第17話 カミングアウト


「やー、何とかなってよかったです」


 登未が電話に出てから20分以上が経過していた。

 予測通りトラブルだった。しかし内容は予測を超えていた。

 すわ不具合かと思って肝を冷やしたが、解決できた。


『すまんなぁ、休みのこんな時間に』

「いえ、いいっすよ」


 土曜日の夜に問題発生し、月曜日まで待つのは危険だ。次長が出張るほどの大手客先のトラブルとなれば、会社全体が大騒ぎとなる。一次対応で片が付くのなら、多少のことは問題にしてはならないだろう。


(多少のことではない、んだけどな)


 楽に解決できると思っていたが、思いの外時間を費やしてしまった。

 月夜たちへの対処を誤ったまま、放置していることになる。

 可能な限りの全速力で電話対応を終えたが、やはり再び選択肢を見誤ったみたいだ。


『本当に、助かったわ。なんか買って送るか?』

「あー……、そこら辺は適当でいいっすよ」

『そうか。じゃ、いつものあんパン買って送っておくわ』


 通話先の次長との仲は、ほどほどに良好だ。それ故に登未の好物も把握している。

 おそらく観光のパンフレットには紹介されないが、極上の美味い菓子パンを送ってくれるらしい。


「できたら、そうですね。6つお願いしたいっす」

『お? 1人で食べると太るぞ?』

「気にしませんから」


 誰と食べる気だ? 言外にそう語っているように思えたが、笑って誤魔化す。

 一つの問題は片付いた。次長が電話を切ったのを確認し、登未はスマホをポケットにしまう。


(さて、どうすっかだな)


 絶品のあんパンは入手できる。

 それが1人で6つを食べるか、3つとなるのか。

 もしかしたら、2つになるかもしれないが、それならそれで良い。

 どれほど巧く立ち回れるか、それに掛かっていた。

 登未は胃がしくしくと痛み出すのを感じた。


(ちくしょう、まだリカバリできるか)


 紅葉たちから逃げる形となってしまった。時間がかかり過ぎて、事態が悪化していることもありえる。月夜と紅葉との間で、どんな会話がされているのか、不安になった。


(様子は変わってはいないようだけど)


 登未がいるベランダと室内を仕切るのはガラスだけだ。カーテンは閉められていないので、2人の様子を見ることはできる。

 特に変わったことはない。しかし会話をしている雰囲気もない。

 紅葉は月夜から顔を逸らしているし、月夜も俯いている。

 

(気まずそうな雰囲気だな、ちくしょう)


 あからさまに重たい空気に包まれている。そんな状況に戻るのかと考えると気も重たい。

 しかし男たるもの、これ以上逃げていられない。

 自分が看破したことに原因があるのだ。

 紅葉の反応を登未は思い返していた。

 登未を見定めようとしていたことは既に察している。

 耳に届いた独白からも明白だ。


 過去に月夜を傷つける出来事があったのだろう。

 推測する材料は、いくつか得ている。

 キーワードの一つを思い浮かべる。


(下心、ね)


 登未は鼻を鳴らす。

 馬鹿馬鹿しい、または自嘲のような気分だった。


(そんなもの、俺が持てる訳ねえだろうが)


 さあ、話をしに行こう。

 手段を選ばなければ、解決にそう時間はかからないはずだ。

 登未はベランダのガラス戸に手を掛けた。


◆◇◆


「あ……、大丈夫だったんですか?」


 第一声は月夜だった。心配そうに登未を見ている。

 リビングへ歩きながら、登未は紅葉の様子を確認した。

 やはり気まずそうな雰囲気のままだ。

 紅葉は膝を抱えて視線を逸らしている。


「ああ、うん。ごめんごめん。思ったより時間が掛かった」


 ほんの少しだけ、月夜から離れて座る。

 元々が近すぎたのだ。人と接する際は、距離が重要だ。

 近ければ、親密さは得られるが、適切でなければ生じるのは緊張感だ。

 程良く自然で居られる距離として、登未は自分の尻一つ分離れた位置にあぐらを掻く。


「……あ」


 露骨に離れすぎたかもしれない。気づかれた、月夜からわかりやすい反応があったが、敢えて座り直す気は登未にない。適切な距離感を保つことが大事だ。重たい空気が漂う現状では、当然の行為である。


