第15話 そして後輩社員と飲みが始まります。

 楽な格好で、と月夜は言った。

 かと言って、本当に楽な寝間着で外を出歩く訳にもいかない。

 登未は綺麗めのパーカーと三本線の入ったジャージ姿で月夜のマンションに来ていた。


(普通、鍵を渡すか?)


 バタバタしているかもしれないからと、月夜に鍵を渡されていた。

 共用部エントランスで止まることもなく、登未は月夜の部屋の前に辿り着く。


(ちょうど、一時間経った訳だが)


 腕時計を見た後、登未は渡された鍵をじっと見る。

 マンションの鍵は、共用部だけでなく住居の専有部も兼ねている。

 インターホンを鳴らさず、部屋に入ることは可能だ。


(できるか、くそが)


 登未は鍵をポケットに入れて、インターホンのボタンを押す。

 反応を待った。

 待った。

 待った。

 反応がない。


(なんだろう、入ればいいのか?)


 しかし月夜たちは風呂に入ると言っていなかったか?

 まだ風呂に入っている、あるいは上がったばかりなら、侵入は得策ではない。

 登未は扉から少し離れて、待つことにした。

 壁に背中を付けたまま煙草が欲しくなってきた頃、ようやく扉が開いた。


「ごめんなさい! 髪乾かしてて!」


 月夜が飛び出してきた。

 登未は息を呑む。


(わーお……。ジェラピケ着てる女の子、初めて見た)


 月夜はルームウェア姿だった。

 特徴的なもこもことした素材の横縞のパーカーとロングパンツだ。

 ヘアターバンまで身につけている。


(ただの金持ちか、意図しての行動か。おのれ)


 思わず触りたくなる手触りの服ということは知っている。

 だがパジャマとして着るには、少々高価だ。

 それ以前に、寝間着としてはあざといと言っても過言でない。

 人に見せる以外の目的で着る者が居ることが信じられなかった。


(いや、考えるだけ無駄だ。ついでに言えば、これって男として認識されてねえ)


 月夜の顔を見れば、見事なまでにすっぴんだ。

 つるりとしたゆで卵のような肌が見ただけでわかる。

 髪も乾かし切れていなく、僅かに湿り気を帯びていて、まさに風呂上がりの姿だった。

 男の感覚からすれば、普段よりも可愛く見えるのだが、女子はそうではないだろう。

 そして、そんな姿を年頃の女性が、異性に見せるなど有り得ない。

 登未は静かに息を吐くと、壁から背中を離した。


「こっちも、早すぎたみたいだ。ごめん」

「い、いえ。こっちこそ、すみません。お待たせして……って、何持ってるんです?」


 月夜は登未の手を見て、首を傾げた。

 大きめの紙袋だ。部屋にあった適当な紙袋であり、袋に意図はない。

 登未は袋に手を突っ込み、中身を取り出す。


「俺の飲む酒を持ってきた」


 封は開いているが、ほぼ満タンのウイスキーを月夜に見せる。

 他にも幾つか持ってきた。月夜たちの買ってきた酒では物足りない。


「おー。かっこいい、ウイスキーだ。美味しいんです?」

「家で飲む程度なら、ぼちぼちかな……」


 家で飲むより、温度などを管理しグラスにも拘るきちんとした店で飲む方が美味い。

 しかし缶チューハイを飲むより、度数の高い酒の方が飲んだ気になる。

 黒いラベルと、揺れる琥珀色の液体を見た後、紙袋の中身を見る。


「あとは、つまみを幾つか、かな」

「おー、楽しみです。じゃ、立ち話もなんなので、どうぞ」


 月夜が扉から離れたので、登未は俄に緊張しつつ玄関に踏み込む。

 靴を脱ぎ、用意されていたスリッパに足を突っ込み、月夜の後を続く。


 通されたのはリビングだ。部屋全体から良い匂いがする。

 何の匂いかわからないが、華やかだ。

 少なくともこの部屋で煙草は吸えないと登未は諦めつつ、部屋を見渡す。

 ソファーがL字に並び、長い卓が中央に置かれていた。


(3LDKか、金持ちめ)


 視界内に扉が三つあり、間取りを理解した。思わず乾いた笑いを浮かべたくなる。

 新卒社員が、こんな部屋に住んでいると後が大変だろう。

 よほどいい男と結婚でもしない限り、これ以上の暮らしはできない。


(まあ、出会いさえ掴めば、あの顔と性格なら大丈夫そうだけどな)


