第十八話: 死への旅路、運命の分かれ道 ※注意
※ここから先は、残酷な描写、グロテスクな描写、性的を思わせる描写があります。苦手な方は注意
『東京』から馬車で半日近く離れた場所にある町、『ラステーラ』は、お世辞にも堅牢とは言い難い。言うなれば、知性を持つ相手を想定した作りにはなっていなかったのである。
町全体を野太い杭で囲うようにして柵が作られてはいるものの、その作りはあくまで『野生動物』を対象にしたもの。人の手に掛かれば簡単に突破できるし、野鼠などの小動物ならば、柵の隙間から通ることが出来た。
悪く言えば不用心、良く言えばのどかなというべきか。
ほとんどの野生動物は人間たちを警戒して近づいてこないこともあってか、柵の外側にもいくつかの民家が有るぐらいに、ラステーラはある意味ではのどかな町であった。
……つい、少し前までは。
誰しもが一瞬ですら考えもしなかった……悲劇が、始まっていた。
のどかな町の、南端。万が一を想定して、数名の見張りが朝から晩まで警戒を続けている南の森へと続く出入り口付近は……血の臭いと、炎の臭いが漂う地獄と化していた。
……黒煙が、朝の青空へゆっくりと広がっていく。白色と黒色交じりの煙に燻っていた家がまた一件、音を立てて崩れ落ちた。飛び散る火の粉と熱風が、また新たな寄生先を探して触手を広げていた。
炭となって崩れ落ちた巨大な炎の坩堝から漂う、肉の焦げる臭い。それはお世辞にも良い匂いではなく、生臭さと生理的嫌悪を伴った何とも言えない嫌な臭い。
一息嗅いだだけで咽てしまう程の悪臭が、ゴォ、と声なき雄叫びをあげる炎から噴き出される。徐々に広がり始めた戦火の予感に、住人達の悲鳴が至る所から響き渡った。
「に、逃げろー!! 化け物が攻めてきたぞー!!」
誰かの悲鳴が、朝の町に木霊する。大人も、子供も、男も、女も、関係ない。戦える力を持たない無力な住人たちは、勝ち誇る襲撃者たちの声に背を向けて駈け出していた。
だが、誰しもがスムーズに逃げ出せるわけではない。
素早く動けない者。
怪我をしている者。
突然の惨劇を前に、恐怖に慄いてしまった者。
逃げ遅れてしまった哀れな住人たちは、この悲劇を体現した襲撃者の手によって、一人、また一人、惨たらしい死が与えられていく。命乞いなど何の意味もなく、襲撃者は笑みすら浮かべていた。
襲撃者の姿は、大まかには人間と同じであった。いわゆる、亜人と呼ばれる種族なのだが、突然の悲劇に襲われた住人達は、襲撃者たちを『化け物』と呼んだ。
しかし、あながち間違いではなかった。
滑らかな鱗で覆われた手足には、人間の皮膚を容易く切り裂くであろう鋭い爪。勇敢にも武器を手に取った住人の、渾身の一撃ですらかすり傷一つ付かない強靭な肉体。
竜を思わせる翼をその背中に、様々なサイズの角を頭に生やす。顔や胸、いくつかの部分では人間と変わりない肌を残しているものの、その目に宿る憎悪はもはや知性ある者ではない。
イシュタリアが竜人と呼び、マリーがドラコと呼ぶ、人間をはるかに上回る身体能力を誇る存在。かつては竜人(ドラゴニア)と呼ばれた彼ら、彼女らは、その力の全てで持って目に映る全ての住人たちを皆殺しにしていった。
「いや! やだあ! やだああーー!!」
そしてまた一人。年若い少女が、竜人たちの手によって命を奪われようとしている。迫りくる死に怯える少女は、涙と鼻水でべちょべちょに顔を汚しながらも、必死に両手を伸ばした。
周囲には、いくつもの死体が無造作に横たわっていた。苦悶に歪んだ顔のままに時を止めた死体たちの中には、武装した狩猟者の姿が有った……返り討ちにあったのだろう。
もはや、町の南端は壊滅に等しい状況であった。
「いや、いや、いや……いっ!」
引き付けを起こしたかのように、少女の呼吸が乱れる。少しでも竜人たちから遠ざかる為に、少しでも死から逃れる為に、少女は竜人たちの手によって砕かれた両足の激痛に堪えて、這いずった。
昨日までは、中々に器量の良い子で将来は美人になると評判であった少女であった。
しかし、今はその彼女を助ける人は誰もいない。彼女を助けるはずの両親は竜人たちの手によって分解され、燃え盛っている家屋の燃料としてくべられてしまったからである。
彼女は、決して忘れることは出来ないだろう。
自らの盾となった父親が、目の前で真っ二つにされて血飛沫を上げる様を。もはや人の体を成していなかったソレに、笑いながら小便を掛けて蔑む竜人たちの姿を。
