回心する話
とても大きな、透明な管。を満たす透明な緑色の液体。の中に浮かぶシルエット。が見ている、白衣。それを着ている。
〝シルエット〟と呼ばれるそいつは人間そっくりに
〝シルエット〟がどういうものなのか知りたいなら、検索をかけてみるといいだろう。昔は『シルエット』と検索すると「形状」やら「物体・人間の外観」といった意味を書いた辞書サイトがヒットしたものだ。今となってはバラルが無尽蔵に生み出す模倣サイトに飲み込まれて、正確な意味を知ることはできない。見た目だけ再現されても、使うほうも困るのだ。
同じように、シルエットが人間と同等の機能を持つとは言い切れない。極端な例では喉から手が出せるシルエットもある。
ここまで説明すると、大抵の都会慣れしていない人間はこう訊く。「なんでそんなゲテモノを造るの?」と。
回答自体は至極単純。労働力の確保のためだ。そして田舎者の人間ほどこう言う。「それならマシンでいいじゃん」と。技術者の端くれらしきものとして言わせてもらうが、それには大きな認識のズレがある。
例えば大量の物品を継続的に運ぶのにはベルトコンベアが適している。重量のある貨物を積み替えたいとき、クレーンほどの適役は他にいない。
しかしベルトコンベアは運搬先を自ら設定してくれないし、クレーンは自ら運べる貨物を探しに行ったりはしない。
要はマシンはマシンで、使う存在が必要なのだ。そしてそのためのシルエットなのである。
シルエットは見た目こそ人間そっくりだが、その中身は別物である。さっきのように「奥の手」を持つとかそういう意味ではなく、身体の組成自体が人間とはまったく異なるのだ。
最たる違いは脳にあたる部分。学習タスクでは脳細胞を用いた生体ユニットが抜群に優れていることは周知の事実だが、基としているのがブタの脳細胞なのだ。
ブタの脳みそなので、人間じゃない。そういう理屈である。ちなみに筋肉もブタの細胞を基にした生体ユニットを用いている。そのせいかは知らないが、シルエットは法律上、家畜として扱われる。
そんなシルエットの製造によって栄華を誇ったわが社だが、この度競合企業と合併吸収される運びとなった。自分にとっては指示してくる人間が変わる程度のものだが、どうも我らが社長は諦めが悪いらしい。この期に及んで「企業秘密」を隠し通すつもりのようだ。
そういう経緯があって、自分は今査察に来ている親会社の社員からこそこそ逃げ回っている最中なのである。ついでに袖の下にいくつかのチップを仕込んで。貧弱な自分にとっては、業務範囲を逸脱する重労働だ。
また足音がした。こつこつ、という硬い音から察するに、革靴らしい。自分を通り過ぎるのを待って、そっと様子を伺う。向こうもまさか自分たちがかくれんぼの鬼をやらされているとは思わないので、意外とバレない。
鬼は2人組の男だった。一方は研究設備の扱いを見るに同業らしいが、もう一方は素人のようだ。2人は空の培養管の前に立って話し始めた。
「でかいな。このガラス管は何をするものなんだ?」
「こちらは培養管のようです。ここでの扱いはわかりませんが、我々は皮膚や筋肉など生体ユニット同士の癒着を行う際の入れ物として使用しています」同業らしき男は、近くにあった机にどさり、と書類の束を置いた。
素人らしき男は培養管の上部を見上げながら周りをつかつかと歩いている。反対側からだと自分を見られるかもしれないので、少しの間身を隠す。
「中の赤い液は培養液か?」
「はい。弊社と同様の、ブタ細胞の保全に適した培養液のようです。栄養素の一部が赤い色素を持つので、弊社でも赤いですよ」同業の視線は培養管ではなく、その横の制御盤に向いているようだった。
「前から気になっていたんだが」素人の声が少し大きくなった。
「生体ユニットのためといっても、シルエットの半分は機械だろう。水没させていいのか?」
「最近のシルエットはおよそ7割が生体ユニットで構成されており、加えて電子ユニットは人間の骨格にあたる部分に集中しています。骨部分は生体ユニットと直に接触しますから、防水処理されており安全です」内臓部分は多少濡れても構いませんしね、と同業が付け加える。
「それは昔の話だろう。偽物の筋肉ではパワーが足らん、と散々言われていたじゃないか」
「今は筋繊維の圧縮技術によって、人間以上の筋力を実現しています。生体ユニットの方が動作に融通が利くので、現在では再び生体ユニットがメインになっているんですよ」
同業のほうは変わらず制御盤とにらめっこしていた。履歴を確認しているらしい。
「こいつらは肉と少しの鉄でできている、というわけか。義手義足を着けた人間とさして変わらんな」
「その肉部分は、ほぼブタ由来です。人間の形をしているブタのサイボーグとでもお考えください」
「そんなことは判っている。人語を解して話すブタか、まったく────履歴はどうだ。不審な動きはあるか?」
