第四話

「♬────────」

 猫は駅の広場のオブジェの上に座っていた。

 広場の真ん中、一番目立つところだ。

 周囲を観客に囲まれても怯む様子はない。気持ち良さそうに歌っている。

「つくづく、変わった猫だな」

 ダベンポートはリリィに話しかけた。

「本当に」

 リリィも頷く。

 その猫は真っ黒な長毛種だった。毛が長いところを見ると元は上流の家に飼われていたのかも知れない。その猫の顔立ちは幼く、小さい体はまだ華奢だ。生まれて半年は経っていないだろう。

「🎶────────」

 毛ばたきのような尻尾を時折振りながら猫が気持ち良さそうに歌っている。

 低音から高音。高音から低音。鳴くというよりは奏でるといった方がいいかも知れない。まるでオルゴールのような音色だ。

「♪───────‖」

 ふいに猫の歌が終わった。

 歌うのをやめて、毛づくろいをしている。第一幕はおしまいということなのかも知れない。

 まばらな拍手。

 周囲の観客たちが猫の首の袋に小さく折りたたんだ紙幣を押し込んでいる。小柄な猫の首から下がった小さな袋だったが、折りたたんだ紙幣だったら結構な量が入りそうだ。

「リリィ」

 ダベンポートはポケットから小さな手袋を取り出した。

 リリィのサイズだ。

「ちょっと手を貸してごらん」

 とリリィの両手に手袋をはめてやる。

「これで猫に触っても安心だ。でもベタベタ触るなよ」

「はい、わかってます」

「それで、だ」

 ダベンポートはポケットからパラフィン紙に厳重に包まれた小さなものを取り出した。手袋をした両手で慎重にパラフィン紙を剥がす。

 中から出てきたのは紙幣だった。

「これは危ないものじゃない。ガブリエルだけにわかる強烈な匂いを染み込ませた特製の紙幣だ。これをあの猫のおひねり袋に入れてきてくれないか?」

「わかりました」

 リリィは弾むように猫に近づくと、おひねりいれの袋にその紙幣を押し込んだ。

 猫に触るようなことはせず、すぐにダベンポートの元に戻る。

「これでガブリエルはそれこそ地の果てまでもあの猫を追うようになる。猫が家に帰ったらガブリエルに追わせよう。それまでは猫の歌の鑑賞と洒落込もうか」


 ダベンポートとリリィは猫がよく見える、近くのオープンテラスに席を取った。

 お腹はいっぱいだったが何か頼まないわけには行かない。ダベンポートはミルクティー、リリィはホットチョコレートを注文する。

「僕はここでガブリエルを見張っていないといけない。リリィはもっと近くに行って猫を見てきていいよ」

 とダベンポートはリリィに言った。

「いいのですか?」

 そうは言いつつももう気はそぞろのようで、盛んに猫の様子を伺っている。

「ああ、見ておいで」

「じゃあ、ちょっと行ってきますね」

 リリィは立ち上がると小走りに猫の方へと走っていった。

「本当に生き物が好きなんだなあ」

 つい、独り言が漏れる。

 ガブリエルは力なく垂れ耳を広げ、ダベンポートの足元で眠っていた。

 薬が切れたのかも知れない。猫の方から好きな匂いが漂っているはずなのに、我関せずとばかり眠っている。

「おい、ガブリエル」

 ダベンポートは足元の黒いモップに声をかけた。

「お前は行かなくていいのか?」

「…………」

 返事はない。

「ふむ」

 まあ、今起こすこともないだろう。ダベンポートはテラスの椅子に背中を預けると、瓦斯ガス灯に明るく照らされた広場でのんびりと毛繕いをしている黒い猫とその周りの人だかりををのんびりと眺めた。


+ + +


 結局その日のコンサートは五幕まで続いた。

 途中で大道芸人のアコーデオンの伴奏も加わり、コンサートは盛況だ。

 アコーデオンの大道芸人もおひねりをもらって嬉しそうにしている。

(さて、リリィはどうしているかな?)

 リリィはその後一度も戻ってきていない。まだ半分ほど残っているホットチョコレートがすっかり冷めてしまっている。

(ああ、いた)

 リリィは人混みの中でハンドバッグを覗き込んでいた。一枚の紙幣を財布から取り出し、それをおずおずとアコーデオン芸人に差し出している。アコーデオン芸人はリリィから紙幣を受け取ると、舞台俳優のような大仰な礼をして見せた。

 一方の猫はと言えば、オブジェの上で前足を舐めていた。時折その前足で顔を拭い、毛繕いに忙しい。周りの観客が少しでも猫に触ろうと手を伸ばすが、我関せずといった様子だ。

 ふいに猫は背中を丸めて大きく伸びをすると、するっとオブジェから飛び降りた。そのまま、道を開ける観客の間を抜けるようにして広場の向こうへと歩いていく。

(ふん、大スターの退場か。貫禄あるな)

「ガブリエル、おい、出番だぞ」

 足元で惰眠を貪る黒モップの脇腹を足で突く。

 ダベンポートはポケットから小瓶を取り出すと、中の液体をスポイトで吸い上げた。スポイトの先をガブリエルの口の端にねじ込み、液体を流し込んでやる。

「さあ、起きろ」

 麻薬の効果は覿面てきめんだった。

 それまで不貞腐れたように寝ていたガブリエルが身を起こし、一回身体をブルっと震わせる。垂れ耳が起き上がり、眠そうだった目に眼光が戻ってくる。

「何が入っているんだか知らんが、すごい効果だな」

 ガブリエルはすぐに鼻を高く突き出すと、早速何かの匂いを嗅ぎ始めた。

「ほお、もう判るのか」

 しばらく周囲を確かめた後、ガブリエルは編んだ引き綱リードを持つダベンポートを引っ張る様に歩き始めた。

「いいぞ、行け、ガブリエル」

 ダベンポートはテラスにお代の小銭を置くと、ガブリエルに引かれながら足早に歩き始めた。


 ガブリエルが最初にダベンポートを案内したのはリリィの手袋だった。

 尻尾をピンと立て、右足だけを上げてリリィをポイントしている。

「あらガブリエル、お迎えに来てくれたの?」

 リリィはガブリエルの前にしゃがみこむと、その頭をわしゃわしゃと撫でた。垂れた耳の後ろを掻いてやり、ついでに背中も撫でている。

 だが、ガブリエルの姿勢は変わらない。撫でられても掻かれても一心不乱にリリィの手袋を見つめている。

「ガブリエル、そっちじゃない」

 少し呆れてダベンポートは言った。

 確かにその手袋には少し、ほんの少しだけ紙幣の匂いがついているはずだ。

 だがそれを嗅ぎ分けるとは尋常な嗅覚ではない。

「ガブリエル、猫を探しに行きましょう?」

 立ち上がったリリィが屈みこんでガブリエルに話しかける。

「ブフッ」

 ガブリエルは一言返事をすると、ダベンポートとリリィを案内するかの様に新たな方向へ向かって歩き始めた。

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