トロウビョウ

村雨廣一

番外編*

まだらのゆめ

▼とくに本編とは関係がない

▼夢の話

―――





誰かに呼ばれたような気がした。


ふと気が付けば、斑はどこかで見たような、知らないような場所にいた。

いつもの黒スーツにすり減ったブーツ姿で、重さは感じないもののしっかり仕事道具まで担いでいる。立っているのに浮いているような感覚に、



(ああ、これ夢か)



と理解する。


さっきまでTシャツ一枚で猫のような毛並みの布団に気持ちよく包まっていたというのになんて迷惑な夢だろうかともやもやしていると、子供の声が聞こえたような気がした。

そこには涙と鼻水をすすりながら、口をへの字に曲げて座りこんでいる子供がいる。

見ようとすればするほど子供の顔の印象がぼやけていくのに、あれはとなぜか脳みそが認識している。


一体どうしてこんな夢を見ているのかと考えたが、まあどうせただの夢だ。


脳みその記憶整理。


たまたまそれを見れているだけで、そこに意味なんてない。



(……にしては動けないな)



適当に動いてみようと意識するも、どういうわけか指一本動かすことができない。お湯の中に浮かんでいるような、妙な浮遊感があるだけ。


その間も、子供はずっと鼻をすすり続けている。

別に夢なのでこのままぼんやりしていてもいいのだが、RPGの“NPCに話しかけないとストーリーが進まないお約束”をふと思い出して、



「ねえ、君」



と声をかけてみる。

自分自身に君と呼びかけるのはヘンテコな感じがしたが、まあいいだろう。

途端に体がふわりと前に進み、走れはしないものの子供に近づけるようになった。


一歩踏みだすと、足元が水で満たされた。


もう一歩進むと、無機質なコンクリートの壁が二人を囲むように現れた。


さらに一歩近づくと、海と草と、薬品の臭いが眼の奥を揺らした。



「そんなところで泣いてなんになるの」



子供は崩れそうな塀の上に座っていて、身に着けている清潔そうな白い服からは日に焼けていない細身の四肢が伸びている。

怯えたような、それでいて無関心な子供にもう一度問う。



「声も出さずに泣いて、君はなにがしたいの」



わかんない、と、しばらくの沈黙の後に子供は答えた。

問われたから仕方なくそれっぽい答えを出しました、というような声で。



「……あっそ」



斑は子供の座っている塀の下にスーツケースを底が海水にすっかり浸ってしまうのも気にせずに置いて、その上にすとんと腰かけた。

コンクリートの壁はどこまでも続いているように思えたし、どこかで崩れているようにも思えた。

周りをよく見ようとするととたんに世界がぼやける。

もたれた壁を爪でひっかくと、ぽろぽろと白い砂になった。それらは静かに打ち寄せる波にさらわれて、ふたたび足元の砂となって帰ってくる。

背中を預けていても温度を感じることはできないのに、目の前に広がるがれきの街からは鮮明な臭いを感じることができる。


望んでいるのだろうか、と斑は自分に問いかける。



(“あの場所”がこうなっていることを…? それとも畏れているのか、夢の中でも)

「ねぇ」



ふと、頭上の子供から声をかけられた。



「いきててたのしい?」



斑が顔を上げるも、子供の顔は見えない。



「は?」

「たのしいことはある?」



子供の顔を見ているはずなのに、視線がかち合わない。



「……、君よりは楽しんでると思うよ」

「すきなひとはいるの?」

「いるよ」

「どんなひと?」

「……よく知ってる人だよ。君のことを、世界で三番目に愛してくれる人」



いいな、とどこからともなく声が聞こえた。

あいかわらず子供の表情は見えない。

目鼻口はなんとなく認識できるのに、顔として理解することができない。



「ちょうだいよ」

「わたしにはないもの、ぜんぶちょうだい」

「いいな、しあわせそうでいいな」



いいな、いいなと子供は繰り返す。

その声が、顔が、今まで見たことがあるであろう人間でモンタージュされたものとで慌ただしく入れ替わる。


もうすぐ、目が覚めるのだろう。


腰かけていたスーツケースを踏み台にして、背よりずっと高い塀の上に飛び乗る。そして座る子供の胸倉をつかんで引き寄せて、虚空のような面を鼻で笑ってやった。



「よく聞け泣き虫、――」






*

「……、斑! おーい、起きんか、こら」



乱暴なセリフとは正反対に、優しい指先の温度に目が覚める。

目を開けると、しかめっ面をした久万が片膝をついて斑の頭を撫でていた。



「……、」

「うなされてたぞ、めずらしいな」



額にかかった細かい髪をよけてくれるその指先からは食器用洗剤のシトラスの匂いがした。大きく息を吸い込めば、焼け始めた魚とみそ汁の匂いも飛び込んでくる。胸いっぱいの幸せの匂い。



「朝飯食うだろ、早く顔洗ってこい」



しかめっ面のまま微笑む久万につられて、斑もふと表情を緩めた。











『久万さんは誰にも渡すもんか』/end

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