彼女は、その恐怖に打ち勝つことは出来ないだろう。
自らの身代わりとなった母親が目の前で凌辱され、子供のおもちゃのように痛めつけられていく様を。今も耳に木霊する母親の悲鳴を聞いて、げらげらと笑い声をあげた竜人たちの姿を。
彼女は、死ぬまで忘れることはできないだろう。
誕生日に買って貰えたお気に入りのスカートは泥に塗れ、ところどころ破けている。今朝、母親の手で結って貰えたブロンドの髪は、両親の血によって見るも無残な有様になっている。
砕けた両足からは、夥しい出血。今すぐに治療を始めたところで、もう自らの力で歩くことはおろか、立ち上がることすら出来ない程の損傷。ともすれば、このまま失血死してしまうのは確実な少女の身体に……竜人の蹴りが叩き込まれた。
人間が出したとは思えない、獣のような悲鳴が少女の口から飛び出す。ゴロゴロと、地面を石ころのように転がった彼女は、おおよそ7回転程してから動きを止めた。
直後、少女の口から血液交じりの吐瀉物が零れ出た。と言っても、胃には何も入っていない。口から出た成分のほとんどは、破裂した臓腑から噴き出した血であった。
ゴエェ、ゴエェ。カエルのような泣き声で吐血を繰り返す少女の背後に……竜人たちが立った。その数は、ゆうに10人を超えていた。
「……何ともまあ、脆いやつらだ。ちょっと小突いただけで、死にかけているではないか!」
竜神の一人が、そう言って笑い声をあげた。眼下でのたうっている少女のことなど、気にも留めてない……それも、そうだろう。少女の足を砕いたのは、彼なのだから。
「ふふふ、これで同じ女だというの? こんなに汚らわしくて脆い生き物と一緒にされたくないわ」
そして、少女の横腹に蹴りを叩き込んだ竜人の女は、そう言って少女の背中に嘲笑を投げつける。彼女に賛同するかのように、仲間たちも「そうだ」と少女を蔑んだ。
「なあ、こいつはどうする? このまま死なせるか?」
その内の一人が、鋭い爪を生やした指先で少女を指差した。けして、少女の未来を憐れんだわけではない。このまま黙って楽に死なせてやるのが嫌だったからこその問い掛けであった。
「このまま死なせるのはつまらない。どうだ、母親と同じようにしてやるか?」
「そうだな……それじゃあ、母親の腕を使うか」
当然のように出たその発言に、そいつがにこやかな笑みで頷いたのが、その証拠である。自分たちが如何に残虐な行為をしているのかを分かっているのか、いないのか……竜人たちはニヤッと笑みを浮かべた。
もはや、虫の息だ。ヒュー、ヒュー、とチアノーゼを起こしかけている少女の身体を仰向けにさせ、股を見せびらかすようにして、その手足を踏みつけて固定する。
新たに生まれた激痛に意識を取り戻した少女の視界に映ったのは……大股開きにされた己を見下ろす、竜人たちの嘲笑であった。
……何を、しているのだろうか。
出血と痛みで朦朧となっている少女は、その体勢が導き出す未来を想像することが出来ず、羞恥心を覚えることも出来なかった。
……というよりも、少女はまだその体勢の意味を理解していなかった。
まだ初潮を迎えていない少女は、そういった付き合いのある友達はおらず、それらの知識とは無縁の生活を送ってきたからであった。
「へえ、私たちと同じだわ。母親は毛むくじゃらで気味が悪かったのに、あなたは父親似なのかしらねえ」
しかし、お股を守る下着を破り捨て去られ、ふわりと外気がそこに触れた途端、少女は本能的に理解した。これから行われることは、決して良くないことである……と。
「――――」
襲い掛かる激痛と共に、意識が瞬く間に薄れてゆく、その最中。誰かの声が聞こえたような気がして……一瞬の浮遊感と共に少女の意識は永遠に閉ざされた。
――それは、生涯で二番目ぐらいに良いと断言できる、タイミングであった。
握り慣れたグリップの感触も素晴らしく、踏み込みも申し分ない上に、相手は男よりも柔らかそうな女の竜人……しかも、相手は完全に油断していた。
全身の連動が、歯車のようにカチリと噛み合う一瞬。燃え盛る家屋の音も、竜人の笑い声も、遠くから響いてくる住人達の悲鳴も、今は聞こえない。
――有るのは、心臓の鼓動だけ。
渾身の力を持って振り下ろされたマージィの斬剣は……意外なほどに呆気なく、竜人の身体を切り裂いた。
……しかし、それでは足りなかった。
マージィが使用した武器もそうだが、竜人を仕留める為に必要な……純粋な腕力が、絶対的に不足していたからだ。
(駄目だ! 浅い!)
