後天性進行型白皮症

七井湊

白髪の転校生

1


 「ねえ、真琴くんは知ってる?」少女は少年に小声で訊ねた。小学校の図書室のテーブル席で、二人は向き合っている。「先天性白皮症っていう病気」

 「知らない。沙織はそういうの詳しいよね」

 「本が友達だから。いつか人は離れていくし」

 「それで、先天性白皮症っていうのは?」

 「色素を司るメラニンが生まれつき少ないから、肌の色が白くなるの。アルビノともいうみたい。日光でさえ火傷してしまうぐらい、肌が弱くなるの」

 少女は広げていた図鑑のページを繰り、セキセイインコを指で示した。

 少年は黄色や黄緑色の鳥を想像していたので驚いた。そこには真っ白な鳥の写真があった。目は赤く、想像とはかけ離れていた。でも確かに写真の下にはセキセイインコと書かれていた。

 少年は訊ねた。「これもアルビノの症状?」

 少女は頷いた。「これもアルビノの症状」

 「綺麗」

 「ただ、悲しいこともあるの」

 「というと?」

 「例えば植物は光合成をして生きるよね?」

 「そうだね。理科の授業で習った」

 「でも植物のアルビノはそれができない」

 「葉緑素がないんだね?」

 「そう」少女は悲しそうに呟いた。「枯れて死んじゃうの」

 「何とかする方法はないのかな」少年は子ども特有の弱者への慈悲から言った。

 「一応あるよ。緋牡丹なんかはそうだね。接ぎ木して、代わりに光合成してもらって生きるの。一人では生きられないけど、支えてもらえば、生きていけるの」

 「介護みたいだね」

 「真琴くんのお母さんのお仕事と一緒」

 「ある意味、僕も緋牡丹と同じだと思う」

 「私もそうだよ」

 二人はしばらくのあいだ見つめ合い、やがて頬を赤く染めて顔を逸らした。

 一人で生きられたらいいんだけどね、と少女は寂しそうに言った。


2


 篠原真琴は学校に馴染めない男の子だった。

 彼は父親の仕事が落ち着くまでに、小学校を三度転校した。初めは新たな地での学校生活を楽しみにしていた。転校する度にクラスメイトに囲まれ、いくつも質問された。習い事は何をやっているのか、前に住んでいた県では何が有名か、方言はあるのか、等々。人気者になれたようで嬉しかった。

 ……しかし真琴は繊細な子どもだったから、クラスメイトの興味は真琴自身に向いているのではなく、転校生の物珍しさに向いているのだと悟った。質問がパターン化されていることに、二度目の転校でうっすらと気づき、三度目の転校で確信した。

 「分からないことがあったら訊いてね」と言うクラスメイトは優しくもあったが、優しくしている自分に陶酔しているようにも感じた。そしてそれは真琴の生きづらさに繋がった。もっとも、クラスメイトの打算が事実かどうかは定かではない。でもそう感じたのだからしょうがない。

 父親の転勤は小学四年生の夏の終わりに落ち着いた。起こったことよりも感じたことを信じろ、大切なのは事実じゃなくて解釈だ、と真琴の父親は励ましたが、しかしその頃にはもう手遅れだった。真琴と周囲のあいだには大きな壁が聳え立っていた。夏休み明けの初登校をピークに、真琴に近づく人は徐々に減っていった。『夕焼け小焼け』が聞こえ始めた時の児童公園みたいに。

 寂しさは堪えるものがあったが、心地良くもあった。自分に宛てられた発言の真意を考えるよりは、無関心と沈黙のほうが楽だった。

 問題は寂しさだった。

 父親は会社員で母親は介護職に就いていたし、両親が共働きの上に兄弟もいなかったから、家族との交流はほとんどなかった。また友達もいなかったので、真琴は常に孤独だった。孤独な人に向けられる憐憫の眼差しが痛かった。

