第12話

 あれから5分くらい立っただろうか……。涙と嗚咽は止まり、顔を上げた。横には宮下がいて、先程まで居たはずの彼女と母親は部屋を出て別の部屋に行っていた。


「……」


「……」


 目元はまだ赤く、服は袖の部分が少し濡れていて、窓を開けていたためか、風が吹くごとに濡れていて部分が冷たい。

 無言の中、少しの恥ずかしさと何処かスッキリしたような感情が入り混じり、不思議な空気が流れていた。

 その中、先に口を開いたのは宮下だった。


「ねぇ、なんで泣いてたのか……聞いてもいい?」


 崩していた足を立てて、体育座りのような体制になり、膝に顎を載せて少し口を尖らせて聞いてくる。

 彼女なら聞いてこない。きっと、何かを察して聞こうとしてこない。

 けれど、宮下は聞いてきた。何かを察していたはずだが、あえて聞いてきたのだろう。


「………中学生の頃まで俺には妹がいた」


 あえて聞いてきたから、俺は話してしまった。宮下に、彼女にも話していないことを。

 このときの俺は、彼女と母親の言い合いを見て、温かい感情が浮かび上がってきたことや、泣いてしまった後の恥ずかしさと、スッキリしたような感情が相まって口を滑らしてしまっていたのだろう。 


 いや、そう……思いたかったのだ。このときの俺は。



 小学校の頃に俺は、2つ下の妹がいた。ニコニコと笑っていて、家族や友達、親戚をいつも楽しませてくれた。俺は、人が苦手なのに友達ができたのも妹がいて、笑顔でいられたからだ。

 けれど、俺が小学5年生の頃に妹は病気になった。それも、まだ三年生だった妹がかかる訳がないと思っていた癌と言う病気だった。


 医者からは2年から、3年だと言われた。

 何が、と親に聞いても答えてくれない。

 いや、答えずとも理解していた。言われずとも分かっていた。けれど、決して自分ではその言葉を言いたくなかった。だから……俺は……他人にその言葉を言わせないようにあえて聞き返した。

 こう聞けば、言われずに済むと。

 ああ言えば、現実を突きつけられずに済むと。

 何より、自分が知らずに済むと。

 けれど、医者は答えてしまった。


「……妹さんの寿命です」


 頭が真っ白になる。まるで大勢の前に立たされたときのように、何も考えが浮かんでこない。

 妹にかける言葉が見つからない……立ち尽くす俺に妹は、震えた手で俺の手を握った。

 自分も怖いのに、死を突きつけられて……それを理解して一番の怖いのは妹のはずなのに。


「大丈夫だよ!私は、強いから!」


 笑顔で答える妹に、何度も救われた。何度も救ってくれた!

 だけど!この時だけは……その笑顔は。

 俺に、その事を理解させるだけの……ただの現実だった。


「………ああ」



 冬の訪れが感じられる冷たい風と、葉が全て落ちた並木通りを通り、家に帰る途中……俺と妹は、一言も言葉を交わさなかった。はく息が白く、モヤモヤとした気持ちとともに、冬の冷たい風がそれを運んで何処かに飛んでいく。


 今思えば、この時にもっと妹と話しておくべきだった。

 けれど、現実は戻らない。だから、変えられない。

 この日から、妹との距離が離れていった。怖かったろうに、悲しかっただろうに、何より……寂しかっただろうに。

 思い出せば、思い出すだけ、俺が最低の人間だと理解させられる。

 もっと、こうしていれば良かった!ああしていれば、妹はって、何度も考えた。 

 それでも考えれば、考えるほど……俺は妹から離れていった。


 あの日から2年と半年がたった頃、俺は妹と会話をすることがなくなった。 

 2年と半年の間、妹や家族と色々なところに行った。

 海に山、花見に京都の有名なお寺など、様々なところだ。妹は、夏は白に水玉模様のワンピースに麦わら帽子をかぶり、笑顔ではしゃぎ回った。

 秋は、どこか寂しそうに窓から外を見つめてため息をつく。

 冬は、雪の上を白い息を吐きながら、ザクザクという音を楽しむように足跡をつけていた。

 そして、春には桜並木を駆け抜けて頭に桜の花びらをのせて、はしゃいでいた。

 それを、父がカメラで収めて、母がそれを見て優しく微笑む。俺は……少し離れたところに立って妹の方を見ている。

 そう、見ていた。話しかけず、話しかけさせず、ただ見ていた。


「……お兄ちゃん?」


 心配と寂しさが混じったような声と共に、話しかけてくる妹に、一瞥もくれず俺はそこから離れる。

 振り返ると、いつもポツンと取り残された妹がいて、歯を食いしばっている自分がいた。

 そして、今に至る。 

 妹は、病院のベッドの上で、窓の外をどこか懐かしむような目で見つめていた。

 妹のいる部屋は壁や天井、ベッドも全てが真っ白だった。

 病院の一室に、俺を合わせて五人の人がいた。

 父と母、俺と妹、そして……医者だ。


「大変申し上げにくいのですが……そろそろ手術の日程を決めてもらわなければなりません。」


 手術、その言葉を聞いた瞬間に父は拳に力が入り、母は目に涙をためた。

 妹と俺は……無反応。と言うよりも、どう反応して良いのか分からなかった。

 泣けばよかったのだろうか?騒がばよかったのだろうか?それとも、頑張れって妹に声をかければよかったのだろうか?