そう、マージィが失敗を悟った瞬間。背後から切りかかれて体勢を崩していた女の竜人は、その勢いを利用して、飛び跳ねる様に身体を反転させた。
――信じられないぐらいに優れた反射神経と、身体能力だ。
ギロリと、血走った竜人の瞳と、視線が交差する。時間がゆっくりと流れて行く最中、マージィは反射的に武器から指を放していた。
(ヤバい!)
武器を捨てて両腕で身体を防御したのは、経験によって引き出された、ほとんど無意識の反応であった。しかし、その反応がマージィの命を救った。
「――っがぁ!!」
雄叫びと共に放たれた、竜人の蹴り。おおよそ筋肉の隆起なども見られない、女らしい太ももから繰り出された一撃。それを真正面から受け止めた瞬間、マージィは一瞬意識が飛んだ。
蹴りを受け止めた腕が、ボキボキと砕けて行く音をマージィは聞いた。
まるで、イノシシの突進を受け止めたかのような……そんな衝撃を殺しきれずに宙を舞ったマージィは、受け身すら取る余裕もなく、無人となった家へ強かに背中をぶつけた。
意識が、ぐるぐると暗転する。
痛みは、不思議とない。フッと湧き上がった強烈な寒気が、瞬く間に意識を塗りつぶしていく。遠のいていく思考の中で……マージィは、無意識の内にその場から横飛びしていた。
直後、マージィの身体が有った場所に、追い打ちの蹴りが突き刺さる。それからようやく訪れた、全身から伝わってくる苦痛に顔を青ざめながら、マージィは走った。
――その瞬間。言葉には出来ない直感が、マージィの頭を下げさせる。直後に脳天を通り過ぎた竜人の鋭い爪に、マージィは倒れる様にして地面を転がった。
長年の狩猟者生活によって培った、生死の境に生きる男が得た直感。それが、マージィの命をギリギリのところで繋いでくれた……ここまでは。
――今度は、何をされたのか分からなかった。凄まじい衝撃が全身へと響くと同時に、フワッと視界が動いた。
全身を包み込む浮遊感。何が何だか分からないまま、マージィは近づいてくる地面を前に、分からないまま何とか体勢を立て直し……強かに、地面に身体を打ち付けた。
――蹴られたのだ。
そうマージィが理解した時にはもう、全てが遅かった。ここに来て全身から襲い掛かって来ている凄まじい激痛を認識したマージィは、胃液を吐き出して悶えた。
「……ほう、こいつ、お前の蹴りを食らってまだ生きているみたいだな。どうやら、少しはマシなやつもいるようだ」
「だが、もう虫の息だな。両腕は砕け、それではまともに立ち上がることも出来ない」
「ああ、違いない。武器も失った今、こいつに待っているのは死、だけだ」
蹲って吐瀉を繰り返すマージィの周りに、ぞろぞろと竜人たちが集まって来た。その中には今しがたマージィの手によって背中に傷を作った女竜人の姿もあった。
よほどの屈辱と捉えているのだろう。色濃く浮き出た憤怒を隠そうともしない女竜人は、ギリギリと歯を食いしばって怒りに震えている。
その目がマージィの横顔をはっきりと捕らえた。マージィが、その事に気づく……ニヤリと、嘲笑したマージィを見た瞬間、女竜人は動いていた。
「――人間ごときが!」
「ぐふぅ!?」
ずどん、と鈍い音を立てて、マージィの身体が再び転がる。ゴポッ、と血反吐を吐き出したマージィは、幾度も鮮血を吐き出しながら、ゆっくりと顔を上げた。
……途端、マージィはポカンとした様子で呆けた。
「くくく、こいつ、今の状況が分かっていないようだ」
その顔は、竜人たちにとっては面白かったのだろう。けれども、嘲笑する竜人たちを他所に、信じられないと言わんばかりに目を見開いていたマージィは……笑みを浮かべた。
それを見た竜人たちは、不思議そうに首を傾げた。
笑うにしても、この笑い方は違う、不自然だ。なぜそのような笑みを浮かべるのか、竜人たちには全く分からなかったからだ。
