第30話 苦手な

 

 春先から夏にかけて藤野の家は少し騒がしい。


 というのも家主である藤野龍騎が休みの日のみ、の話だ。


 琉斗は今日の夕御飯を何にしようかと考えながら窓から外を眺めていた。昨日は肉料理だったから魚にしようか。何とか野菜も混ぜて食べてもらわないと母親が近いうちに倒れそうだ。


 野菜は何が残っていたか。残っているものを確認しようと立ち上がった瞬間、窓の外でなにか大きなものが上から地面へと落ちていった。自分の部屋は一階にある。ということは二階から物が落ちてきた。


 何が? と思っていた時が遠い昔のように感じる。そんな年ではないはずなのに。琉斗は溜息を付いて目の前の窓を開けた。そう広くない庭の地面の上に誰かがいる。


「お父さん、地面に降りるのはいいけどその靴下のまま上がってこないでね」


「琉斗……、あの、あのな」


 靴下のまま二階にある自分の部屋から落ちてきた父親は心なしか焦っているように見える。逃げるように自分の部屋から出てきたのだから当たり前なのかもしれない。この時期の日常になりつつある光景に琉斗は笑いかけた。


「いいよ、僕が処理しておくから。お父さんはくつろいでて」


 息子である琉斗になだめられて安心した龍騎は靴下のまま庭を歩いて家の玄関へと向かう。


 さて。


 琉斗は窓を閉めると部屋の棚に置きっぱなしとなっているスプレーを片手に父親の部屋に向かう。


 父親がこの部屋から逃げるように窓から出て行ったのは部屋の中に彼の苦手なモノが入り込んだからだ。


 それは黒く、動きが早く、小さい。時にそれではなく足の異様に覆い体の長いモノが入り込んでも父親は部屋から逃げ出すが、今回は前者だったようだ。


 スプレーから出た細かい泡が黒いものを取り込んで固まる。泡だけを摘んで処理用の袋へ入れる。


 これよりよっぽど恐ろしい物を相手にしているはずの父親。どうにも頼りなく見えてしまう。


「ありがとう、琉斗」


 お礼に返事を返して家の外にあるゴミ箱へ虫が入ったままの袋を捨てる。今はこうして手も触れずに退治できる。けれど父親はいつだって虫が発生すると脇目もふらず逃げてくる。


 琉斗が居ない時には部下を呼んだりしているが、それすら出来ない時のみ自分で対処する。


 もちろん、そういった場合はカーペットがダメになるか部屋が強盗に荒らされたかのようにひどい状態になる。あんな部屋を片付けるのは二度とゴメンだ。


 琉斗は部屋に戻るとスプレー缶を元の場所に戻した。


 予備はいつだって用意してある。出来ることなら自分で対処してほしいものだが、養ってもらってる身で余計なことは言わない、言えない。


「琉斗ー買い物に行こう。野菜とか少なかっただろ?」


「うん、今行く」


 養っているなど、きっとそんなことは露ほども考えていないけれど。


「そういえば菓子も無かったなー。みこが騒ぐ前に買うか」


「夕ごはんは何がいい?」


「あー、昨日はなんだっけ。昨日ガッツリ肉だったし、軽いもので良いんじゃないか?」


「うん。お父さん」


「んー?」


 父親の空いた左手を見ていた。


 何故か虫を殺せない、けれど刀を握る。


「いつも、ありがとね」


 視線を上げて父親の顔を見るといつものように優しげに笑っていた。


「こちらこそ、いつもありがとな」


 見ていた左手は照れた姿を隠すように髪を触った。

 

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