「――以上がここに来るまでの顛末です。最重要機密として扱われていた葵日向の居場所が特定されたため、このまま石山寺に日向を置いておくのは危険だと判断し、ここ、方舟学園につれてきたというわけです。ついでに第二機関の春原家から護衛の春原桜と許婚の七夕花蓮も連れて来ました」

「概ね報告書通りだな、Dr.アート」


 東京湾の真ん中に浮かぶ全長15km、全幅10kmのちょっとした街くらいの巨大な母艦、その甲板の中心部にあり甲板のほとんど占領する敷地面積を誇るここは私立方舟学園、NNN第一機関が運営する魔術士育成機関だ。

 魔術士とは魔術使いの武器の携行、一部条件化での戦闘行為の許可を得られる資格のことであり、この学校ではそんな魔術士を目指している魔術使いの子供たちが集まり研鑽を積んでいる。

 その名の通りこの『方舟』に建てられた全寮制の中高一貫の学校で。方舟の甲板には方舟学園の他に学生たちが暮らす寮や郵便局、銀行、コンビニにスーパーなどの日用雑貨を販売する店などもある。約5000人の学生と教師、乗組員に各施設の職員占めて6000人くらいがこの方舟で生活している。

 そんな方舟の上、僕は艦橋兼方舟学園校舎の最奥、理事長室と所長室とを兼ね備えた艦長室にいた。


 僕の目の前には艦長というか、海賊船の船長とか、頭にやの付く職業の組長とかって感じの、かっこよく制服の上着を羽織る顔中古傷だらけの厳つい女性、NNN第一機関所長兼方舟学園理事長兼大型母艦『方舟』艦長、矢車菊乃がいた……相変わらずすごい肩書きだな……。


「今回は急な任務地移転に協力していただいたこと、感謝します、鉄拳の姐御」

「鉄拳は止めろ恥ずかしい、どうせならお前とか瀧貴さんみたいにカッコいい通り名が欲しかったよ」


 紙巻煙草にオイルライターで火をつけながら、ちょっぴり残念そうに姐御はぼやいた。

 正直、彼女にこれほど似合う通り名はないと思う、武器を持たず拳一つで数々の戦場を駆け抜け、あらゆる障害を鋼のごとき拳で打ち砕き、その左手を喪失し本当の意味で鉄拳になるその日まで、鉄拳の名はテロリストどころか同僚の間でも畏怖される存在だった。

 これでまだ、四十路を越えたばかりの一児の母親の経歴だというのだから、末恐ろしい限りだ。


「お前もここのところ、張り詰めていただろ。一服どうだ?」

「では失礼して」


 自分の煙草を取り出し、姐御に火を借りる。

 この見た目じゃ、成人してるって、言っても信じてもらえないから人前で吸うのは憚られるし、煙草の匂いを服につけて疑われるのも面倒だからここしばらくはご無沙汰だったけど、僕のことを知ってる喫煙者の傍なら気兼ねすることもないし煙草一本分の臭いが付いたところで誤魔化せる。


「それよりもだ、確かにここは石山寺の次に安全といえるだろう、絶対防御結界の試験稼動中だからな、それで、どうしてお前までうちの制服を着ている? そしてなぜ女子制服なんだ」

「ああ、これですか」


 僕はいつものNNNの制服の上に白衣という格好ではなく、方舟学園のブレザーの上に白衣を羽織り長い髪も邪魔にならないようにまとめ上げている。


「結構似合ってますよね?」

「たしかに似合ってるがそうじゃない、お前はここに通う必要ないだろ」

「いえいえ、今回の襲撃はたまたま僕が傍にいたから即座に撤退できましたけど、もし次の襲撃が僕と離れているときに訪れたりすれば、桜だけじゃどうしようもなくなると思いまして。なので、出来るかぎり日中も傍に控えておこうと思いまして」

「それはわかった、が、どうして女子の制服なんだ? 見た目的にも中身的にも不明瞭だが生物学上は一応男だろお前」

「実は僕も最近になって気が付いたんですけど……これを見てください」


 白衣のポケットから三年ほど前にボスから貰った、身分証明書を兼ねたパスポートを見せる。


「……またあの御人の仕業か」

「ご明察です、今度ボスに会ったら挽肉ですね」


 パスポートの性別の欄には女性を示す記号が記載されていた、そう姐御の言うとおりこれはボスの嫌がらせだった。

 別に中性的な見た目であることは自覚してるし、よく性別を入れ替えたりするけど、性別の切り替えにはそれなりの準備が要るから、そういうのは事前に言っておいてもらわないと結構困る。たまたま今回は『中性』で固定していたからそこまで切り替えに手間取ることは無いにしてもだ。


「とりあえずお前たちの編入の手続きは完了させておく」


 姐御は机の上の編入手続きの書類一式をを片すと、その下から僕の報告書が顔を出した。


「問題はこっちだな、出来れば二度と聞きたくない名だったよ『黄金の環』と『一つの指輪』」


 その二つの名を口にした姐御は無意識にか、かつて豪腕を引っ提げていた肩に手を当てる。

 姐御は黄金の環の指導者を撃破し、魔導具『一つの指輪』を回収した。

 黄金の環の一斉検挙、今では『ムーンブレイク』と呼ばれている案件の一翼を担った英雄だ。しかし、その名誉の代償は大きく、姐御は当時『黄金の環』の指導者が装備していた『一つの指輪』の力により、鉄拳の由縁である左腕を失った。