「なんだ、こいつ?」
特に、マージィから笑みを向けられた竜人は、頭の上にいくつもの疑問符を浮かべる。竜人たちは、目の前の人間が理解出来なかった。
「笑っているぞ……もしかして、これが人間たち特有の、『気でも触れる』というやつなのではないか?」
「ふむ……あり得るな」
竜人たちの間に、納得の色が広がった。彼ら、彼女らは、あまり人間のことを知らない。
その生涯を森の奥深くで終えてきた竜人たちの間には、祖先から伝わっている話でしか、今の人間を知らないからだ。
「しかし、気が触れるとこういう状態になるのだな……初めて見るぞ」
マージィに笑みを向けられた一人の竜人が、興味深そうにその場にしゃがんだ。
マージィの視線に合わせてみるが、へらへらと笑みを浮かべるだけで、どこか遠くを眺めているかのように瞳の焦点が合っていなかった。
「命乞いをするわけでもなく、逃げようとするでもなく、笑みを浮かべるか……人間とは、良く分からないやつらだ」
だが、その良く分からないやつを生かしておく理由も、情けもない。というよりも、この男は我らの仲間を傷つけた大罪人だ。
その五体を切り刻み、思いつく限りの凌辱を行ったとしても許されないことをしたのだ……そう、竜人は思った。
「どれほどの苦痛を受ければ、正気に戻るのか……お前の肉体で試してや――」
その、瞬間。背筋を走った圧倒的なまでの何かに、竜人は反射的に振り返った。それは、彼だけではない。マージィの周りに集まっていた彼の仲間たちも同時に振り返っていて……全員が、ぽかんと呆気に取られた。
「……子供?」
そこには、4人の少女が立っていた。
その誰もが、今しがた両親の元に送ってやった人間の少女よりもずっと美しい外見であった。
だが、同時に、今まで殺してきた人間の誰よりも命知らずだと、竜人たちは思った。
火の勢いが強くなっている。朝の陽ざしを浴びて、徐々に燃え移り始めていく炎に照らされた美少女達の髪が、ふわりと熱風に靡いた。
一人は銀白色の長髪が日差しに煌めく、赤い瞳を静かに輝かせる美少女。衣服の裾がボロボロになっており、所々に赤い何かが付いているのは、どこかから逃げてきたのだろうか。
一人はその背丈以上に巨大な両刃の斧を肩に担いだ、黒目黒髪の美少女。幾分かくたびれた黒いドレスを身に纏っているせいだろうか。裾から伸びる肌はあまりに白く、まるで人間のように見えない。
一人は滑らかな褐色の肌をプレートで防御した、黒髪のスラリとした美少女であった。何気なくその手に掴む、才色が施された槍は、一目見て逸品であることが分かった。
一人は4人の中では最も幼い顔立ちの、金髪碧眼の美少女であった。背丈も一番低い彼女は、無表情に竜人たちを眺めている……その瞳に、おおよそ感情らしきものは何もなかった。
どう考えても、どう見ても、こんな場所には似つかわしくない美少女たち。その彼女たちは、まるで、竜人たちの侵攻をここで食い止めるかのように……悠々と佇んでいた。
「……なんだ、こいつらは?」
背筋を走ったモノ……それはいったい、なんだったのだろうか。反芻しようにも、あまりに一瞬のことだったから、影すら思い出すことが出来ない。
胸の奥で、何かが必死にがなり立てている……ような気がしたが、竜人たちは誰も気に留めなかった。
いつの間にか立ち上がったマージィが、頼りない足取りで少女たちの後ろへ逃げて行くのを黙って見送ったのは、それが関係しているのだろうか。
まあ、どちらにしても、どうでもよい事である。そんなことよりも、一人の竜人が美少女たちの背後から姿を見せたのが問題であった。
――ざわっ、と。竜人たちの間にざわめきが生まれた。竜人たちが驚いたのは、何も竜人が人間の後ろから現れた……ただ、それだけではない。
