第23話 リナの気持ち


 紅茶をカップに注ぎながら横目にリナさんを見るととても緊張している様子だった。


 俺はただ、こんなにも俺に親身に良くしてくれるリナさんにお礼がしたいだけなのだ。

 仕事のことは今は忘れて、少しの間だけでもくつろいでほしい。


「どうぞ」


「ありがとうございます。あっ、凄く良い匂い……」


「誰が淹れてもこうなりますよ。茶葉もポットも全て宿屋さんのですから」


 このティーセットはこの宿で無料貸し出ししていたものだ。お茶好きとして当然借りた。


「美味しいです。とても落ち着きます」


「良かったです」


 俺はリナさんの隣に腰掛けた。

 椅子がないので二人でベッドの上に座っている。


「あの……ホープさん……」


「はい」


「本当に行かれるんですか?」


 リナさんが上目使いで聞いてくる。

 俺だって出来ることならこの街にいたい。この街の住人は良い人ばかりだし、部屋に入ってくる海風も、いつもヨーアと歩く道も、街の賑わいも、みんな大好きだ。


「はい。行きます」


「そうですか……」


 リナさんは寂しそうに俯いた。


 ギルドに初めて行ってからまだ日が浅いが、ここまで惜しんでくれるリナさんは本当に良い人だ。


 リナさんには話してもいいかもしれない。


「リナさん。信じられないかもしれませんが実は俺、マモノと会話が出来るんです」


「えっ……!」


 リナさんはパッとこちらを向いた。

 動揺しているようだが、目は真剣だ。


「この街を出ようと思ったのも、マモノに強いトラウマがあるヨーアの為です。俺が海岸でマモノと会話している所をヨーアが見ていたんですが、酷く怯えてしまって……」


「……ホープさんが嘘を言う人には思えません。その話を私は信じます。それで、一つ気になることがあります。人語を話せないマモノが人語を話したということでしょうか……?」


「いえ、ヨーアが言うには、どうやら俺が人語ではなくマモノの言葉で会話していたみたいなんです。なのでヨーアは、俺がマモノの仲間だとすっかり信じこんでしまって……」


 俺がヨーアの立場でも、知らない言語で化け物と会話し出したら驚くし不信感が募る。


「なるほど……一応確認です。失礼ですが、ホープさんはマモノではないんですよね?」


 真剣な物言いで聞いてくるリナさんに俺は目を丸くした。

 俺がマモノな訳がない、とは言い切れない。

 何故なら俺には記憶が無い。

 ただ、嘘偽りなく表記されるギルドカードに【ヒューマン】と記されていたから俺は間違いなく……


「人間です。間違いありません」


「分かりました。ホープさんが人間であることも信じます」


 リナさんはにっこりと笑みを浮かべた。

 いつもの癖で、思わずヨーアにやっている様にリナさんの頭に手が向かったが、グッと堪えた。

 危ない。危ない。


「どうして俺は、マモノと会話出来るんですかね」


 結局何故俺はマモノと会話出来たのか。それが分からない。


「一つ気になることがあります。ホープさん、ギルドカードを拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」


「ギルドカードですか? どうぞ」


 俺はギルドカードをリナさんに渡した。


 リナさんが俺のギルドカードをまじまじと見る。

 俺の情報を読んでいる最中、突如目を見開いた。


「っ……! これです! これですよこれ!」


 リナさんは俺にギルドカードの裏面を見せる。


「これとは……?」


「ホープさんは【トーク】という、如何なる全ての生物と会話が可能になるユニークスキルをお持ちです。恐らくホープさんがマモノと会話出来たのはこれが原因なのではないでしょうか」


 確かに俺はユニークスキルというものが二つあり、その一つが【トーク】。まさかその効果でマモノと会話出来ていたとは思いもしなかった。というより、効果なんて見て無かったし興味も無かった。


