一章 人形師と小間使い、そして魔術師7
*
どこから、どう見ても、きゃしゃな美少女なのに、走っていくあとには砂ぼこりが舞っている。まるで、野獣の通りすぎたあとだ。
エイリッヒは、ぼうぜんと見送っていたが、我に返り、出入り口の扉をしめた。
すると、らせん階段にすわり、窓から外をながめるリンデの声が、上からふってくる。
「すごい勢いで走ってくな。あいつ、絶対、ほんとは女じゃねえよ。てか、人間離れしてる」
高い位置からの声は、塔内によくひびく。
リンデは視線をこっちにむけて、続けて言った。
「いいかげんなこと言って。あの子、おまえのこと、ウワサどおりの悪党だと勘違いしたぜ」
「そのために流したウワサだ。かまわない」
「自分で自分の悪いウワサを流して他人を遠ざけるほど人嫌いなくせに、町へなんて行くなよ。あんたのことだから、どっかの女に親切にされてんだろうとは思っても、いちおう心配なんだからな」
「おれに説教してもムダなことくらい、知ってるだろ?」
「まあね」
そう。ムダだ。何もかもがムダな人生。
エイリッヒほど実りのない人生を送る者も少ないだろう。
エイリッヒの記憶は三十分ともたない。
学習したことも、出会った人も、すべてがエイリッヒの記憶からぬけおちていく。
リンデのように長く、ともに暮らしていれば、さすがにおぼえるが、その記憶だって完全とは言えない。ずっと会わないでいると、一年とたたないうちに忘れてしまうのだ。
今ではもう、自分を生んでくれた親の顔さえおぼえていない。
それは夢のなかをただようような人生。
不確かで、あやふや。
どうせ忘れるのだから、誰とかかわりあってもムダなこと。信頼も、愛も、遠いものだ。
ならば、初めから、いらないではないか。
いずれ失うものならば。
呪われし愚者。
なぜ、自分がこうなのか、エイリッヒには、おぼろにおぼえがあった。
それは、前世の呪いなのだ。
だからこそ、エイリッヒは話せるし、魔法を使える。
記憶のすべてが失われるだけなら、エイリッヒは言葉もおぼえられなかったし、他のどんな知識も蓄積されず、今でも赤ん坊の心のままだったはずだ。
だが、そうではない。
生活に支障はあるものの、まがりなりにも人並みに暮らせる知識はある。
これは、エイリッヒが生まれつき、あるていどの知識を持っていたからだ。
空が青く、海もまた青いことを、エイリッヒは生まれながらに知っていた。パンは食べるもので、水は飲むもの。自分が魔法を使えることを、誰に教わることなく知っていた。
エイリッヒの知識は、すべて前世の自分が知っていたこと。その記憶の名残なのだ。
だが、その前世の記憶も、かんじんなところは失われている。
ぽっかりと心にあいた大きな穴。
ただ、ときおり、薔薇の香りをかいだときだけ、一瞬、よみがえる。
過去の自分が犯したあやまち。
あの罪のために、自分は呪われているのだ。
(かすかに浮かぶ女の姿。おれは、あの女を探している……)
あの女から何かをとりもどせば、自分の呪いは解けるのだ。
薔薇の香り。白い薔薇……。
(おれは、あの記憶がよみがえっているあいだ、やたらに、そう言って女に抱きつくらしいが)
近ごろ、なんだか落ちつかない。
やけに前世の記憶がエイリッヒの心をつついて、町へと誘う。あの女の気配を近くに感じる。
「さっきの子、白薔薇のつぼみみたいだったな」
しだいに記憶から薄れていく、その姿を、けんめいに脳裏に描きながら、たずねてみる。
リンデは首をかしげた。
「ああ。でも、見ためだけだぞ。なかみは白薔薇っていうより怪獣だ」
明るくて純真で、人なつっこい。
どこか、なつかしい。
あの子を遠い昔、知っていたような気がする。
塔内に残る薔薇の香りのせいだろうか?
(あの子の残り香……)
エイリッヒは立ちあがった。
自分では、どうにもできない衝動につき動かされて。
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