第6話 チャチャとグランとコルクとポトフ

『いいか?猫はそっち!俺はこっち!そしてお前はそこで、鳥はそっちだ!』


そう言ってネズミは、それぞれの寝るべき場所とやらをいちいち指でさしながら、ベッドの上で飛びはねていた。


あの後、コルクが約束通りにミモザお手製のシチューをふるまってもらった頃にはすっかり夜が更けてしまっていた。


「ありがとうございます。とても美味しかったです。」


コルクは玄関先でミモザにそうお礼を告げると、今夜の宿を探しに向かおうと考えていた。


「いいのよ。こちらこそ今日一日チャチャの相手をしてもらって。ついて行くの大変だったでしょう?本当にありがとう。」


そう言って少し申し訳なさそうな表情でコルク達を見送ろうとするミモザの目の前で、チャチャは再びコルクの足元へと近づくと、何度も何度も自分の体をコルクの足へと擦りつけ始めた。


『…にゃぁ~ん、にゃぁ~ん…』


チャチャはコルクの足に執拗に自分の体を擦りつけながら、上目遣いでミモザの事を見つめ、何やら甘えた声をあげている。


「…本当にチャチャはあなたの事がよっぽど気に入ったのね。本当に珍しいのよ、こんな事…あ!そうだ!もしあなたが良かったらなんだけど…」


そう言ってミモザは、コルクに庭にある離れをしばらく使用するように提案してくれた。


この離れは以前にミモザの両親が仕事場として使用していた場所のようで、中には簡易式のベッドや流し台など、一通りの生活用品が設備されていた。


所々に赤い印がつけられている壁に貼られた世界地図が、ミモザの両親が仕事でどれだけの国をまわってきていたのかを物語っている。


「…本当に、チャチャさんのおかげで助かりましたよ。」


ベッドの中で布団を整えながらそうチャチャにお礼を言うコルクに向かって、コルクの足元で丸くなっていたチャチャはこう答えた。


『…なぁに、別々の場所で過ごすより、こうして同じ空間で過ごす方が何かと都合がいいからな。』


そう言ってチャチャは、小さなあくびをしてみせた。


『…全く、まさか猫と同じ部屋で寝る日が来るなんて思ってもみなかったゼ!』


そう言ってコルクから借りたターバンをまるでベッドのように整えながら、不機嫌そうにそれをバンバンと叩いてみせるネズミ。


その姿はまるで先程コルクがベッドの布団を綺麗に整えていたのを真似するかのような仕草であった。


「…ところで、まだあなたのお名前をお伺いしていませんでしたね。」


『俺か?俺の名前はグランっていうんだ。この界隈じゃあ有名な俺の名前を知らないだなんて、お前さん、さてはモグリだな?』


コルクのその質問に、せっかく整えたはずのターバンから飛び出して、何やらポーズを決めながら答えるグラン。


『…私はもうかれこれ14年くらいこの街に住んでいるが、そんな名前は聞いたこともないな。』


『…なにぃ~!?』


チャチャのそんな返しに、グランは勢い良くベッドの上へと降りたつと、チャチャの事を強く睨みつけた。


「ははは…えっと僕の名前は…」


相変わらず険悪なムードを醸し出しているチャチャとグランのそんなやり取りに、苦笑いを浮かべながら、改めて自己紹介をしようとしするコルク。


…が、それを前足で制するグラン。


『おっと、自己紹介なんていらねぇよ。お前の事はお前だし、その鳥の事は鳥って呼ぶ。…そして所詮猫は猫だ。』


そう言ってベッドの上をピョンピョンと飛び跳ねながらチャチャに近づいて挑発を続けるグラン。


『どうせ今回の仕事が終わればお互い二度と会わない関係だ。名前なんて必要な…!!』


相変わらず挑発的な態度でそう言いかけたグランの頬を、チャチャがペロリと舌で舐めた。


『…ひぃっ!!』


チャチャに頬を舐められたグランは、小さな悲鳴をあげると同時に全身をブルブルと震わせながら、体を硬直させて後方へと倒れ込んだ。


チャチャは倒れたグランを前足で優しく引き寄せると、自分の体で柔らかく包み込みながらそっと目を閉じた。


コルクはそんなチャチャとグランのやり取りを微笑みながら確認すると、部屋の灯りを消して自分も静かに床についたのだった。



◇◇◇



「あら、おはよう。コルク、チャチャ、そしてポトフ。」


小鳥のさえずりと共に窓辺から射し込んできた光によって目を覚ましたコルク達は、それぞれがそれぞれの身支度を整えると、猫拐い事件の調査の為にもう一度港に行ってみる事にした。


離れを出てすぐ、庭の手入れをしているミモザに出逢った。


ミモザは扉から出て来たコルク、ポトフ、チャチャに向かって挨拶をしたが、コルクのターバンの中に隠れているグランの事はもちろん見えていないようだった。


…もっとも、自分が大切にしているあの離れの中に今はコルク達だけではなく、ネズミまで招き入れているという事が知れてしまったら、ミモザはもう二度とあの建物を貸してはくれないだろう。


そう考えたコルクは、ミモザに不審がられてしまわないよう、なるべく自然な仕草で頭の上のターバンを整えた。


「…あ!コルク君、朝ごはんはどうするの?良かったら一緒に…」


ミモザがそう言いかけた瞬間…


「ミモザ~!このタオル、どこに置いとけばいいの~?」


そう言って部屋の中からクリフが出て来た。


クリフは風呂あがりだったのか、ランニングシャツに短パンというラフな格好で外に出て来た。


洗いたてなのか、まだ髪もかなり濡れている。


「あっ!あの!今度からタオルはそのまま洗面台の所に置いててくれればいいからっ!」


そう言ってミモザは、恥ずかしそうにクリフからそのタオルを受けとると、まるで目のやり場に困っているとでも言わんばかりの表情で頬を赤らめながら、慌ててクリフから目を反らした。


船旅のお守りだろうか。


そんなラフで露出の高い服装であるにも関わらず、クリフの首元と左手首には銀細工のアクセサリーがこれ見よがしとつけられており、その派手な装飾品と質素な服装との温度差が妙にコルク達の目をひいた。


一方チャチャの方はというと、クリフの姿を見た瞬間に、黙ってコルクの足元へと身を隠した。


チャチャのそんな行動に気がついたクリフは、コルクに向かって苦笑いを浮かべながらこう言った。


「…いやぁ~、チャチャちゃんにはすっかり嫌われてしまっていてね。まぁ、はじまりは僕がチャチャちゃんから距離をとってしまったのが原因なんだけど…ほら、僕実は猫アレルギーだから。」


そう言って、少しだけはにかんだ表情を浮かべながらチャチャと同じようにミモザの背後へと隠れるクリフ。


「…ところで朝ごはんの事なんだけど…」


ミモザがそう言いながらチラリとチャチャの方向に目をやった事に気がついたコルクは、


「あぁ、僕がチャチャさんの散歩についていくついでに市場で何かしら食べさせておきますよ。宿を借りているお礼です。せめてそのくらいはしないと。」


と笑顔で答えてみせた。


こうしてミモザとクリフに軽く会釈を済ませたコルクは、チャチャと共に港へと向かう事にしたのだったが、ミモザの家の門から外に出た瞬間に、コルクのターバンの中で身を潜めていたはずのグランがひょっこりと顔を出すと、首をかしげながら小さく呟いたのであった。


『…あの男…どうもどっかで見た事があるような気がするんだよな~』


コルクとチャチャは、そんなネズミの小さな呟きすらも決して聞き逃す事はなかったのだった。

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