である小折鏡コンパクトくしを取り出し、木登りで乱れた髪をせめて整えようとしていた。姓はごころあてびとの家の生まれではあるが、栄華を誇っていたのは何世代も前のこと、現在はれいらく著しく、日々の暮らしさえ危ういのであれば、これでは息苦しいだけと、家を出たのである。戦いのすうせいはわからないが、昨今、この街道の治安が悪いのだとは知っていた。

「まぁったく、さぁ、わろにくしなんだから、この道。あぁ、もう、どこの家だ。かんけんなんてあてびとの寄付次第でもあるんだってのよぉ。んー、確かこの辺だと、たかなんちゃら家、荷馬車ひとつ通れないなんて、世も末なんだから!」

 髪を整えるのをやめないまま嘆くめぐに対し、頭上から、なつの冷静な声音が落とされた。

「泥棒が泥棒に文句を言うのは、お門違い」

 いくら正しい理屈だろうが、捺に言われると芽は腹が立つ。思わず指に力が入り、髪を直すどころか乱れた。合間、取り成すこともせず、つむぎはからからと笑うのみだ。

「違いないねぇ。に文句つけられちゃ、野盗さんも、官憲さんだって、たまったもんじゃないよ。で、捺が見るに、これは助けに行かなくちゃならないんだろ。とはいえだよ、荷を守るだけってのも泥棒のけんに関わるね。どうにか帳尻合わせをさ、ん、いや、しかしだよ――」勘の鋭い紬が、見たまま、思うままを言った。「あの野盗さんたち、ただのにしちゃ、統制がうますぎやしないかい。なんだなんだ、武家の崩れか、あるいはあてびとのほうか」

 捺は冷静に、野盗側の戦いぶりについても見定めている。評価としては否だ。

「だとしたら私兵。私に心当たりはないし、流派もばらばら、我流も多すぎる」

 話の流れをんで、芽は小折鏡コンパクトくしをしまい込んでから、やはり西さいごくから渡ってきた劇遠鏡オペラグラスを取り出して目に当て、周囲を探っていた。すれば、大当たりなのだ。

「あぁっと、いけないなぁこれは。見覚えあるんだよなぁ。たかなんちゃら家のお坊ちゃん、いるじゃん。たち悪いって噂はだったかぁ。あてびとの私兵で当たりっぽい、ってゆうか、そりゃ官憲も働かないわけだ。もらってんのは寄付じゃなくてわいってゆうんだからなぁ!」

 思わず、紬の顔が渋くなる。あてびとが自らのろうぜきを見逃せと、官憲に金を掴ませたわけだ。賄賂をする側もされる側も好かない。とりわけ、正義の味方というのは、堂々としているものだ。そして、泥棒もだ。

 ただ、それと同時、好ましい閃きも湧くのだ。ふと、くまなく包帯が巻かれた腕が曲がり、やはり包帯を巻かれた手のひらがあごに伸びる。

いきじゃないねえ、どちらさんも。しかし、するってえと何かい、その、たかなんちゃら家のご自宅だか何だかを狙えばさ、戦利品か、あるいは表に出せない金がたんまりって話になるのかい、これは」

 紬の視界には入っていないが、捺は薄く笑んだ。劇遠鏡オペラグラスを目から外し、紬の方を向いた芽は、口を手のひらで覆うようにして――今はもう廃れつつあるあてびとの所作で、わざとらしく愉快そうにした。つまり、にとって、ぼろい儲けを見つけた、と。

「なるほど。こりゃあ決まりだ。やっぱりね、単なる人助けってえならともかくだよ、泥棒が荷を守るなんてのは格好がつかないよ。私兵連中をさっさとのしちまって、たかなんちゃら家のひと財産、狙いに行こうじゃないか。そうしてやりゃあ、無事、例のふみも届くんだろうよ。ついでにね」

 取るべき行動は定まった。以降の段取りのおおよそなど、とうに三人ともに知れてはいる。わかりきっている。が、確認することがないではない。紬は頭上、捺を見上げた。

「で、結局は捺が出張るんだけどもね、あたいっちは誰のどこを縛る? いつも通りたいひとり分だよ。たくさんいるからって、贅沢は言わないでおくれよ。ま、細かくやれってんなら、しょうしょう、やってやるけどね」

 本来、いつひなどりにとってしてみれば、何らの一助も要らない。野盗の数が眼前にある倍だとて、難なくひとりでどうなりとできよう。ただ、その武によるせっしょうは、正邪問わず、これこそと認めるもののほか、強く戒めよ、というのがいつひなどりの古来よりの教えでもある。もう滅びた家だ、しかし、捺はいつひなどりではない姓を名乗るつもりはない。よって、紬の助けがあった方が、さすがに労が少ない。殺さないというのは、なかなかの難儀なのであるから。

 捺は姿勢を整えつつ、木から飛び降りる順を考える。すとんと落ちられる高さではない。ただ、どこぞの枝葉なりで勢いを殺しつつであれば、それに近いことはできる。紬への注文の内容はすでに決まっていた。

「腰から下は、むしろ護衛に振り分け。終わるまで。下手な味方がいる方がやりにくい。動かれたりしないよう。残り、必要なら芽を経由する」

 それを聞けば、もはや確認することは何もない。

 そして、ことは何らない。

 三人組の泥棒には、木登りの他にも、順番が決まっているものがある。

 順番だ。

 木登りとは全くの逆になる。

 もはやすることはないと、劇遠鏡オペラグラスはとうにしまわれ、再び櫛で髪を直していた芽が、素っ気なく

れいさい

 言ったにせよ、それは芽を除いて、この世の誰にも聞こえてはいない。聞こえず、書かれたとて認識できない、ただひとりにのみ、背負う者にのみ、許される

 しかし、音として聞こえぬからと、紬は芽のくちもとをしつこく見ていてやろうという気はなかった。なんとなれば、もう言ったとのむねは、すぐに紬にされる。違いなく、それを受け取ったほうが確実だ。

 次いで、田舎娘でも多少の行儀はあると、紬は芋の包み紙であった瓦版をそこから放らず、帯の隙間にとりあえず押し込んでから、自分の番が来たと芽から伝わり、。自分のみにしか、紬の他、なんぴとたりと、知り得ぬ

しっこく

 すぐさま、護衛たちの動きが満足ではなくなる。捺の注文通り、護衛のそれぞれ、腰から下のどこかだ。上半身でばたばたもがこうとも、およそまともに動きが取れない。脚全体でなくていい。部分部分、抑えるべきところを抑え、、人体というのはそれで歩くこともままならなくなるもの。同じところには重ねられずとも、動くかなめとなる場所というのは、存外、多いものだ。たったこれだけの人数、苦労はしない。

 最後、ついに音としては、仲間の声を何も聞かぬまま、聞こえることのないまま、捺は自分の番が来たと伝えられ、せんたんの開かれることを知る。道筋は定めた。これまでのふたりと同様、やはりじんには聞かれぬを、、降りるだけだ。

げきせき

 跳ぶ、目星をつけていた枝にいったん手をかけ、勢いを殺してから、また別の枝にいったんは足を置き、即座、さらに跳ね、鮮やかに、瞬く間に、地に、街道に、戦闘の行われているただなかに降り立った。

 しかし、誰からも、どこからも、誰にとっても、




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