まとわりつく繊維感

「お待たせしました、黒髪アイスクリームです」


 娘はすぐにやってきた。旅人は震える手でそれを受け取った。

 竹の器に入ったアイスクリームは、ゴマのペーストに似た色をしていた。ゴマの入ったアイスクリームは、以前信濃の伊那谷で食べたことがあった。がしかし、この表面には、黒く細かい繊維質のものが無数に見てとれた。


 娘が小屋の奥に下がっていたとしたら、囲炉裏の上で器をひっくり返し、銭を置いて立ち去る勇気が湧いたかもしれない。しかし娘は上框あがりかまちに腰をかけ、そわそわと旅人の様子を伺っていた。

 おそらく、彼が及ぼうとした「勇気」は、すでに誰かが実践していたのかもしれない。娘の視線は徐々に、アイスクリームと旅人の口元へと注がれてゆく。

 彼に残された選択肢はもう残っていない。もはや舌を伸ばして、ゴマペースト色で、無数の繊維質が埋もれた得体のしれない物体と溶け合うほかないと。


 ――。

 ――。


 その舌触りは、ふんわりとなめらかなものだった。そのあとで、じんわりと生クリームの芳醇な香りが舌を包んで離れなかった。

 クリームを飲み下してもなお、口のなかに残香は漂う。その余韻は、格別といってほかならぬものであった。


 多少の歯茎にまとわりつく繊維感を除けば、の話だが。



「どう、でしょうか」

 おそるおそる、といった様子で尋ねてくる。旅人はもう二口だけアイスクリームを舐めとると、彼女に問いかけた。


「これは、いつ出しはじめたんだ」

「え、あ、と。昨年の夏から、です」

「他の品は昔からあるものだな」

「はい、そうですが……」

「この茶屋の屋根は、その頃に張り替えたのか」

「少し前です。一昨年の秋です」


「なるほど。君は、三年ほど前に親を亡くされたのだな」

「え」

 旅人の発言に、娘は目をまるくした。


「すまぬ。品なき詮索であった。忘れてくれ」

「あ、の、そうではないんです。仰るとおりだったので、呆けてしまったのです」

「種を明かそうか」

「あの、はい、お願いします」


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