この作品を読んで、マルキ・ド・サドの思想について少し考えました。
サド的なものの本質は、単なる暴力や破壊ではなく、人間の欲望や幻想をどこまで表現できるのかという問いにあるように感じます。
肉体的な欲望や衝動を描くことは、ただの刺激ではなく、人間の内側にある隠された部分を映し出す行為でもある。
しかし同時に、欲望を現実の行動としてではなく、想像力や表現の領域へ昇華することで、そこには別の美しさが生まれる。
人間は理性と本能、現実と幻想の間で揺れ動く存在なのだと思いました。
この作品には、そうした人間の欲望と美の境界について考えさせられる魅力があります。
冤罪によって有罪判決を受けた一人の青年。彼に課せられた刑は、異世界迷宮追放刑――異世界のダンジョンで魔物を製作し、異世界の住人達を襲撃して資源を強奪していく通称ダンジョンマスターの刑だった!
かくして、だいぶ捻じれた性癖を持つ少女を案内人として、ダイスを振ってTRPG感覚で魔物を製作していく主人公。ただ戦闘能力ばかりを設定するのではなく、原住民を生かさず殺さずの状態で捕らえ、その肉体を繁殖に利用するという生態の部分まで細かく設定するあたりが実に邪悪。魔物のモチーフにあえて『アリス』やマザー・グースを採用しているのも、彼が生み出す魔物の禍々しさをより際立たせている。
彼らの侵略の対象となるのは、神の御使いによって〈太陽〉がもたらされるまで、暗黒に包まれていた〈太陽がない世界〉。世界設定だけでもなかなかユニークだが、この世界からその〈太陽〉を奪うのが最終目標というのもスケールが大きくて魅力的である。
主人公サイドも非道な存在だが、一方で敵となる異世界側の住人も、他種族を蹂躙することに一切ためらいがない残酷な騎士たちであり、むしろこの世界で迫害を受ける食屍鬼(グール)の方が感情移入しやすい存在として描かれている。しかし、その食屍鬼たちも少数ゆえに迫害される一方で、人間を容赦なく喰らうため、決して善良とは言い難い。登場人物の誰もが悪性を抱え、誰一人「正義」の立場に立たないまま、争っていく様子はまさしくダークファンタジーの名にふさわしい。
一見コミカルなタイトルとは対照的に、そこに描かれるのは極悪すぎる生存競争。ちょっと重ためなファンタジーが読みたいという方は必見ですよ!
(「ゲームの世界の向こう側」4選/文=柿崎憲)
主人公は冤罪により、「ダンジョンマスター」という刑罰を科され、流刑となる。
ダンジョンマスターは、自身の生存と刑の執行のため、自らの箱庭を運営しながら、人類を侵略していく存在。そのため徹底して冷徹に奪い取っていく姿が印象的だ。
世界観やモンスター周りの設定もよく練られており、なぜそうしたシステムになっているのか、錬成や生息しているモンスターがどのような生態をしていて管理方法はどうすればいいのかをしっかりと描写してくれている。
なにより、案内役のBBをはじめとした個性豊かなキャラクターたちが魅力的で、残酷でありながらどこか現実にありそうな世界観が、ブラックユーモアを交えつつ展開されていくのが最高だった。
まるでベルベットルームような牢獄から始まるのは、「抗え。最後まで。」と謳いたくなるほど陰湿な世界と登場人物。
まずは六話、十話まで読み進めることをオススメします。
戦記ものらしい重厚な文体と残酷さ、それを嘲笑うかのようにライトに述べるキャラクターの露悪さが掴めるでしょう。
クトゥルフ神話好きがなぜTRPGシナリオを書かないのか、お気になさるでしょうね。
だってここまでダークファンタジーを描ける人が、ファストフードなエモシをお届けするわけないじゃない。
何がどうして、不思議の国のグリムな世界に迷い込むの?
それはね、子どもというのは、倫理をしらない無邪気な残虐行為を楽しむものだからだよ。
どこぞの紳士なら、紅いワインよりも嗜むものがあるわ。
優雅に見下す庭で、下々は踊る。
Let's 「エンジョイ&エキサイティング!」
それは倒錯した恋に魅入られた、ペルソナの裏の私たち。