人間たちの後ろから姿を見せた竜人が、少し前に村を飛び出した……村の中でもひと際器量の良い、男どもからの評判を独り占めしていた娘であったからだ。
「……お前、こんなところで何をしているのだ?」
もう会えぬと思っていた同胞の登場に、男たちの鼻の下がゆるやかに伸びる。自然と、彼の声がいくらか優しいものになってしまうのは仕方がなかった。
後ろに控えた女竜人の機嫌が露骨に悪くなったのが気配で分かっていたが、それでもそうしてしまう程に……眼前の竜人は、男たちにとって魅力的な存在であるからだ。
こんな状況でありながら、男竜人の中に下心とも言うべき感情が疼き始める。無意識の内に駆け寄ろうと一歩踏み出した……だが、向けられた眼光を前に、その足が止まる。
「なぜ、殺した?」
そして、ぽつりと零された竜人……いや、ドラコの言葉によって、決定的となった。
「……なに?」
何を言っているのか、理解出来ない。困惑に表情を変えた竜人たちを前に……ドラコと呼ばれている彼女は、ギリギリと歯を食いしばった。
「なぜ、この町に攻め入ったと聞いているのだ! 答えろ、リョガン!」
「……なぜって、お前、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
リョガンと呼ばれた男の竜人は、さらに困惑を深めたようで、あやふやな笑みを浮かべた。
「人間どもを滅ぼすのは俺たち竜人の使命だ。先祖から受け継いできた悲願だ。人間たちへの復讐は、俺たちの本懐だ……お前もそれを望んでいただろう?」
瞳を伏せたドラコは、少し間を置いた後……はっきりと頷いた。
「……ああ、そうだ。人間たちへの復讐……それは我らの本望であり、我らの祖先から続く悲願だ。それは、我も重々承知している。この身体に渦巻く憎しみは、今もなお燃え続けている……それは我も同じだ」
だがな、とドラコは続けた。
「なぜ、今を生きる人間を襲ったのだ、リョガン」
「……待て、本気でお前が何を言っているのかが分からぬ」
いよいよもって意味が分からない。そう言いたげに、リョガンは頬を掻いた。
「お前は、いったい俺に……いや、俺たちに何を言おうとしているのだ?」
「祖先が恨みぬいた人間も、我らが憎しみを抱く人間も、全て過去の人間だと言っているのだ、リョガン」
――ピクリと、リョガンの表情が止まった。
まるで、そこだけ時間が止まったかのように動きを止めたリョガンにつられるように、他の竜人たちからあがっていたざわめきも、同時に止んだ。
それは、異様な光景であった。けれども、ドラコは言うしかなかった。ドラコが村を離れようと決意した切掛けを話さねばならぬと思ったからだ。
「リョガン……神竜様はなぜ、我らの元に降臨してくださったのか……その意味を考えたことはあるか?」
「……そんなの、我らが悲願を聞き入れてくださったからに決まっているだろう。いったい、何を言って――」
「ならば、なぜ今なのだ。なぜ、我らの祖先が迫害を受けた時に降臨してくださらなかったのだ。なぜ、今になって我らの前に姿を見せたのだ」
「…………」
リョガンは、何も答えなかった。リョガンの後ろに控えたかつての仲間たちも皆、無表情のままドラコを見つめるばかりで何も言わなかった。
「神竜様は、神の証である力をその雄叫びでもって示し、我らに『神獣』を託してくださった……だが、それだけだった。それ以上のことは、何もしてくれなかった」
過去を思い出しているドラコの瞳は、どこかリョガンを通してかつての光景を見つめていた。
「それだけの力を持ちながら、どうして我らの先頭に立とうとしないのか。どうして、何もおっしゃってはくれなかったのか……私は、ずっと考え続けていた」
「……何も言わなくとも、神竜様はおっしゃったのだ。人間を滅ぼせ……と。我らの元に神獣を授けてくださったのが、その証――」