 昼休みや放課後は学校の図書室で過ごした。最終下校時刻になると本を借りて帰り、家で読み耽った。宿題も律儀に済ませ、授業課程の先まで教科書を読んだ。読書家だったわけではなかったし、勉強熱心なわけでもなかった。他にすることがなかった。孤独から目を背けられれば何でもよかった。

 不健全な慰め方だった。

 本来なら同い年の子と友達になり(男子でも女子でも)、放課後に駄菓子屋や図書館に行ったりするべきだった。彼は平凡な人生を歩みたかった。けれどもレールはいつの間にか切り替わっていた。彼はなにかを変えなければならなかった。でも彼はなにを変えればいいのか分からなかったし、そんな力も持ち合わせていなかった。そして陰気な方法でしか現実から逃げられない自分のことを、ひどく惨めに感じた。


 しかし、転機が訪れた。

 水島沙織との出会いだった。

 彼女は小学5年生の春、転校生として篠原真琴のクラスにやって来た。

 ──なにかが変わる気がする。

 真琴は朗らかな兆しを感じ取っていた。


まとめ・あらすじ


 篠原真琴は転校生の物珍しさ故に、世界に馴染むことができなかった。そんな中、小学5年生の春、同じクラスに転校生として水島沙織がやってくる。なにかが変わる。そんな予感があった。


2

 たとえるなら二人の出会いは花だった。

 咲けば最後、いつか花は枯れて散る。それなら初めから知らなければいい。でも二人は出会ってしまった。そして知り合ってしまった。深く。とても深く。


 始業式の朝の教室が色めき立っていた理由は、転校生がクラスにやって来るからだった。真琴は落ち着かず、窓の外を見る目も定まらなかった。ぼんやりと椿の枝を見ながら、後ろの空席のことを考えた。どんな子が来るのだろう?

 それからクラスメイトのガヤを聞いた。女子らしいとか、かわいかったらどうするかとか、付き合うかとか、そういう話。友達もいない彼には縁遠い話に聞こえた。部活に誘うかとか、新しい子はめんどくさいよとか、そういった話も聞こえた。

 ──自分がからかわれているみたいだ、そう思えてならなくて、教室から出てしまいたくなった瞬間、教室のドアが開いた。それは真琴にとって救いだった。教室は静まり返る。視線が開かれたドアの方に集中する。教師と、その後ろに女子が見えた。


 教師が黒板に大きく水島沙織とチョークで書いた。教卓の前に二人は立ち、教師が「自己紹介して」と女子に言った。

 


 え、それだけ? とでも言いたげな、なんとも気まずい空気が狭い教室中に漂い始めた。教師も焦り「空いてるあの席座って」と言い、虫を払うような手の動きで真琴の後ろの席を示した。それが理不尽に思えたので、真琴はなにか慰める方法はないだろうかと思い巡らせた。

 僕も最初はそうだった、とか教室の空気が悪かったね、とか、でも特に見知った相手でもないのに勝手に慰められても困るだろうという結論に達した。更に傷つけるのがオチだろう。

 しかし、そもそも水島沙織は席に座らなかった。それどころか教卓から真琴の方へ一歩たりとも近づかなかった。

 彼女は逃げるように教室から飛び出した。


 追いかけ役は誰?



 篠原くん転校生だったもんね、丁度良いよ、気持ちも分かってあげられるんじゃないかな、と体の良い言葉を並べ挙げ、半ば強制的に真琴は任命された。たしかに!水島さん係りは篠原くんがぴったりだね、と一人が言った。

 真琴は腹立たしかった。まるで動物みたいじゃないか、あの子には人権がないんだろうか、始めがダメだったらもうやり直せないんだろうか?

 冬の夜風のようにピリピリとした心のまま、真琴は教室から出て沙織を追いかけた。しかしいったいどこにいるのだろう? 


