2019.9.1~2019.9.15

 心の溝は埋めないよ。

 それはぼく自身の輪郭。

 今日まで生きてきた跡。

 簡単には捨てられない。

 ぼくが大切にしたいのは

 その溝を飛び越えてまで

 あるいは橋を掛けてまで

 ぼくに会いに来るひとだ。

 だから今度はぼくが

 心の溝を飛び越えて

 あるいは橋を掛けて

 そのひとに会いに行くんだ。

(2019.9.1)



 友人は毎日『140文字小説』なるものを書いている。

「よく思いつくな」

「ふふ……もし、だよ?これがものすごく長い小説を適当にバラしたものだとしたら」

「まさか。そんなことができるのは悪魔くらいだ」

「そのまさかかもしれないよ」

 それはない。悪魔の私が言うんだから間違いない。

(2019.9.2)



 私がマネージャーを担うシンガーと音信不通になった。自宅に行くと鍵は開いており、彼はパソコンの前で死んでいた。精液まみれの下半身、散乱したAVのケース――神と崇められた男は快楽と共に逝ったのだった。落胆も束の間、私は証拠の隠滅を始める。この男の死は伝説にしなければならない。

(2019.9.3)



 この熱帯夜の下、水すら買えずに渇く人に比べたら……。

 この大寒波の下、暖すら取れずに凍る人に比べたら……。

 この飽食の時代、飯すら食えずに死ぬ人に比べたら……。

 何の面白みもないこの暮らしも、幾分マシに見えるものさ――

 今日も僕は知らない誰かの不幸を餌に、明日を生きようと足掻く。

(2019.9.4)



 ある日突然、何も書けなくなったとしても、僕は生き続けるだろう。とても悲しいことだけど、僕の人生はそれだけが全てじゃない。大切な人と過ごして、おいしいものや綺麗なものに触れて、つらい目にも遭って……生きる楽しみは他にもこんなにたくさんある。だから越えていけると思うんだ。

(2019.9.5)



 王は民を思い、様々な政策を打ち出した。交通網の整備、福祉の充実……しかし努力も虚しく、民は彼に刃を向けた。実現のために払われる犠牲を考えていなかったからだ。優しき為政者の悲劇である。

 そしてさらに悲劇なるは、この話の肝を理解できる為政者が現代に一人たりともいないことだ。

(2019.9.6)



 廃墟に佇む自殺者の霊。死んだのは男なのに目撃されるのは女の影ということで、界隈では話題だ。

 私だけが知る真相――自殺したAは友達で、生前こう話していた。

「心は女なのに、どうして身体は男なの?本当の自分になりたい……」

 A、君の望みは叶ったよ――涙は拭いて、私は彼女の安寧を祈る。

(2019.9.7)



 我孫子あびこ春菜はるなは人の顔が判らない。眉。目。鼻。口。彼女は顔の部品を認識できなかった。人違いは往々にしてあった。両親にすらも隠し通し、愚鈍な女という印象と共に生きてきた。罵詈も嘲笑も巧く流していた。誰だか分からないから感情の向けようがないからだ。彼女はのっぺらぼうだった。

(2019.9.8)



 身体から切り離された赤い靴は、足首が腐っても踊ることを止めず、やがてその魂は地獄へ堕ちた。靴はハデスの平穏を妨げて早々とゲヘナに送られたが、焼滅の火も物ともせずに踊り続けた。神はそのさまを疎んで、地獄から放逐した。再び地上に戻った靴は、今日もどこかで踊り続けている。

(2019.9.9)



 剥ぎ取った皮膚の下には、しなやかな筋繊維が整然と並んでいた。自堕落な貴方にこんな一面があったとは驚きだ。指先にあった事実に、私は少しだけ後悔を覚える。こうなる前に気づけていれば、二人の関係も違っていたかもしれない。素顔を晒した貴方は、歯茎を見せて笑みを浮かべている。

(2019.9.10)



 病床から身を起こした母の前に膳が置かれた。茶碗一杯の白米と、たたき梅。今や点滴しか身体に入れることができない母が、最後にと望んだ食事だった。震える手は箸を握るのがやっとで、掻き込むように米を口に運ぶ。噎せながらもその顔は嬉しそうで、私は潤んでしまう目を何度も拭った。

(2019.9.11)



 怒りは隠すべきではない。押し殺したところで治まるものではないし、ひと度腐れば心を害する毒になる。肝心なのは見せ方だ。相手を自分の意に沿わせるために、表現を工夫しなければならない。大声で喚くばかりが怒りではない。沈黙も見せ方によって怒りとなる。笑顔もまた、同様である。

(2019.9.12)



 実家のベランダから見えた、ちりちりと煌めく光。たぶん鉄塔の灯だったのだろうけど、当時のぼくはUFOと信じて疑わなかった。ありありと浮かぶ情景は懐かしい。プールで涼んだ縁側、弟と背比べをした柱、今はもうない。

 ……違う。

 ぼくに弟はいない。

 今のは誰だ。

 今のは。

 誰の記憶だ。

(2019.9.13)



 巨木を倒すのはいつだって、小さな鼠のひと齧りだ。 彼らは生きるために根を齧る。悪意などない。巨木も鼠を恨まない。倒れるがまま倒れていく。いのちの巡りは実にドライだ。そこに感動する人間は何と単純な生き物だろう。しかし私は、そんな単純な生き物でよかったと心から思っている。

(2019.9.14)



 その少年は機械いじりが大好きでした。いつか世界をあっと驚かせてやろうと、寝る間も惜しんで勉強しました。月日が経ち、発明家となった少年は、それまでになかった兵器というものを開発し、世界中を熱狂させました。見事、少年は夢を叶えたのです。

 さあ、あなたは彼を非難できますか?

(2019.9.15)

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