四章 原因はビュリオラ、いろんな意味で5
*
『白い薔薇と赤い薔薇の寓話』
それは古い古い昔の話です。
人間が生まれてくるより、ずっと昔のこと。
そのころ、世界には、たくさんの精霊が住んでいました。
大地には、あらゆる四つ足の獣やトカゲや蛇、カエル、昆虫や樹木の精霊が。
空には鳥の精、水のなかには魚や貝の精がいました。
精霊たちは争うことなく、平和に暮らしていました。
あるとき、南から来た蝶の精が、白薔薇の精のもとに舞いおりました。
「なんて甘い匂いのする精霊だろう。ねえ、お嬢さん。あなたの蜜をわけてください。長旅を続けて、とても疲れているんだ」
「いいわ。蜜はたっぷりありますから。わたしたちの蜜は、あなたたち蝶の精霊には、ごちそうですものね」
「ありがとう。これで、のどがうるおいます。わたしは蝶の王子。遠い国から花嫁をさがしにきました」
「あなたたちは自由に空をとべて、うらやましいわ。わたしたち花の精は、生まれたところから動くことができないの。だから、大事な伝言を、あなたたちに、たのまなければなりません」
花の精たちは、どれも、みんな、とても美しいけれど、根っこを地面にしばられていないと生きていけないのです。
空を飛ぶ楽しみを知らないなんて……それどころか、生まれた場所から一歩も歩くことができないなんて、なんてかわいそうな種族だろうと、蝶の王子は思いました。
同時に、どこへでも飛んでいける自分のキレイな羽が自慢でした。その羽の美しさは、花の精たちにも劣りません。
王子は白薔薇の精に同情しました。
「では、いつか今日のお礼に、わたしがお役に立ちましょう。あなたが誰かに、ことづてしたいときに」
「ぜひ、たのみますね」
蝶の王子と白薔薇の精は約束をかわしました。
それから、しばらく、蝶の王子は白薔薇の精の近くで、仲間の蝶の精霊をさがしました。
アゲハ蝶やモンシロチョウ、シジミ蝶。
いろいろな仲間に会いましたが、なかなか花嫁にしたいと思うほどの精霊には会いませんでした。
さがしつかれて、ガッカリしたときには、王子は白薔薇の精の葉かげで羽を休めました。そのたびに白薔薇の精は優しく、なぐさめてくれました。
白薔薇の精は、蝶の精霊が大好きな甘い匂いがするし、優しく、美しい。
王子は白薔薇の精が、蝶の精霊だったらよかったのにとさえ思いました。
「白薔薇さん。あなたが仲間じゃないのが残念でならないよ。あなたの白い花びらは、わたしの青い羽に、とてもお似合いだと思うんだけどね」
「そうね。わたしも蝶の精霊だったなら、自由に飛びまわれたのにね。でも、王子。あなたは、きっと素敵な仲間を見つけるわ。そのときには遠くへ行ってしまうのね。さみしくなるわ。わたし」
そう言われると、蝶の王子の胸は痛みました。
あまりに仲よくなったので、なんだか白薔薇の精と離ればなれになるなんて、考えることもできません。
だけれど、花嫁が見つかれば、生まれた国へ帰らなければなりません。お父さまやお母さまが王子の帰りを待っています。
「いいや。わたしは帰らない。ずっと、あなたのそばにいる」
「そんなことはできないわ。だって、あなたは蝶の精。自由に飛ぶのが宿命よ」
「それはそうだが……帰らないよ。花嫁が見つかるまでは」
それからというもの、王子の花嫁さがしは熱が入りません。このまま見つからなくてもいいと思うようになりました。
白薔薇の精と暮らす日々が、とても幸せだったからです。このときが、ずっと続けばいいと思いました。
けれど、そんな、ある日のことです。
白薔薇の精のいる丘の上から、よく見える場所に、赤い薔薇が咲きました。歩きまわることのできない花の精には、手のとどく距離ではありませんでしたが、大きな声を出せば、話すことはできました。
「やあ、初めまして。白薔薇さん。こんな近くに仲間がいるなんて、ぼくはなんて、ついてるんだろう。これから毎日、話ができるね」
「ええ、そうね。赤薔薇さん」
白薔薇の精は思いました。
(なんてキレイな赤い色でしょう。おひさまのなかで燃える冠のようだわ)
赤薔薇も思いました。
(清らかで優しそうな精霊だ。あの花びらは、かがやく満月のようだ)
白薔薇と赤薔薇は、おたがいに、ひとめ見て、相手を好きになりました。
毎日、たくさんの話をして、いっしょに歌いました。
まるで生まれたときから、ひとかぶの幹から生えた花のように、相手がなくてはならないものになりました。