「ならば、なぜ病に苦しむ母を助けてくださらなかったのだ! あれほどに助けを乞い、あれほどに祈りを捧げた私の願いを、なぜ聞き届けて下さらなかったのだ!」
絶叫。リョガンの返答をかき消さんばかりに放たれたドラコの怒号は、ビリビリと肌が痺れる程に周囲へ響いた。
「神獣はいずれ、我らに約束された勝利をもたらしてくれるだろう。だが、なぜ今なのか……なぜ迫害されて苦しんだ祖先の時ではないのか……リョガン、私は、どうしても納得が出来ないのだ」
「――っ、お前、まさか神竜様のお導きを疑うというのか!?」
リョガンの言葉に、竜人たちの間に流れた空気が張りつめる。それまで無かった敵意が、明確な形となってドラコへとぶつけられ……ドラコは、寂しそうに首を横に振った。
「そういうことを言っているのではない。ただ、我らはあまりに小さな世界に囚われ過ぎていると言っているのだ。一度、我らは復讐を忘れ、人間を見つめ直す必要があると言っているのだ」
その瞬間、カッと、リョガンの頬が紅潮した。ギリギリと、鋭い爪をむき出しにした。
「痴れ者が! 汚らわしい人間どもにほだされたか!」
叩きつけられる怒声を前に、もう一度、ドラコは首を横に振った。
「リョガン……我らの怒りをぶつける相手は、もうこの世界にはいないのだ。今を生きる人間たちは、過去の我らを知らない……今を生きる人間は、我らに何もしていないのだ。なぜ、それが分からない?」
「――知らないから何だ! 知らないのであれば、全てを許せと言うのか!」
「そうは言っていない。だが、我らの復讐はあまりに遅すぎた。反旗を翻すのであれば、せめて100年前に立ち上がるべきだったのだ」
一人、また一人、ドラコは順々にかつての仲間たちの顔を見やる。村を飛び出した時とまるで変わらない彼らに……竜人は、静かに目を伏せた。
「我らが疲弊していたとか、数が少なかったとか、そんなものは何の関係もない。負けると分かっていたとしても、我らの祖先は戦うべきだったのだ。戦ってさえいれば、神竜様などに縋ることもなかった……そう、私は思うのだ」
……その言葉を切っ掛けに、かつての同胞たち……竜人たちの纏っている空気が変わるのが、ドラコには分かった。いや、分かってしまった。
けれども、言わなければならない。今言わなければ、永遠に後悔するだろう……それをうっすらと予感していたドラコは、かつての仲間たちを見やった。
「例え我らがこの地に生まれることが無くなっていたとしても、祖先たちは竜人としての誇りを胸に抱いて華々しく散るべきだったのだ」
――直後、ずどん、と響いた打突音。
ドラコの放った言葉に我慢できなくなった竜人の一人が、手近にあった家の壁を破壊したのだ。それにつられて数人の竜人が、近くの家屋に怒りをぶつけた。
ギロリと、血走った瞳が、幾重にもドラコへと向けられる。
それはもはや、かつての仲間に向けるモノではない。自分たちが今しがた殺してきた人間たちに向けていたのと同じ……強い敵意を内装した、殺意の視線であった。
「――お前は我らと同じ誇り高き竜人の末裔……だが、もはやお前を我らの仲間とは思わぬ! 祖先の悲願を否定するだけでなく、神竜様までをも否定する発言……万死に値する!」
リョガンが言い放った言葉に、ドラコは「……奇遇だな、我も同じことを考えていた」はっきりと苦笑した。そして、力無く首を横に振りながら静かに俯く――そうして。
「爪も牙も鱗も持たないか弱き子供を、寄って集ってなぶり殺しにしたお前たちと一緒にされるぐらいなら……それが、誇り高き竜人のすることとして考えるのであれば……」
――ゆるりと、顔をあげた時。
「我はもう、竜人で無くていい。我は、一人一種の亜人となろう」
その瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「聞け! かつての我が同胞たちよ!」