 そうまでして、壊滅に追い込んだ黄金の環と回収したはずの『一つの指輪』が現れたという事実は、姐御にとっては嬉しい話ではないだろう。


「確認しておきたいが、その黄金の環を名乗っていた男――確か暗号名は『トリガー』だったか、ソイツが持っていた魔導具は本当に『一つの指輪』だったんだな?」

「ええ、僕も目を疑いましたが、ここに来る前に保管されている方の『一つの指輪』と波形を照合しましたが、完全に一致しました、僕の目に間違いはありません」

「『一つの指輪』なのに二つあるとか、笑えない冗談だな」


 便宜上、指輪物語から引用しただけの名前だから、名前の通り一つだけとは限らない。実際、今まで発見された魔導具の中にも、全く同じ魔導具が発見された事例はいくつかある。


「おそらく、今までの例に漏れず、元来は一つの魔導具だったのだと思います。人為的か自然的にか、までは不明ですが何らかの要因で二つ、またはそれ以上に分裂したんでしょう。どちらも指輪の形状をしてるところをみると人為的と考えるのが妥当ですが」

「なんにせよ、運悪くもう一つあった『一つの指輪』は黄金の環のシンパの手に渡り、新生『黄金の環』を立ち上げたってことか」

「ただのシンパなら良かったんですがね」


 先代『黄金の環』が脅威となり得たのは単に『一つの指輪』の力だけでなく、指導者としての影響力、カリスマと言ってもいいほどの組織力で多くの魔術使い至上主義の右翼派を纏め上げていたことにある。

 そこらへんにいる有象無象が一つの指輪を所持していたところで、大した脅威にはならない、精々軽犯罪を犯して捕獲されるのが関の山だろう。

 だが今回、事件の引き金になった存在として『トリガー』と呼ばれるようになったあの男は、瀧貴さんが鍛え上げた屈強な僧たちだけでなく瀧貴さん本人までも圧倒する実力を持っている。さらに言えば、今回ことを起こしたということは、もう既に奴の周りにはNNNを相手取れるほどの同志が集っていると見ていい。


「悪いことは重なるもので、この事実は警察を介してマスメディアにも取り上げられてしまいましたね。これで、さらに各地で燻っていたシンパが奴のとこに集まると見ていいでしょう」

「後手後手だな、束の間に平和に呆けていたのか我々は?」


 姐御はイライラした様子で頭を抱える。


「否定はできませんね、なにせ直にその平和が恒久的なものになろうとしていたのですから」

「絶対防御結界『アキレウスの鎧』か」


 二十と数年ほど前、当時この方舟学園の学生だった天才魔術学者アルベルト=ウィンジッドが開発した人工魔導具、絶対防御結界『アキレウスの鎧』、通称『アキレウス』はその名の通り生物に加わる、ありとあらゆる衝撃、熱、紫外線までも吸収しダメージをゼロにするという、まさに世紀の大発明だ。

 この発明品が発表された当初、あらゆる軍事組織からアキレウスを望む声が届き国家予算レベルの値段を提示されたが、ウィンジッドはこう言った『アキレウスは稼動実験を成功させてようやく世に出せる、NNN指導の下、方舟で三十年正常に連続稼動に成功したとき、アキレウスの設計図と材料を無料で各国に配布する』と。

 それはすなわち、誰にも等しくこの神のごとき力を提供すると言ったのだ。


「アキレウス稼動実験終了まであと七年。先代の『黄金の環』は武力による声明が意味を成さなくなることを危惧し、三十年以内に革命を起こそうとした。つまり、テロリストや革命家からすればアキレウスが全世界に配備される前になんとかしたいんだろうな」

「人を傷つけなければ通せない主張ってなんなんでしょうね、もっと平和的な手段がきっとあるはずなのに」

「どうだろうな、奴らは魔術使い以外を排斥を望んでいる以上、武力抗争は避けられないだろう、かつての黄金の環がそうであったように」


 ムーンブレイクは幾度もの平和的解決の交渉の試みの果て、互いに平行線で交じり合うことがないと判断されたため、徹底排除の姿勢をとった結果だ。相容れないから、互いにどちらが音を上げるまで傷つけあうしかないと。


「先代と目的が同じだとするなら、奴らの原動力は大衆への不満だな。それも一朝一夕では解決できないほどの積もりに積もった。人魔戦争から大分経つというのに、未だに魔術使いにとっては生きにくい世の中だし、気持ちは解らなくもないよ。手段はまるで理解できないが」

「司法も社会制度も生物的に弱者である大衆に寄ったものですからね、どんなに魔術を使わないようにしても身体能力の差は天と地ほどありますから、ちょっとしたことで魔術使いは大衆を傷つけてしまい『化け物』として扱われてしまう」


