中国古代の王朝~「商」の「文化」~

「商」の文化は「夏」と「商」と「周」の中で卓抜しているといって過言でない。周王朝は諸侯が多すぎて自分達の文化圏が少なかったためか、周王朝時代には様々な文化が育ったものの、王朝が関わったといえるものはすくなかった。その点商王朝はまだ版図も広くなく、中央集権の形をとれたので、王朝主導での文化の推進ができたのであろう。

商王朝は、まず青銅器の技術が素晴らしい。青銅器は祭祀に使うものであるから当然であろうが、商は元来冶金技術に優れており、その技術をもって夏に勝てたとの説もあるくらいである。まあ、卵が先か鶏が先かという感じではあるが。また、馬車を積極的に取り入れたのも商が初めてだった。

「商」の文字を「あきない」という意味で使うのも、商の民が「売買」を始めたかららしい。亡国の民が始めたとも、商王朝時代に貨幣を始めようとしていたとも言われているが、物々交換の時代に物に価値をつけて購うとは、先進性のある民であったに違いない。

史書によると、商は衰退する度に在野から賢相を採用しては建て直しを図っている。組織は存在した時から腐敗が始まる。腐敗や衰退は避けられないなか、それを常に刷新する努力をすることで、組織は長い寿命が保たれるのだ。

そして「漢字」である。商王朝では当然漢字とは呼ばれたわけはないが、それまで象形文字のような「絵」であったものを、誰もがわかる「字」の形に変えたのが商時代の遺跡から発見されている。「漢字とちから」でも書いたが、これも祭祀のために必要となったものであるが、この後数千年にわたって使用される物を「発明」したのである。

このような例を見てみると、祭司から必要になったものが多いとはいえ、商人しょうひとが行っていた事柄は先進性があったといえる。何となくではあるが、日本の戦国時代における尾張人、例をあげるとするなら織田信長あたりを彷彿とさせるのだ。



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