 どうすれば良いのか、わからない。それがこの時の俺の感情だった。

 妹は……どうだったのだろうか?分かるはずもなく、俺はどうすることもできなかった。


「……では、十五日後でよろしいですか?」


 話は淡々と進み。妹は、十五日後に手術が決まった。

 いや、後十五日の命だと余命宣告せれた。

 妹は、助からない。最初のころから言われていた。

 医者は全力を尽くすと言った。

 けれど、それは全力を尽くしてもどうすることもできないという裏返しなのではないだろうか?


「……お兄ちゃん?」


 ベッドの上で足元に布団をかけていた妹が、いつの間にか俺の目の前で手をこちらに伸ばしていた。

 段々と伸びてくる手を俺は、握ろうと一瞬手を伸ばそうとしたが……その手を握ることはなかった。それどころか、払いのけて俺は病室を飛び出した。


「お兄ちゃん……待ってよ!!私、お兄ちゃんに聞いてもらいたいことがいっぱいあるの!だから、お願いだから……聞い…てよ。」


 涙声と嗚咽が聞こえてくる中、俺は涙を流しながらエレベーターに乗り、下の階に降りていた。

 トボトボと一人で病院を歩き回る。涙は流れたまま、横を通る人は、驚いていたが誰一人として声はかけてこなかった。

 そんな中、一回の休憩スペースに併設されているコンビニとその横のパン屋の前で足を止めた。

 パンのいい匂いと、コーヒーの独特の匂いにつられて、パン屋の前まで歩いていた。


「あら、いらっしゃい!」


 長髪の茶髪、顔立ちは大人びていて整った形をしていて誰が見ても美人だとわかる。優しい声音と安心していたのとパンのいい匂いのせいでお腹が、グゥゥと鳴ってしまった。

 女性は笑った。


「ウフフ、面白い子ね?親御さんは、どうしたの?」


 笑った顔が、安心と落ち着きをくれる。俺はこの時に涙がまた、流れ始めてしまった。


「ちょ!?どうしたの」


 慌てて、涙をハンカチで拭いてくれる女性の優しさに更に涙が溢れてしまって俺は、涙を自分の袖で拭き、恥ずかしさで走り出してしまった。

 二十分くらいたった頃、俺は一人で病院の外にあるベンチに座っていた。

 車が通るごとに、ガタガタとアスファルトがゆれて、秋の少し冷たい風が先程まで温かかった頬を撫でて温度を奪っていく。

 涙は止まり、涙の流れたあとが顔に残っていたが気にせずにただ、遠くの山を見つめていた。

 ボーッとする中、いきなり頬に温かい何かを押し当てられた。


「っ熱!」


 振り返ると、先程のパン屋の女性が立っていた。

 何で、と思ったが。何となく理解した。この女性は優しい、だから見つけて話しかけてくれた。


「もぉ〜、何でいきなり逃げるのよ?心配したんだけど」


 片手に紙コップと、もう片方の手に袋を持ってパン屋の女性は隣に座った。


「はい、これ」


 片手に持っていた袋をこちらに渡してきた。渡された袋を開けて中を見ると、そこにはパンと紙コップのコーヒーが入っていた。

 女性の方を見るとニカッと笑って、それあげると言った。


「……ありがとう」


「どういたしまして!……それでだ。何か、お姉さんに言うことはないかな?」


 顔を近づけて、無言の圧力をかけてくる。

 よく見ると、女性の服装は、先程のパン屋にいた時とほぼ一緒の格好をしている。頭の白い被り物とエプロン以外はすべて一緒だった。

 ……わかってる。この女性は、心配してきてくれたのだろう。着替えだって持ってきているだろうに、他人の……ましてや、全く知らない俺を心配して探してくれていた。

 言わなければいけないことはわかっている。

 だけど、その言葉を本当に言わなければいけないひとから、俺は逃げてきた。


 無言の時間が、数分たった。

 けれど、女性は口を開こうとしない。ジッと俺を見つめて、待ってくれていた。

 女性も、気づいている。俺が言わなければいけない言葉を理解していることを、それを理解して言葉に出せないことを。

 何度も、何度も!口を開こうとした。言葉を、声を、それを相手に届けるために。

 待っていてくれる。だから、ゆっくり、相手に聞こえるように。

 俺は、その言葉を声にした。


「……ゴメン…なさい」


 涙声と一緒に、吐き出した声に女性は頷いた。


「ちゃんと言えるじゃん。……後、何かあるなら聞くよ。何でも」


 優しい声音と、目から頬に流れ落ちていた涙を指で拭き取って女性はそう言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る