 登未は月夜を眺めていると、キッチンへ向かっていった。

 視線を動かし、テーブル周りに目を向ける。

 紅葉が床に座っていた。

 ソファーがあるのに、床に座るのは何故だろうと思い眺める。

 視線に気づいた紅葉は登未に視線を返してきた。


「おつかれさまでーす」


 気の抜けた口調だった。紅葉は月夜とお揃いのルームウェアに身を包んでいる。

 テーブルの上にスナック菓子を広げ、囓っていた。

 その脇には缶チューハイを綺麗に積み上げている。


(暇だったのだろうか)


 タワーとなった缶を見て、長い夜になることを登未は覚悟した。

 紅葉とテーブルを挟んだ位置に腰を下ろした登未は、紙袋を床に置く。


「あれ、何持ってきたんですか?」

「自分用の酒です」

「……あの、大量にお酒があるんですけど?」

「絶対に飽きる自信がありまして」


 紅葉の少し呆れたような言葉に、胸を張って答える。

 度数の低い酒など、言わばジュースだ。

 舌が甘さに耐えられなくなる。

 月夜に見せたウイスキーの他に、酒瓶を二つテーブルの上に置いた。


「……やる気だ、この人やる気だ」


 テーブルの上に置いたのは日本酒だ。一人で一升はきついので小さめの、だが大吟醸を持ってきた。塩でも用意してもらえば、口直しには良い。そして、もう一つの瓶を見て、紅葉は小さく息を呑んだ。


「え、何する気なの、潰し合い?」


 声が少し震えている。置いたのはラム酒の瓶だ。

 度数としてはウイスキーと変わらない。

 冗談のつもりで持ってきた。開けるつもりは、そんなになかった。

 しかし紅葉は日本酒よりもラム酒を見て戦慄を始めた。

 紅葉の反応に目を丸くした登未は、訊ねる。


「……もしかして、バイトとかしてます?」

「え、ああ。はい、してますけど」

「飲み屋関係だったり?」

「まあ、はい」

「なるほど」


 ラム酒を見て、一般的に考えるのはジュースで割ることだ。

 ラムコークなどが有名だ。

 割り方を間違えない限り、そうそう辛い目には遭わない。

 そのため怯えるとなれば、ダメな飲み方を、そして地獄を知っている証拠となる。


 何も割らずに、小さなショットグラスで一気に飲む。

 それを繰り返す、アホのような飲み方だ。

 テキーラでやるよりも飲みやすく、しかしテキーラよりも飲んでしまうので、辛くなる。

 飲み屋関係でバイトしているのならば、その地獄を目にしたのも頷けた。


「家に、151ありますけど。持ってきます?」

「何で持ってんの!? ぜったいにイヤ!」


 紅葉が即座に反応してくれた。よくわかっている反応に登未は笑顔を浮かべる。

 ラム酒は通常40度ほどのアルコール度数だが、中には74度というキツい酒もある。

 151という名称が付けられているのが有名だ。

 ラベルに火気厳禁と貼られる酒であり、見ただけで胃が震える者もいるらしい。


「自分用なんで、気にしないでくださいな」

「……オフなんで、今日は穏やかに過ごすからね」


 紅葉が軽く睨んでくる。既に敬語が消えていたが、それはそれで良い。

 敬語を意識し続けて、酒を楽しめなくなるのは勿体ない。


(いっそのこと、あの子も敬語を消してくれれば良いんだけど)


 仕事でならいざ知らず、プライベートの場で堅苦しい会話は望ましくない。

 化粧の一つもしていない月夜は、まず自然体で過ごすことを決めているだろう。

 先輩と認識はしていても、異性としての意識を外しているなら、尚のことだ。

 

(誘導、しますかね)


 少し気を使ってみるかと、登未は嘆息しつつ、紙袋からタッパを取り出して卓に並べた。


「ねえ、月夜。この人、けっこうお馬鹿な人かも」

「え、ちょ、いきなりどうしたの?」


 紅葉は月夜に向けて声を掛けていた。驚いた顔で月夜は盆に皿とグラスを持って近づいてきた。缶のまま飲まないようだ。登未はテーブルの上を整理して、月夜から皿とグラスを受け取る。


「あ。どうもです。わー日本酒だ」


 手の空いた月夜はテーブルの上の瓶を見て、好奇に目を輝かせた。

 日本酒の存在に引くのではなく、楽しみと言った雰囲気だった。


「……、酒強いの?」

「え、どうなんでしょう? どうなんだろ?」

「月夜は滅多に酔わないよー。強い酒も飲んだことないけど」


 月夜に問われた紅葉が肩をすくめていた。どうやら、そこそこ酒は強いらしい。

 しかし度数の低い酒しか経験していないなら注意を払う必要がある。

 飲みたがっても、数口に抑えさせれば大丈夫だろう。


「あれ? このタッパなんですか?」


 月夜はテーブルの上のタッパを見て、首を傾げながら腰を下ろした。

 登未の隣だ。


(……なんで、鹿村氏の隣じゃないの?)


