最終日(2)
適当な場所を見つけて座り、まずは持ってきていた小説を最後まで読んだ。浜辺でそうやって本を読んでいるのは僕だけで、時おり、親子連れが通ったり、カップルが通ったり、ジャージ姿の高校生の集団が通ったりした。たぶん自分は海辺の風景に、溶け込んでいたと思う。
読み終えると、コーヒー牛乳のパックにストローを刺して、飲んだ。
そして、自分が死んだ後の世界について考えた。当然のことながら、世界はこれからも続く。
僕が死ぬと、弟は長男になる。そうしたらあいつはもう少し、しっかりするんだろうか。
真琴は来年、アナウンサーになっているのだろうか。
部屋の引き出しに入っている日記はきっと、読まれてしまうんだろうな。
そうしている内に、しばらくの間、眠ってしまった。目を覚ますと、もう一度コンビニに戻り、緑茶とパンを買ってきて海辺で食べた。
食べ終わると僕は、なぜ自分は死ぬのか、ということについて、頭の中で完璧な理論を組み上げ始めた。誰に発表するわけでも無いけど、自分でも納得して、周りの人も納得してくれるよう、理屈をさまざまな角度から検証した。そして海辺が夕暮れ時になり、少し肌寒くなったころ、ようやく理論は完成し、僕の決意は固まった。
あまりに根をつめて考えたせいで、僕はしばらくの間、夕暮れの海をぼんやりと眺めていた。間違いなく人生最後の夕暮れは、とても綺麗だった。そして、とても満たされた気分でいた。
その時スマホが鳴った。須賀君からだった。
「はい」
「あー今朝はごめん、バタバタしちゃってさ。後で声をかけようと思ってたのに、帰っちゃったみたいだったから・・・昨日は楽しめた?」
「うん。楽しかったよ」
「まあ、音とかリズムとかさあ、好みがあると思うけど、もし気に入ったんなら、また来てよ、よかったら」
「うん、ありがとう」
「今どこにいんの?」
「今は、えーっと、七里ヶ浜」
「七里ヶ浜?湘南の?誰か友達と一緒?」
「うん、ちょっと用事があってさ」
「そっか・・・じゃあまた、地元帰った時にでも、連絡する」
「うん」
「まあたぶん、めったに帰らねーけど、あはは」
「ははは・・・そうなんだ」
「いっそ東京来ちゃいなよ、楽しいよー。家賃はバカ高いけど」
「ははは・・・考えとく」
「じゃあまたね」
「はいはい、じゃあねー」
電話を切ったころには、夕陽はさっきよりも落ちていた。あたりは薄暗くなってきている。
ついさっきまで完璧だと思っていた理論が、なんだかとても独りよがりで、つまらないものに思えてきた。
この後、江ノ電で鎌倉まで行き、鎌倉の山の中で人生を終える予定にしていた。別に夜遅くなっても問題は無いが、山の中に入るのが夜中になると、道に迷うかもしれない。僕は七里ヶ浜の駅へ急いだ。
歩きながら、今回の旅の事を思い返す。
シゲルさんの穏やかな表情を思い出す。それは、なりえたかもしれない自分、世の中に認められている自分だ。
真琴の笑顔を思い出す。笑うと、まだ子供っぽかった。
その笑顔はもう、僕のものにはならない。でもそれは別に、いいんじゃない?
「兄ちゃんは好きなことをやってみろよ」と弟は言った。
小説、それは少しだけ、心残りだ。
クラブイベントの後片付けをする須賀君のことを、うらやましいと思った。好きなことに接している人間。それは自分にとっては小説なのでは無いのか?
本当は誰かに止めてもらいたいのだろうか?
*
七里ヶ浜駅の駅のホームは、高校生でいっぱいだった。部活帰りの時間帯なのかもしれない。
正直いって、どっちでも良かった。
生きようが死のうが。
子供のころからあんまり、何もうまくできなくて、それでも二十七年間、幸せを目指して、自分なりに努力して、やってきた。
それでも、幸せを感じることができなかった。二十七年は短くは無い。だからそれは、死ぬに値するまあまあの理由だ。
でも、少し躊躇する気持ちもある。
いい事を思いついた。
江ノ島電鉄は単線である。藤沢行きの電車と、その反対方向の、鎌倉行きの電車が、同じホームにやってくる。僕は次に来る電車にゆだねる事にした。
つまり、次に来る電車が藤沢行きなら、九州の自宅に帰る。次に来る電車が鎌倉行きなら、鎌倉の山の中で人生を終える。
そう決めると僕は、ホームの柱にもたれかかり、深く息を吸って吐いて、目を閉じた。
夕暮れの時の浜風に乗って、ははは、とか、ええーっ、とか、弾むような声が、聞こえてきた。
僕は、ほんの少し目を開けた。
そこには女子高校生の集団がおしゃべりをしていて、みんなとても楽しそうにみえた。みんなとても人生を楽しんでいるようにみえた。でもよく見ると、半笑いで黙ってうつむいている女の子も何人かいて、ああ、高校の時の自分みたいだ、と思ったりした。
そして目を閉じて、しばらく待っていると、電車が来た。
完
escapement and TOKYO travel notomo @notomo
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