「えっと、な、何があったんです?」

「んー、まあ大したことはあったんだけどな……」


 まるで誤魔化すような月夜の質問だった。拙い誤魔化しに登未は口元を緩める。

 取り繕うのが苦手なのは長所なのか、短所なのか。

 社会人としては苦労しそうだが、人間としては好ましい。


(俺みたいに、何でもかんでも隠せるのはメリットないしなぁ)


 登未の場合は、誰も気づこうとしてくれない、というわかりやすい難点も抱えている。

 まだ未来のある輝かしい新人の月夜に同じ道を歩ませるのは御免だった

 私生活のフォローはできないが、会社でなら幾らか手助けはできる。


(手助け……教育なぁ。一応教えておくか)


 登未は月夜に、起きていた現象を説明する。

 月夜が同じ問い合わせを受けたら、ギブアップ以外の選択肢のない厄介な問題だった。

 おそらく月夜では不具合動作の特定ができず、何から手を付ければいいかわからないだろう。

 その場に居れば、すぐに対処できただろうが、遠隔で処理するのは骨が折れた。


「とまあ、こんな感じ」

「……、なんで電話だけで解決できるんですか?」


 月夜が目を丸くしていた。信じられないモノを見る目で見られた。

 憮然とした顔は、心外だった。

 少しだけむっとして月夜へ口を開く。


「……、問題を解決するための方法って教えたと思ったけど?」

「い、いえ。聞きましたけど」

「ほう。じゃあ、聞きましょうか?」


 本当に覚えているのか、と言った不安はなかった。

 会社で接している月夜は、真面目で勤勉だ。

 まず間違いなく記憶していると、登未は確信している。

 単に妙なリアクションを向けてきたことに対する罰のつもりだった。 

 月夜は目を左上に動かして思案した後、口を開いた。


「えっとですね」


 起きている現象の正確な把握。

 問題点の抽出。

 そして抽出した問題点の対処。


 月夜に問い合わせのコツとして、教えていた。

 登未が教えた内容を、辿々しく月夜が並べていく。やはり覚えているようだった。


「なら電話だけで、だいたい解決できるでしょ」


 何を驚くことがあるのかと、登未は月夜に呆れ混じりの視線を向けた。

 しかし月夜は苦笑を浮かべるだけだった。


「えっと、それって手元に資料がないと普通無理です」

「覚えればいいのに」

「一つ二つならできるかもだけど、いったいどんだけ覚えればいいんですか……」


 仕事をしていれば勝手に身についていく知識と思っていた。

 そんなに大それたことではないので、驚かれるのは恥ずかしい。

 登未は肩をすくめると、紅葉に目を向ける。


(……ああ、うん。問題の解決ね)


 製品問い合わせだけでなく、日常でも同じ方法が使える。


 一つ目は、起きている現象の、正確な把握だ。

 なんとなくでは、ダメだ。正しく現象を把握してようやく効果が望める。


(気落ちしているのは、俺が紅葉の意図に気づいたからだろうか)


 思惑は横に置いておいて、紅葉は登未を罠に嵌めようとした。

 看破した以上、普通なら警戒をする。

 更なる罠を仕掛けるのは、さぞ辛かろう。


 登未に対する罪悪感も持っていそうだが、それよりも月夜に対する申し訳なさの方が強そうだ。

 月夜と仕事で関わる人間に対して害意を持った。

 そしてバレた。良好だった関係に傷をつけ、今後の関係性を変えてしまう恐れがある。

 無論、良い方向に変わることはなく悪い方へだ。

 友人に不利益を与える行動を取ってしまった後悔も強いだろう。


(割合はわかんないけど、起きていることは、こんなとこ。で、その真因は――)