白薔薇の精と赤薔薇の精は、結婚することにしました。
それで、蝶の王子にお願いしました。
「蝶の王子さま。約束のときです。わたしたちの大事な結婚のしるしを、赤薔薇さんから受けとってきてください。わたしは、ここで待っていますから」
蝶の王子は白薔薇の精にたのまれて、心が二つに引き裂かれそうな気がしました。
そうです。蝶の王子は種族は違うけれど、もうずっと前から、白薔薇の精を好きだったのです。
白薔薇の精をほかの精霊にとられると思うと、体じゅうが燃えるように苦しくなりました。
王子は白薔薇の精のことづてをとどけるために、赤薔薇の精のもとへ行きました。ですが、口から出たのは、ウソの言葉でした。
「赤薔薇さん。白薔薇さんは丘の上に咲く、ほかの薔薇と結婚することにしたよ。同じ白い花の咲く精霊のほうがいいんだそうだ」
赤薔薇は傷つきました。
蝶の王子の言葉をたしかめようにも、彼には丘の上まで歩いていくことはできません。
丘の上に、ほかの薔薇の精なんていないことを、知ることはできなかったのです。
傷ついた赤薔薇は、とたんにしおれて、みるみるうちに枯れてしまいました。
王子は、ほっとしました。
これでまた、白薔薇と自分だけの楽しい日々が帰ってくると思ったのです。
けれど、なんということでしょうか。
王子が白薔薇のもとへ帰ると、赤薔薇が枯れるのを見た白薔薇は、悲しみのあまり、そのまま自分も枯れてしまったのです。
王子のついたウソは、赤薔薇だけでなく、大好きな白薔薇も死なせてしまいました。
王子は自分のあやまちに気づき、なげき、悔やみました。が、すべては終わってしまったあとでした。
蝶の王子は白薔薇のいなくなった丘の上で、いつまでも悲しみの涙をながしました。
「わたしがまちがっていた。どうか、精霊の王よ。白薔薇と赤薔薇を生きかえらせてください。わたしの命はいりませんから」
王子は来る日も、そこで祈り続けました。
そして、ある寒い日の朝に、ひっそりと息をひきとったのです。
王子の羽は、白薔薇のいた大地に、とけて消えていきました。
どれほど月日がたったことでしょう。
いつか、その場所に、新しい薔薇が咲きました。
その薔薇の精は、生まれたときから大地を離れ、歩くことができました。
蝶のように飛ぶことはできませんが、好きな人のもとへ、自分で歩いていくことができるのです。
花は、ふしぎな青い色でした。
*
読み進むうちに、エイリッヒは激しい酩酊感におそわれた。
心の奥底で、底流のように、次々と流れていく映像があった。
どこか遠くで起こることのように、ぼんやりと、かすんでしか見えないが、だが圧倒的な力を持つ記憶。
窓の外で荒れ狂う濁流が、すぐそこまで迫ってきているのを、くもりガラスのなかから見ているような、不安な気配。
知っている。
おれは、この話を知っている。
いや、これは、おれだ。
ここに書かれているのは、おれの物語だ。
(そうだ。おれの愛した白薔薇の精。おれは、おまえに裏切られた。あれほど誓いあった愛を、おまえはひるがえした)
やっと、わかった。
きっと、おれは、この赤い薔薇だ。
だから、いつも、白薔薇の幻影を追いもとめ、なおかつ愛しさとも憎しみともつかない感情にまどわされるのだ。
だが、その結果も、この本によれば、蝶の王子の奸計だった。白薔薇は悪くない。悪いのは、みんな、蝶の王子だ。
気がつけば、エイリッヒは涙を流していた。
絵本のページに、涙の粒が、ぽたぽた落ちて、彩色に丸い、にじみを作っていく。
(白薔薇……おまえに、会いたい——)
そのとき、カチャリと扉がひらいた。
リンデとシャルラン、王女が入ってくる。
「お待たせしました。お化粧なんて初めてなんで、シャルラン、大苦戦しちゃいました」
「いやぁ、ビックリした。こいつの顔、すげぇことになってんだもん。なおすの大変だった……って、おい、エイリッヒ?」
「どうしたんですか? エイリッヒさん。お腹、痛いですか?」
心配げにかけよってくるシャルランを、エイリッヒは見つめた。
まちがいない。彼女は精霊だ。
リンデがなんと言おうと、精霊の魂を持っている。
(薔薇の香り……シャルラン。おまえが、そうなんだな?)
どこかで見たことがあるような気がしたはずだ。
彼女こそ、エイリッヒが探し続けていた人。
かつて愛した、白い薔薇……。
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