悲しみに震える唇を噛み締めたドラコは、咆哮が如く叫んだ。
「我は『ワーグナー』! かつて我らが祖先を導いた偉大なる勇者の名であり、賢者と称えられた母より授けられた我が名は、今、ここに捨てる!!」
踏み出した足が、ずどん、と音を立てて地面に穴を開けた。ふわりと大きく広げた翼は雄大で……酷く、寂しく見えた。
「新しき我が名はドラコ! 一人一種の亜人、ドラコだ!」
周囲一帯……いや、その叫びにも似た咆哮は、ラステーラ全体に届くかと思わんばかりに大きく、青空に響いた。
その迫力はもはや物理的な圧力すら感じられ、さしものの竜人たちですら、思わずたじろいでしまう程の力があった。
――ギリギリと、竜人たちは歯ぎしりをした。
村を飛び出した者が、裏切り者として目の前に立ちはだかる……彼らにとって、それは予想外、晴天の霹靂に等しい事態であったからだ。
しかも、その裏切り者の名はワーグナー。あの、ワーグナーだ
村一番の器量良しとして男たちの視線を独り占めしていただけでなく、武力においても右に出るモノは居ないと言われた最強の竜人。
その力は、全ての竜人たちが立ち向かっても、引き分けに持ち込めるかどうかという程。一人ずつ戦いを挑むのでは、まず勝ち目は無い。
――捉えるのでは駄目だ。本気で殺すつもりでやらなければ……全員が返り討ちだ!
そう、竜人たちが同じ結論を出してすぐに、目に冷たさが宿る。
それは、一時的な怒りによって生み出されたものではない……確かな殺意。目の前の裏切り者を、絶対に殺すのだと決めた竜人たちが見せた……完全なる決別。
それを見やったドラコは、己の決断の結果を前にしたドラコは、無言のままに固く拳を握りしめる。指の間から滲み出た流血が滴となって、ぽたり、ぽたりと地面に滴り落ちていく。
「ドラコ……」
その背中に、マリーは声を掛ける。成り行きを見守っていたイシュタリア、サララ、ナタリアの3人も、黙ってドラコの背中を見つめた。
「……俺たちは、これから竜人たちと戦う。もう分かっていると思うが、手加減なんてしないし、全力でやつらを殺す。情けなんざ、掛けることはない」
「ああ、分かっている」
「いいのか、それで?」
「そうされるだけのことを、あいつらはしてしまったからな」
「全てが終わった後に、お前も処刑されるかも分からんぞ?」
「……全ては、覚悟の上だ」
そこで、ドラコは振り返った。そこに有ったのは、決別による泣き顔でもなければ、かつての仲間たちに向ける憤怒の顔でもない。
有るのは……自らの選択を覚悟した者だけが持つ、笑顔だった。
「……こんなことをお前たちに頼むのは筋違いだとは分かっている。だが、お願いだ……私と一緒に、あいつらを止めてくれ」
「……本当に、いいんだな?」
念を押すような最後の確認に……ドラコは、静かに頷いた。
「これ以上、仲間たちが畜生に成り下がっていくのは……見たくない」
「……そうかい。それじゃあ、やらせてもらうぞ」
マリーは、視線を竜人たちへ向けた。
「手を出すかどうかは、ドラコが決めな」
ふわりと、マリーはドラコの横を通り過ぎる。それに一拍遅れて、サララ、イシュタリア、ナタリアの3人がドラコの前に躍り出る。3人とも、ドラコに一瞥をくれるだけで、それ以上は何も言わなかった。
……遠ざかっていくマリーたちの気配を感じながら、ドラコはふと視線を辺りへ向ける。至る所から漂ってくる血の臭いと、燃え盛る家屋の焦げた臭い。
そして……遠目からでしか確認出来なかった少女の遺体を見やった。
まだ己の胸元辺りまでしかない少女の股座からは、どす黒い血が垂れ流されている。完全に潰された頭部からは、赤白混じりの脳髄が零れ出て、二目と見られない姿になっていた。
(……何も、変わらないではないか。我らも、人間も、根っこは同じではないか)
