八. 出会いと別れ①
扉の先には誰もおらず、がらんとした広間があった。
「ここを上れば王の間に辿り着くよ」
足を止めるスラウたちに、ニコラスは思わず振り返った。
「え? お前らは?」
「ここでお別れだね。大丈夫。もうニコラス1人でもやっていける」
「……分かった」
スラウの言葉にニコラスは静かに頷くと階段を上がっていった。
だが、ふと足を止めた。
「待って!」
叫びながら階段を何段も飛ばして駆け戻る。
背を向けかけた3人が驚いたようにこちらを向いた。
勢いをつけてスラウに飛びつく。
腰に手を回してしっかりと抱きしめた。
「ありがとう……スラウ……」
驚いて固くなっていたスラウはふと微笑むと、自分の肩にも届かない少年の肩に手を乗せた。
「こちらこそ、ありがとう……」
ニコラスがゆっくりと身体を離すと、スラウの隣に立つフォセと目線が合った。
自分より小柄な少女であることに改めて気づいて一瞬迷ったが、同じように腕を広げて抱きしめた。
「フォセも。ありがとう。ライオネルも……」
ライオネルには手を差し出すと、彼も手を握り返した。
「……頑張れよ」
耳元で囁くライオネルにニコラスは唇を噛んだ。
「うん……行ってくる」
「いってらっしゃい(こい)!」
3人の声が重なる。
ニコラスは階段に向かって走り出した。
今度はもう振り返らなかった。
***
壁に映る影が大きく揺らぐ。
ニコラスは壁に背中をつけ、息を殺した。
人の気配が無いことを確認して、大きく口を開けている通路をそっと覗き込む。
長く続く廊下に薄暗い明かりが灯っていた。
まだ誰にも会っていない。
一歩踏み出しかけた時、微かに声が聞こえた気がした。
慌てて振り向いたが、特に足音が聞こえるわけでもない。
気のせいか……
安堵の息を吐いて再び階段を上り始めた。
だが、その間も意識は聞こえてくる声に集中していた。
これは……歌だ。
優しい声だが、どこか胸が締めつけられるような思いがする。
ニコラスは足を止めてしばらく歌に聴き入っていた。
不意に歌が途切れた。
我に返って階段を上り始めたが、振り返られずにはいられない。
少しだけ……
少しだけ誰が歌っていたのか見てみたい。
ニコラスは思い切って踵を返すと、今しがた通り過ぎた通路に足を踏み入れた。
1室の扉から光が漏れていて、どうやらそこから声が聞こえるようだった。
扉に耳を押しつけたニコラスは思わず身を引いた。
誰かが泣いていたのだ。
声を出さないように懸命にこらえている。
鍵穴から中を覗いてみたが、灯りは扉から離れたところにあり、ぼんやりとしていてよく見えなかった。
ドアノブをゆっくりと回して扉の隙間から覗くと、部屋の中心には大きな檻があった。
太い鉄の柵が上にいくにつれて曲がっていき、中心でくっついている。
まるで大きな鳥籠だ。
中には少女が座っていた。
彼女は顔に手を当ててすすり泣いていた。
長い赤髪が顔に垂れている。
ニコラスは扉の細い隙間に身体を押し込み、部屋の中に忍び込んだ。
「おい!」
見つかったのかと思い、慌てて近くの机の陰に隠れた。
「早く歌えよぉ……カナリアちゃぁん……」
下品な笑い声が続いた。
暗闇に目が慣れて部屋の様子がだんだん分かってきた。
数人の傭兵が籠の前に座っている。
転がっている酒瓶を見ると、随分前から飲んでいたようだ。
赤ら顔の傭兵が片手に持った酒瓶を籠に投げつけた。
「ほらほらぁ……歌えっつってんだろぉがぁ……」
少女が途切れ途切れに歌い始めた。
もう少し近くに行こうと、乱雑に置かれた椅子と机の陰に隠れて床を這った。
檻はもう目の前すぐ近くに見えている。
「フォルクトレ様になってから、城の警備もエラ様のおかげでする必要もねぇし。楽になったよなぁ」
「酒飲んで、博打して、楽なもんだぜ」
「堅物な奴らは辞めさせられたし、大臣も村でこきつかわれているって話だぜ?」
「ぎゃはははははっ……! 前国王の方が良いとか反抗するからだよ」
「俺らみたいに頭使えっての。ぜってー楽じゃん、この方が」
「フォルクトレ様の側近もエラ様だけだし、エラ様が死んだら、俺らでも大臣とかになれんじゃねぇの? はははは……あ……」
傭兵が瓶を振り回していた手を滑らせ、瓶はニコラスすぐの後ろの棚に直撃した。
「へへへへ……ジョー、何やってんだよ」
「こんくらい平気さぁ」
ジョーと呼ばれた傭兵がふらつく足で近づいてくる。
隠れる場所は?