 かといって完全に別個の存在として住み分けてしまえば、共存の道が絶たれてしまう。NNNはそんな垣根を越えるために活動をしているのに、暴力に訴えてしまえば、二つの種族の距離は遠ざかっていく一方だ。


「誰しもがお前のように感情を採算に入れない合理性を身に付けていれば、こんなことは繰り返さないのにな」

「それは違いますよ、誰も僕のようにはなってはいけない。みんながみんな不満や悪感情があって当然なんです。それを、燻らせて溜め込んで一気に爆発させるのがいけないんですよ、上手く発散させたり我慢することが重要なんです。そうでなければ人である意味が無い、僕みたいな『人でなし』になる必要はないんです」


 人間なんだから怒るし、悲しむ、そんなのは当たり前だ、けど、それが目的になって原動力になってしまうのは避けるべきだ。

 感情とは無限に増殖し続けるモノだ。

 そんな物を復讐の炉にくべてしまえば、終わり無く悲劇の連鎖を生み出すだけ。

 しかし、だからといって感情を捨て去ってしまえば、人が人である意味がなくなってしまう。

 僕みたいに感情すらも道具にしてしまうなんてのは、もはや人ではない。


「なんにせよ、早急に黄金の環への対処が必要ですね、日向の治療のためにも」 

「葵の息子か……まだ子供だというのに一夜にして家族を失った、その心労は測り知れないな」

「瀧貴さんの訃報を聞いてから一層気に病んだ様子でした。所謂サバイバーズギルトってやつです。今は投薬による解熱と定期的な治療術による放熱により日常生活を送れる程度には回復しました。しかし、日増しにストレスがたまって、体調が悪化する一方です」


 日向の体を蝕むのはトリガーへの怒り、時間が経つにつれてその感情は大きくなっていく。


「本当に腹が立つ、人を大勢殺すに飽き足らず、子供を感情という毒で苦しめ続ける、どんな理由があれ、そんなことをする連中が掲げる正義など私は認めん」


 声を荒げるわけでないが、その瞳と静かな言葉には確かな怒気が感じ取れた。


「姐御」

「わかっている、怒りを目的にするなと言うのだろう。大丈夫だ、目的を見失ってるわけじゃない。感情とうまく向き合えば、目的のための心強い協力者になってくれる。今はこの怒りとも仲良くしないとな」


 姐御は自分の感情と『協力』することで、道を違えないようにしてる。

 黄金の輪は感情に『命令』されることで、暴走を繰り返している。

 日向は感情に『侵食』され、体を蝕まれている。

 時に支え、時に操り、時に苛む。怒り一つを取っても感情というものはその向き合い方、使い方次第で毒にも薬にもなる。

 自分の腕が通っている白衣に視線が行く、僕が医者である以上、この取り扱いが難しい薬も扱いこなさなくてはならない。


「明日、三機関会議があるのは知ってるな、そこで方針を固めるぞ、おそらく日本にいる我々はこれから忙しくなる、覚悟しておけよ」

「とっくに出来てますよ。全ては人々の平和と安寧のために。僕は自分の役割を果たすまでです」


 話の区切りと同時に煙草の火は根元まで来ていた。吸殻を灰皿に押し付けなが

ら、窓の外にある学園の敷地内ならどこからでも見える巨大な時計塔で時間を確認する。


「そろそろ、行かないとまずいな」

「なにかあるのか?」

「はい、午前中編入試験の筆記をしてまして、午後から実技なんです。お昼の待機時間を利用して報告に来たんですよ、形だけの試験とは言え試験は試験ですので出ておかないとまずいので」


 とは言っても、支援型サポーターの僕は魔術試験だけだからすぐに終わるんだけどね。


「葵少年の戦種は近接型アサルトか。ということは個人戦の模擬試合があるな。お前の私見で構わない、葵少年はどれほどの実力者だ?」


 何か思いついたのか姐御の口元が不自然に歪む。まあ、姐御も人の親だし悪いことにはしないだろうと思い僕は質問に答える。


「素のポテンシャルは低いですが結構腕は立ちますよ。なにせあの蒼龍直々に扱かれてましたし。多分、普通の魔術士の中でも上の方くらいの力量があります。ただ耐久、持久の点から見ると並より低いです。元より体が強いわけではないので」


 平均より低い性能の魔術使いが並々ならぬ努力を重ね、普通の魔術使いが普通に努力していれば到達できる地点にいるといった具合、だから同じ努力量であっても元々ポテンシャルの高い桜とは越えられない壁がある。

 それは、葵という家に生まれ来たがゆえに、日向にとって強いコンプレックスになっていた。

 その劣等感は、祖父をみすみす死なせてしまったことで止めどないものとなっているはずだ。


「なら、ただの試験官じゃ物足りなかろう、面白い奴を手配してやる、いいストレスの発散になるだろう」


 もういい年だというのに、姐御はまるで無邪気な子供のようなあどけない笑顔を浮かべる。

 どうして、この組織は子供じみた奴をトップにしたがるのだろうか。

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