同じだ……何もかも。亜人を物のように扱って迫害した人間も、何も知らない人間を辱めて殺した竜人も……何も、変わりはしなかった。違うのは、見た目だけだと……そう、ドラコは思った。
「――ドラコ!」
名前を呼ばれて、思考の坩堝に入り掛けていたドラコは、反射的に振り返った。昨日購入したばかりの『ファイバー』を装備しているマリーと目が合った。
「お前の弟が、ここに来ていると思うか?」
『弟』……その言葉は、ドラコの脳裏に家族の面影を思い出させるには十分であった。
「……おそらく、来ているだろう。あいつは、ある意味では村の中で一番人間に対して憎しみを抱いていたからな」
「そうかい! それじゃあ、弟をどうするかはお前が決めな!」
……ドラコは、軽く目を瞬かせた。
「それでは、お前も咎を受けることになるやも……いや、なぜ、それを私に?」
「はあ、そんなの、決まっているだろ」
純粋な疑問を抱くドラコを他所に……マリーは、朗らかな笑みを浮かべた。
「俺が、そう望んでいるからさ!」
「――っ!?」
ポカン、と。ドラコは呆けた。そのまま頭の中で、ゆっくりとマリーの言葉が染み渡った頃……我に返ったドラコの目には、うっすらと涙が滲んでいた。
「……お前がそう望むのであれば」
するりと、滲んだ涙を拭ったドラコはもう……笑っていた。
「私の答えは既に決まっている。それを知らないわけではあるまい」
「おう、そうだったな。それじゃあ、俺たちに殺される前に早い所弟を見つけるんだな!」
「ああ……ありがとう、マリー……!」
すぅぅぅ、ドラコは大きく息を吸って、吐いた。直後、メキメキとドラコの全身が軋み、雄大に広がっていた翼が、ごぅ、と羽ばたいた。長時間の飛行は無理だが、この町をグルリと見て回るぐらいなら可能だ。
力強く翼を羽ばたかせれば、ふわりと両足が宙に浮く。マリーたちと竜人たちが激突したのを横目で見やりながら……ドラコは、青空へと飛んだ。
……。
……。
…………その様子を、少しばかり離れた所から隠れ見ていた竜人が居た。『人を憎む』竜人の中において、ひと際強い憎悪を抱いている彼は、かつてドラコの弟を名乗っていた。
過去形なのは、今は彼女の弟を名乗っていないからである。その確執とも言うべき隔たりが出来たのは、ドラコが村を飛び出すかなり前のことだ。
上空へと上昇していく姉を見つめながら、弟は思う。
――何時の頃からだろうか。
姉が、少しずつ村の住人たちと馴染めなくなっていったのは。
――何時の頃からだろうか。
日々憎悪の祈りを捧げる自分たちに、哀しい眼差しを向けるようになったのは。
――何時の頃からだろうか。
今一度考える時だと繰り返す姉の言葉に苛立つようになり、異端者として相手にしなくなったのは。
――何時の頃からだろうか。
姉の視線に哀しみが薄れ、代わりに憐れみが混じるようになり、空ばかりを眺めるようになったのは。
――何時の頃からだろうか……弟は思い出せなかった。
だが、思い出せなくても良かった。
右手に持った、古ぼけたスズが付いた鐘が、りん、と音を立てた。
今、己の手の中には神竜様から授かった神具があるからだ。
これさえあれば、姉の目も覚め、神獣の偉大な力に竜人としての誇りを取り戻し……再び、姉の勇姿を見ることが出来るだろう。
そうなれば、我らの悲願が達成できる日は近い。
神獣の力と、神竜様のお導きと、姉の統率力があれば……人類を、この地から根絶やしにすることが出来る。
「姉さん、もうすぐだ。もうすぐ、姉さんの目を覚ましてあげるから……!」
りん、と鐘がひと際強く鳴った。神具の力が発動するまで……もう、まもなくのことであった。
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