第13話 秘祭5

 

「りんご、もどれ。お前はこの子見てろ、やんちゃだから逃げられないようにな」


 傷つけられた蛇は黒い体をゆらゆらと揺らす。苛立っているのは目に見えている。


 生贄として差し出された少女を食べ損ね、空を飛ぶ白い竜には傷つけられ、目の前の赤い髪の人間には馬鹿にされる。自分は特別なのに。


 蛇は口を限界まで開くと旅人の居た場所に飛びかかる。目に止まらぬ早さは少女の目では捉えきれない。旅人の姿が蛇の口の中に収められて消える。


 思わず駆け寄ろうとすると空から降りてきた白いドラゴンが行く手を塞(ふさ)ぐ。


「やっぱりコイツも【欠片】か」


 旅人の舌打ちは蛇の頭の上から聴こえてくる。


 見上げれば刀を振り上げた旅人が落ちてくる。落ちる勢いのまま刀を振り下ろす。振り下ろされた刀が蛇の体に触れる直前、光を放つ。


 刃の長さを伸ばすように光は集まり、蛇の体へと喰いこむ。


 痛みに蛇の断末魔が上がる。


 旅人の落ちる勢いは変わらず、光の刃は蛇の首を落とす。


 旅人が祭壇に足を落とすのと同時に蛇の体が力を失う。首は祭壇へ転がり、長い体は森の中へと倒れこむ。


「旅人さん……は、誰?」


 少女は座り込み、旅人を見上げた。旅人の向こう側に見える赤い満月が青い祭壇を照らす。


「……俺は、この国の騎士団第一部隊の隊長。藤野龍騎。今宵君を誘拐するために約三日間、社に潜入させてもらった。そちらの白い竜はりんご。俺の相方だ。これから君を連れ帰る足となってくれる。さて、他に質問は?」


 少女は周りを見渡した。倒れている世話係の男たち。どろどろと溶けていく蛇の頭と体。こちらを心配そうに顔を寄せてくる白いトカゲのような何か。


 刀をしまう旅人、藤野龍騎。


 気になることはひとつだけだった。


 これからあたしはどうなるの?


 世話役もいない。役目もなくなった。使命のなくなった人はどうやって生きているの?


 少女の問いに龍騎は笑った。


 差し出した手を掴む少女を力ずくで引き寄せ、横向きに抱き上げる。バランスの悪さに少女は龍騎の首へと手を回す。


「生き方なんて知らないよ。そんなのはこれから決めればいいんだ。君が決めるんだ、ミコちゃん」


 もう生贄なんて馬鹿げた使命、ないから。


 龍騎は少女を、ミコを抱えたまま地を蹴りりんごの背中に座る。自分の前へミコを下ろし手綱(たづな)を握る。


「しばらくの間は俺の家で暮らしてもらう。今までより質素かもしれないが、文句は言うなよ?」


 強く手綱を引けばりんごが羽ばたき白い体は宙に浮く。


 白の背中から下を見下ろす。青い光がどんどんと小さくなっていく。自分の住んでいた社が見えなくなっていく。


 寂しいか。つらいか。戻りたいか。


 ミコを両手の内側に押さえたまま龍騎が問う。何を言ったところで誘拐をやめるつもりはない。けれど聞かずにはいられなかった。


 十年。生まれてからずっと。親から切り離された子供を育てた人間と場所から拐(さら)っているのだから。


 少女は静かに首を振った。


 寂しいも、つらいも、わからない。


 ばさり。


 静かな夜空にりんごの羽ばたきの音だけが響き渡る。


「ほんとうは」


 月を見上げ、ミコを見ず、龍騎は話す。


「もっと早く君を拐うという策もあった。だが、そうなると【欠片】、君たちが神と崇(あが)める蛇が出てこなかったかもしれない。だから策を秘祭当日まで延期させた」


 自分がそれを命令した。


 だからごめんと謝る龍騎にミコは何も言わなかった。


 代わりに、龍騎の左腕にミコの全体重がかかる。慌てて左手でミコの体を自分へもたれかからせる。肩にミコの頭が当たる。


 空を見上げる形で体を傾け、頭をミコの目は閉じられている。口元に手を当てればわずかに息が当たる。額に手を当てても目立つほどの熱はない。あの祭壇に上がってから傷は負わせていない。


 ミコは眠っていた。


 少しだけ微笑み気持ちよさげに龍騎へ体を預けて夢の中へと歩みを進めていた。


「仕方ないか。夜中だしいろいろ考えさせちゃったからな」


 本当に本当のことを言えば、秘祭が終わったあと、周りの結界が緩んだ瞬間に結界を突破して欠片を殺す作戦だった。結界を崩すのはミコに渡した笛だ。


 欠片が巫女を喰らい、力を得て安堵したところを殺す。


 そのつもりが、情が移ったとでも言うのか。手の中の少女が哀れだとでも思ったのか。作戦を捻じ曲げ、少女を生きたまま誘拐することを決めた。世間からはじかれたミコのような人間を皆救うことはできないとわかっているのに。


 そういった人間の行き着く先を知っているはずなのに。



 彼は手の中の少女を強く抱え、手綱を引いて飛ばす速度を上げる。



 明け方には、家に着く。

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