思わず腰を上げたニコラスは棚に頭をぶつけてしまった。
「いたっ!」
思わず声を出してしまい、傭兵が覗き込んできた。
「こいつ! どこから入り込みやがった?! ガキだ! ガキが居る!」
「エラ様にばれたらまずい。殺そう!」
ニコラスは掴みかかってきた傭兵から逃れて机の上に飛びのると、腰に差した剣の柄でその首を強く打った。
傭兵は小さく呻くと地面に崩れた。
「やろぅっ!」
「ガキが!」
傭兵たちが次々に剣を抜いて立ち上がった。
ニコラスは剣を構えると机から飛び降りた。
襲いかかる傭兵たちをいなして剣で突く。
しばらくその立ち回りを続け、傭兵が全員気絶していることを確認したことを確認したニコラスは足元に転がる1人の身体を転がした。
動きからして腰に何か重い物をぶら下げているのは分かっていた。
案の定、鍵束があった。
ニコラスは躊躇うことなく抜き取ると檻の扉に近づいた。
南京錠に鍵を差して扉を開ける。
「ほら」
手を差し出すと、ずっと俯いていた少女が顔を上げた。
長い睫毛に潤んだ茶色い瞳。
先が少し赤くなったすっとした鼻と引き締まった唇。
ニコラスは食い入るように彼女を見つめていた。
まるで時間が止まったかのようにさえ思えた。
だがその瞬間、身体が宙に浮いて壁に思い切り叩きつけられた。
咳き込む彼の身体が再び宙に浮いた。
赤ら顔の傭兵が首を掴んで絞め上げていた。
「ガキが……舐めた真似しやがって!」
「はな……せっ……!」
足をばたつかせたが、逃れられなかった。
視界が霞んでいく。
その時、傭兵の背後で鈍く響く音が聞こえ、首を握る力が一気に弱まった。
檻から抜け出した少女がフライパンを片手に持ち、仁王立ちしていた。
自分と年の変わらないくらいだろうか……
彼女は、まだ湯気の立っているフライパンを傍の暖炉に突っ込んだ。
「あ、ありがとう……えっと……」
「ケイナよ」
「ありがとう、ケイナ」
少女はこちらこそ、と首を振った。
「あ、そうだ……」
ニコラスは思い出したように腰ポケットを探り、茶色い巾着を取り出した。
鼻に持っていくと仄かに芳しい香りがした。
「知り合いの人にもらったんだ。催眠の効果があるらしい」
フライパンに巾着が投げ込まれた。
「これでしばらく傭兵たちは追ってこないはずだ。行こう!」
ニコラスは煙が充満する前に少女を連れて部屋を飛び出した。
***
地下はぼんやりと白い靄がかかっていた。
フォセが起こした微風が周りの霧を追い払っている。
地下牢だというのに傭兵は誰もおらず、暗い通路に3人の靴音が不自然なほど大きく響いた。
不意に前を進むライオネルが足を止めたので、スラウも彼に倣った。
通路はあと数歩先のところでもう1つの通路と交差していた。
松明の灯りを頼りに目を凝らして奥を見たが、やはり誰もいないようだ。
3人の姿が完全に見えなくなると通路の灯りが大きく揺れて消えた。
僅かにくすぶる小さな火が、誰かの細く笑う口元を照らした。
***
「私も連れていって!」
声を荒げる少女にニコラスもつられて声が大きくなった。
「君を連れてはいけないよ! 危険すぎる!」
「何よ、偉そうに!」
「偉くなんてないさ! 君が王の間に行けば、逃げ出したことがフォルクトレにバレるじゃないか?!そんな危ない目に……」
彼女はニコラスを一瞥すると、わざとらしく溜め息を吐いた。
「どうせ女の子は危ない真似をしちゃいけないって言うんでしょ! いつもそう……男の人ってこんなにも堅物なのね!」
「そ、そんなことない!」
ニコラスが顔を赤らめた時、背後から肩を掴まれ、壁に叩きつけられた。
先ほど眠らせたはずの傭兵たちが立っていた。
「きゃぁっ!」
悲鳴に振り替えるとケイナが首を傭兵に掴まれ、宙に吊り上げられていた。
「彼女を離せ!」
叫んだニコラスは傭兵の蹴りをくらい、よろめいた。
意識が途切れる直前、自分の身体が担ぎ上げられるのが分かった。
***
地下通路は地中深くに向かっているようだった。
進むにつれて、ひんやりとした空気になり、霧は益々濃くなってきた。
どこかで水の落ちる音が反響している。
不意に目の前が開けた。
スラウの手の上に小さな光の球が現れ、ぼんやりと辺りを白く照らした。
3人は大きな部屋にいた。
「わっ!」
フォセが思わず声を上げた。
幾つもの牢獄が3人を囲んでいる。
彼女の後ろにある牢屋から白骨化した手が伸びていた。
「もしかして……これが契約主?」
フォセがちょんちょんと骨を突いた。
「それはないだろ……」
言いかけたライオネルが何かに気づいて壁に駆け寄った。
「ここだ!」
土壁に埋め込まれるように、更に奥へと続く扉があった。
鉄格子越しに覗いたが、霧のせいで光も十分には届かなかった。
戸を軽く押してみると、木が腐って留め具が緩くなっているのが分かった。
スラウが剣の柄で押すと簡単に戸が外れた。
鈍い音を立てて扉が向こう側に倒れた。
2人と視線を交わしたスラウは剣を引き抜くと、霧の立ち込める部屋へ飛び込んだ。
太い鉄格子の向こうにに2つの人影が見えた。
フォセの起こした風が霧を散らしていく。
徐々に霧の中から元国王、王妃の姿が浮かび上がってきた。
「エルドラフ・ロイナード様、カトリーヌ・ロイナード様」
スラウたちが2人に向かって跪くと、エルドラフが立ち上がった。
着ている服は粗末ではあるものの、その立ち姿からは王の威厳さが伺える。
「君たちは?」
「貴殿の救出に参りました」
スラウはそう言うと深く頭を下げた。
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