 現象を整理した。続いて問題点の抽出だ。

 簡単なことだ。


(俺が、この後輩に下心を持っているか、だな)


 月夜に近づくのは、邪な感情を抱いているから、そう紅葉は思っているだろう。

 異性に優しく接する際、誰もが何かを企てるとは限らないが、美人に対して大抵の男が有するだろう。

 紅葉がそう思うのも不思議ではない。


(なら、問題への対処は、もっと簡単だ)


 問題解決メソッド、最後の方法――問題点への対処を考えると、すぐに解決方法が思い浮かぶ。

 何故ならば、問題点など端から存在しない、、、、、、、、

 告げれば終わる。非常に簡単だ。


(……簡単、なんだがな)


 しかし、嫌だった。

 臆面を顔に浮かべつつ、登未はテーブルに手を伸ばす。

 何かを飲みたかった。

 電話で延々と指示を飛ばした後だ。喉が渇いている。


 しかし甘ったるい酒では、物足りない。

 かと言って、持参したアルコール度数の強いものを飲むのも、まだ早い。

 酔いつぶれはしないが、穏やかになってから飲みたかった。


 適度な苦みと軽めの酒が欲しかった。

 何故、この場にはビールがないのだろうかと、溜息を吐きたくなった。


「あれ? どうしました?」


 手を伸ばしたまま悩む登未に、月夜が声をかけてきた。

 登未は腕を納めて、正直に月夜に心情を話す。


「んー……。チューハイに飽きた」


 近くのコンビニに買いに行こうか。しかし、問題を更に放置することになり、空気は最悪なものに変貌するかもしれない。登未が、うむむと唸り検討をしていると、月夜が口を開いた。


「ビールとか、飲みます?」

「……あんの?」

「はい。七海が、ああ友達なんですけど、いつもビールばかり飲むんで、前の残りが幾つか」


 あるならば、最初から出してくれれば良いのにと、非難がましい瞳を向ければ、月夜は苦笑を浮かべながら立ち上がった。


「持ってきますね、ちょっと待っててください」


 そして月夜はパタパタとスリッパの音を鳴らして、台所へ向かった。

 残ったのは登未と、紅葉だ。場に居づらい沈黙だ。

 目を合わせない紅葉の横顔を見ながら、登未は口を開く。


「あー……。一応、言っておくけど」

「……なに?」


 無視されるかもしれないと思っていたが、紅葉に会話をする気はあるようだ。

 せっかく月夜が離れたならば都合が良い。

 公開する情報先は限られておいた方がありがたい。

 早めに問題を解決しておこうと思った。


「俺、あの子に思うところはないぞ?」

「……嘘だ。そんなの、有り得ないでしょ」


 紅葉が顔を動かした。目を尖らせ登未を睨む。

 その眼差しを受け止める登未は、視線を逸らさずに、あぐらを掻いた膝に頬杖を突く。


「昔、何があったのかは知らんけどさ。そりゃ、健全な男子の話だろ」

「はあ?」


 健全な男子なら当然できること。

 当然のように企てるし、思春期なら思考の半分が向かうはずのこと。

 下心を有し、あわよくば卑猥な行為を行ないたいという衝動に近い感情。


 それらは全て、今の登未には無縁のものだ。


「俺には、当てはまらない」


 登未が不健全な男子と言いたいのだ、と紅葉は察したのだろうか。

 顔には困惑の色が浮かんでいる。


「……どういうこと?」


 あるいは、何を言っているのか、検討もつかないのだろう。

 会話の先を知っているのは登未だけのようだ。


(なんだかな)


 登未は静かに息を吐くと諦めることにした。


「だって、俺――」


 話す内容が、とても物悲しい。

 なんで、こんな自分の恥を美人に向けて話そうとしているのだろうと考えると、辛くもなる。

 しかし、手っ取り早いのも事実だ。

 時間の短縮を計るのだ。やむを得ないと腹を決めて、登未は口を開いた。


「ちんこ勃たねえもん」

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