「ほぼこのユニークスキルが原因で間違いないと思います」


「ならヨーアちゃんに説明を……!」


「いえ……いいんです。多分言っても信じてくれません。それほどにヨーアは恐れていました」


「で、でも! 言ってみなければ分かりません! ……っ!? ホ、ホープさん!?」


 俺は……リナさんを抱きしめていた。


 無意識だったのか、それとも自分の意思なのかは曖昧だった。けれど、この行動に後悔は感じなかった。


「リナさん。ありがとう。リナさんは自分よりも相手を想うことが出来るとても良い人です」


「ホープさん……」


 抱きしめながら、頭を撫でる。

 ヨーアがされると嬉しいやつだ。


 リナさんが腕を俺の背に回してくる。


「こんなに素敵な人に出会えたことがとても嬉しい。リナさんのことは絶対に忘れません」


「そんな……もう戻って来ないみたいな言い方……止めて下さい……」


 リナさんがさらに強く抱きしめる。


 この町に戻ってくるかは今はまだ分からない。でももし戻って来られたら、その時は、ギルドに行こう。


「いつか……戻ってきます」


「絶対ですよ……?」


 リナさんは俺から少し顔を離すと、真っ直ぐ俺を見つめる。そして、リナさんの唇が俺の唇と重なった。

 一瞬何が起こったのか分からなかったが、理解すると、そのまま永遠とも思える時間が経ったように感じた。


 俺はリナさんに、ヨーアとはまた違う愛おしさのようなものを覚えた。 

 初めての感覚だった。


 その後、リナさんには仕事に戻ってもらった。さすがにこのまま引き止めるのも悪いしリナさんが怒られてしまうからだ。


 俺はリナさんから得た報酬で簡単な装備品を街で購入し、宿屋の一階の食堂で食事を済ますと、明日に備えて床についた。



 ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎ ⚫︎



 本当は私もついて行きたい。

 私はホープさんに抱きしめられながら思った。


 冒険者をサポートするのがギルド職員の勤め。それは確かにあるけど、私は純粋にホープさんのことが好きなんだとはっきり自覚した。初めて人を、異性を好きになった。それも一目惚れだ。


 出会ってまだ日も浅いのに、ずっと前から会っていたようなそんな感覚さえある。


 それが、そんな人が、街を出るなんて、なんとしても引き留めたかった。

 でもホープさんの意思は思った以上に固く、それは叶いそうに無かった。


 けれど、また戻ってくるとホープさんは言ってくれた。私はその言葉を信じよう。


 私はホープさんの黒い瞳を愛おしそうに見つめると、そのまま唇を重ねた。

 ホープさんの体温が唇から伝わる。


 唇を重ねてから初めて自分はなんてことをしているんだと思ったけれど、ホープさんは嫌がるどころかそのままで、私を抱きしめる力がより強くなった。


 今、私は、女として幸せを感じている。

 勢いと感情に任せて思わずキスをしてしまった卑しい私を、ホープさんは受け入れてくれた。


 好きな人とのキスがこれ程まで嬉しく、幸福感溢れるものだとは思わなかった。


 ずっとこうしていたい。

 けれど、終わりの時は来る。


 ホープさんは私の頭を撫でながら、仕事に戻るように言った。


 正直なところ、私の心と体は準備が出来ていた。だってそうでしょう? ここは宿屋なのだから。

 だから私は今日は帰りたくないと言ったけど、ホープさんは聞いてくれなかった。


 へたれ。


 なんてホープさんには言えなかったけど、彼なりの優しさなんだと受け止めておく。


 だから私は、「次この街に帰ってきたら覚えておいてくださいね?」と言った。


 明日はとびっきりの笑顔でホープさんを見送ろう。

 決して悲しい顔は見せない。

 好きな男の前では凛々しく、堂々としよう。


 そして、いつか帰ってくる彼を信じて、仕事を頑張るんだ。



「ただ今戻りました」


「遅かったじゃないリナ。ホープさんに報酬渡すだけなのに」


「別に……色々あったのよ」


「色々って……ん? んん!? ア、アレクさん! アレクさん来てください! リナが! リナが!!」


 セリカはリナを指差し驚愕の表情をする。


「あ〜? なんだようるせぇな」


 ギルドマスターのアレクが受付カウンターの奥から現れた。


「リナが、リナの顔が……!」


「おう。顔がどうしたって……」


「男を知った顔になってます!!!!!!」


「な、なぁぁぁにぃぃぃぃぃ!?!!?!」


 確かにリナの表情は以前よりも余裕があり、艶やか顔をしていた。


「嘘だろ……リナちゃんが……」


「狙ってたのに……」


「オレのリナちゃん……」


「お前のじゃねぇだろ」


 ギルド内にいる男性冒険者達も思わず口をこぼす。


「何よ。いつも通りよ」


「リナに……リナに先を越された……。まさか担当冒険者を喰うとは……恐ろしい子……」


「バカ言ってないで仕事しなさい。どうせ書類溜まってるんでしょ?」


「リナちゃんがサボったから……」


「何か言った?」


「な、なんでもありません!」


 そうして二人はいつも通り事務と受付をこなしていく。


「おいリナ!! どういうことかちゃんと説明しやがれ! 男か! 男なのか!?」


「アレクさん。業務妨害は止めていただけませんか?」


「ああ!? なんだと!?」


 こうして、いつもの賑やかな二人の喧騒がギルド内に響き渡り、一部傷心中の冒険者以外の冒険者達はほっこりするのだった。

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