 ますます持って、登未を意識していないように思えた。

 それならそれで気が楽なので構いはしないが、僅かにもの悲しい。

 登未はタッパに腕を伸ばすため腰を浮かし、さりげなく月夜から距離を取った。


「ん。飯って食べてないんじゃないかと思って、作ってきた」

「……一時間で、ですか?」

「だから大した物は作れてないけど」


 タッパは三つ。蓋を開けてテーブルに並べた。

 一つは長芋を切って、オーブントースターで焼いて醤油とバター、そして鰹節を降った。

 もう一つは油揚げを切って、出汁と醤油を合わせて炊いた。

 最後の一つは、こんにゃくを拍子木切りにしてオリーブオイルとベーコンと一緒に炒めた。

 30分もかかっていないので、自慢できるようなものではない。


「……やば。なに、この女子力」


 紅葉が目を丸くして、こんにゃく炒めを摘まんでいた。

 口に入れて、咀嚼した後、登未を見てきた。

 感嘆した表情だ。


「え、美味しいんだけど」

「一応、気休めだけどヘルシーさにも気を使ってみた」

「なに? 天才ぴなの?」


 謎の言語と評価だったが、若者とはかくあるべきだ。気にし始めればキリがない。

 紅葉の反応が『不味い』でなかったことにも安堵した登未は、脇に積まれた缶チューハイを掴む。


「んじゃ、飲みましょかね。何からいきやす?」

「あたし、ブドウのー」

「あ、じゃあわたしは桃で」

「あいよ」


 すっかりホスト役に落ち着こうとしていた。

 女性陣の酒量の調整ができるし、役目があるならアウェイの飲みでも平気で過ごせる。

 登未は注文通りの缶を手に取り、グラスに注いで二人の前に置く。

 自分用にはレモンのチューハイを用意した。


(さて、会社飲みなら誰かが挨拶でもするんだが)


 グラスを持ったまま、登未は月夜を見る。

 友達同士ならば、挨拶は要らないまでも乾杯の音頭は取っていた。

 女子だけの飲みは、どのようにして始まるのかと、ほんの少しワクワクして展開を待った。


「それじゃ、一週間お疲れ様でしたー。かんぱーい」


 家主の月夜ではなく、紅葉が声を挙げた。

 そして挨拶も特段変わったところもない。わずかに拍子抜けしつつ、グラスを掲げる。

 グラスを合わせるべきか悩んだが、無難に上げるだけにした。


「えっと、乾杯するときは立場が低い人は、下から合わせるっと」


 しかし月夜が呟きながら、グラスを合わせようとしてきた。

 両手でグラスを持ち、下の方からグラスを差し出してくる。

 どうやら以前送った『飲み会指南』を実践しようとしているらしい。


(真面目なことだ)


 相手がグラス合わせを望むなら、しなければ可哀想なので登未はグラスを隣へと動かす。

 縁を軽く当てるだけの乾杯だ。しかし今この場は会社の飲みでもなければフォーマルの場でもない。

 グラスが当たる直前で、登未はグラスの位置を下げて、互いの高さが同じになるようにした。


「あっ」

「はい、乾杯」


 目を丸くする月夜に笑みを向けつつ、登未はグラスに口を付けた。

 レモン味と言われればレモン的だが、やはりジュースを飲んでいる気になる。


「え? あ、乾杯、です」


 軽く混乱しつつ、月夜はグラスに口を付けて、ちびりと酒を飲んだ。

 そして登未に何かを間違えたかと不安そうな瞳を向けていた。


「グラスの位置は、上司相手にはした方がいいけど。残念なことに俺は上司じゃあ、ない」

「……でも、先輩じゃないですか」

「まあ、気にすんなってのが無理かもだけど。家主なんだし、相殺でいいんじゃない?」

「……むう」


 堅苦しさは望んでいない。

 もし、自分がいることで場が堅苦しくなるなら、早めに帰るだけだ。

 そんな意思の籠もった目を登未は月夜に向けた。

 はたして伝わるだろうかと不安に思ったが、杞憂に終わる。


「……もう。わかりました。つい敬語がなくなっても怒らないでくださいね?」


 不満を一度顔に浮かべた月夜だったが、すぐに微笑んで小首を傾げた。

 望むところだ。

 異性として意識しないなら、上下関係すらも意識されない方が余程良い。


(意識なんて、されたくもない)


 思ったものの、ならばもの悲しさなど覚えるなと、自嘲気味に笑った登未はグラスの中身を一気に飲み干して、次の缶チューハイに手を付ける。


「さ。頑張って、処理してきましょ」


 こうして、後輩社員との飲み会が始まった。

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