古代史の歴史書~武帝への復讐~

史記には他の歴史書にない大きな特徴がある。それは著者たる司馬遷の生涯の記録である。先にも書いたが、古代の史官というものは歴史を紡ぐことを大事にしており、個というものを重視しなかった。史書には著者名などは記載されていない事が多い。孔子が関わったとされる「春秋左氏伝」も無名の作家名はあるが、孔子の名はどこにもない。後代においては歴史書の編纂は国家プロジェクトとなり、個人が大きく出てくる事はない。そもそも著者が前に出てくると、主観が入っていると思われてしまい、史書としての中立性が疑われてしまうのだ。

史記は司馬遷個人の著書であるが、歴史書に撤するのであれば、著者の事をぼやかすほうが信憑性が増すはずだ。にもかかわらず、司馬遷が克明に自分の生涯を記した訳は、後世に伝えたい何かがあったに違いない。そして「史記」は「恨」と「報い」の感情が出ているといわれる史書である。これらをみるに、やはり司馬遷は武帝を深く怨んでいたのだろう。

自分の人生を克明に正直に書く事で、武帝の愚かさを間接的に伝える事ができる。ここで武帝への悪口雑言を書いてしまうと私怨によるものと受け止められるので、武帝の英邁な部分はきちんと書き記しておいた。こうする事で、愚昧な部分とのギャップがひどくなる。また李陵が本当に裏切っていなかった事も大きかった。これでますます武帝の愚行が浮かび上がるのである。

「ペンは剣より強し」という言葉がある。これは「ジャーナリズムは暴力に屈しない」という意味だけではない。どんなに暴虐な支配者とて正確な歴史を残されては、後の歴史の評価を変えることは難しい。古代中国では支配者たちは歴史の重要性を知っており、死後の祖先への報告のためにも、後世の評価を気にする者は多かった。それ故に、司馬遷は歴史家としてできる、唯一で最高の「ざまぁ」を仕掛けたのではないだろうか。そしてそれは見事に成功する。司馬遷は同情と尊崇を勝ち取り、武帝は歴史的な評価を下げられるのである。

復讐は、現世だけでなく歴史においても行われるものなのだろう。理不尽な行為を書き記す事で、後世に報いを受けさせる事もまた歴史家の勤めなのかもしれない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る