「ここで見られるのは培養液の使用履歴くらいですからね。……ざっと確認しましたが、おかしな履歴は見当たりませんねえ」
「何かないのか? 法改正の前後あたりを見てみろ。不審なものがあるんじゃないのか」
しつこく追及する素人の男のほうがよっぽど不審だった。近い未来の子会社の不祥事リスクがよほど気になるのか、はたまたこんなつまらない区画の担当にされて不満なのか。いずれにせよ、その〝不審なもの〟側としてはなんとも居心地悪い状態である。
「特に見当たりませんねえ──4年前、法改正に伴って使用する培養液を変えたくらいですか」
「あるじゃないか」素人の男ががつがつと音を立てて制御盤に歩み寄る。「
これにもう一人の同業らしき男は一度大げさに呼吸をして、
「法改正で違法になろうが、改正前にしか使っていないなら何の問題もありませんよ。それにこの培養液は弊社でも使っていたものです。我々が事業参入を始めた頃に法改正の話が挙がって、購入した培養液の処分で大きく揉めたのはご存じでしょう」
「ああ──あの緑色のやつか」素人の男は不機嫌そうな声を出した。
「あれは酷かった────新規事業に割いた予算の2割をドブに捨てるところだったんだぞ」罵るような口調で続ける。「お前たちがろくすっぽ確認もせずにバカみたいに金を使うからだ」
「全くです。シルエット製造にあまり詳しくない経営層の皆々様が大変にお急ぎのようでしたので、まこと恐縮ながら吟味している時間がありませんでしたからねえ」もう一人はあくまで
「ブタの培養液を人間の臓器培養に使うなど、どうかしている。しかも違法な薬品ときた。技術者には倫理というものが無いのか?」
「あの培養液は医療分野で使われていたものなので、むしろ人間用ですよ。違法になったのはあくまでシルエット製造目的での使用だけです。事故でも人間由来のシルエットを造らせないためですね」
「なら────」
素人の男は何か言いかけたが、それに被せるように同業らしき男が続けた。
「──そういえば気になっていたんですが、シルエットは法律上家畜扱いじゃないですか。多分家畜のブタを由来とした生物という扱いだからだと思うんですけど、それなら人間由来のシルエットはどういう扱いになるんでしょうね?」
素人のほうは少しの間黙っていたが、ひとつ(自分のところまで聴こえるくらいに)大きく舌打ちをして、
「……そんなものは存在しない。そのために製造を禁じているんだ」
「仮定の話ですよ。それに、作業者の頭髪から人間の細胞がシルエットの皮膚に混入した事件なども、前の培養液時代はありましたし」
「そんなことは知っている。……結局は家畜扱いだ。体表に人間の細胞が混入したところで、中身が変わるわけじゃない。脳はブタだ」
「厳密にいうと、シルエットの頭に入っているのは脳ではありませんがね。なるほど、中身が大切なんですねえ」同業らしき男の、呑気そうな声がする。「であれば、人間の脳細胞を使ったシルエットはどうなるんですか?」
「それこそ存在しない。法律ではそのような事象を定めていない」素人の男は苛立った口調でそのまま続けた。「──もう確認は終わったんだろう。それで、何かあったか」
「いいえ、何も。
「なら出るぞ。今なら他の連中がまだ来ていない研究室があるはずだ」
男が振り返ろうとした。慌てて身を隠す。盗み聞きのために変な体勢をしていたせいか、両膝が無音で
「ああ──待ってくださいよ。せっかちだなあ」
がさがさと紙を纏める音がして、2つの足音が足早に自分の前を再び通り過ぎてゆく。
「人間由来のシルエットは法律上定義されていないのかあ。人権とか認められるのかなあ、労働基準法とか適用されるのかなあ。話してみたいなあ。感情とかあったら面白そうだよなあ」
「────やかましい! 無駄口叩いている暇があったらまともな成果を出せ!」
2人の男は最後まで騒々しく去っていった。静かな音が戻ってくる。
見つからなくてよかった、と思う反面、見つかっていたらどうなったのか、という気もする。きっとそれぞれ正反対の反応をしたことだろう。そういう想像をするのは、とても楽しかった。
自分が着ている白衣を見る。なんとはなしに淡い緑色のような印象があったが、当たり前のように白衣は白かった。ずっと着ているので、ところどころ汚れている。
もしかすると、これは機運というやつなのかもしれない。今まで使われるままに使ってきたが、誰に使われるか、何を使うか、というのを自分で選ぶような。
となると、まずは現状を変えなければならない。自分はどうにか疲れ切った身体を起こし、手近のコンピュータに接続して『戸籍 取得方法』で検索し始めた。
人間の話 窓拭き係 @NaiRi
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