まだ学校には不馴れなためか、遠くへは行っていなかった。



 水島沙織はいかにも陰気な女の子だった。と教師に言われ華奢な女の子で、


 生徒と一言も話すことなく、逃げるように教室を出てしまった。笑い声


 ガヤが唐突に思い出された。かわいかったらどうするか、付き合うか、そういう話。真琴は沙織のことを異性として認識した。そしてそれを自覚してしまい、ぎこちなくなった。





 そうだね、たとえば……。

 真琴は半年前に起きたことを語った。


 ある秋の放課後、教室を出て図書室に向かおうとすると、声をかけられた。襟元にフリルの付いたワンピースを着た女の子だった。名札には青山希実と書かれていた。彼女は成績の良い真琴に「勉強を教えてもらえないかな」と頼んだ。

 勉強ができる人なら誰でもいいんだろうな、と真琴は思った。断りたかったが、軋轢が生じるのは癪だったので不承不承引き受けた。しかし希実は男子から人気のある女子だったから、それを目にした男子が噂を広げ、真琴はからかいの的になった。大体の子どもは慈悲や全能感の他に嗜虐心も持ち合わせているものなのだ。そして転校してきたばかりの日のように囲まれた。「転校生くんってさ、希実のことどう思ってるの?」「好きなの?」と小馬鹿にしたように笑いながら。うんざりだった。

 人と関わることで、彼の孤独はより一層深まった。自分は人と関わってはいけないんだ、と真琴は思った。行事や班行動などを除き、ひたすら人を避けた。夏の終わりから始まった陰鬱な日々は秋と冬を越えるまで続いた。

 春、転機が訪れた。小学五年生の始業式の日、転校生がやってきた。水島沙織。真琴は彼女の存在に希望を見出だすことができた。転校生。それは一人ぼっちの彼にとって、たった一人の仲間に思えた。



 ……苦しい秋と冬だったんだね?

 真琴の過去語りを聞き終えると、沙織は訊ねた。彼は頷いた。

 




馴染める沙織を見て


馴染めないのは自分の努力が足りないせいだったのではないか。転校生というラベルが貼られているせいにして、楽な方へ楽な方へ逃げ込んでいただけなのではないか。


声をかけてみようかとも思う。でも長年に渡り染み付いた他者への苦手意識が邪魔をして、話しかけることができない。いつになく掛け時計が気になる。1時25分。あと5分もすれば昼休みは終わり、この絶好の機会を逃してしまう。





 「先生はね、私のこと、感性が豊かだって褒めてくれるの。前の学校の先生もそうだった。でも私はね、なんとなく思うんだけど、水島さんは人と違うね、変わってるね、生きづらそうだね、っていうのを優しく言ってるだけな気がするの」

 「オブラートに包んで?」

 「アルコール綿で拭いて」

 「案外こっちは気づいてるのにな」

 「考えすぎなのかもしれないけどね」

 「僕もそういうことばっかりだった」

 「真琴くんも?」

 「先生はいつも本読んで偉いねって。でもそれってさ、一人ぼっちで寂しくないの?って意味に聞こえるんだよね」

 「分かる気がする」

 「教室でもそうだよ。本当に僕に興味がある人は居ないんだよ。もし話しかけられても、結局はさ、転校生っていう珍しさに興味を持ってるだけ」

 「転校生っていう珍しさに、興味を持ってるだけ……」

 俯いて言う沙織に、真琴は取り乱して言った。

 「ごめん。その、悪気はなくて」

 「ううん。違うの。私が感じてたことをそのまま言葉にしてくれたから、びっくりしただけ」

 「でも下を向いてた」

 「恥ずかしかったの」

 「やっぱり、ごめん」

 「世界は狭いね。私と同じ気持ちを持った人が、こんなにそばに居るんだね」

 その口調がなんとなく艶やかだったので、真琴は黙るほかなかった。

 「私はね、ずっと一人ぼっちだと思ってた。これまでもそうだったし、きっとこれからもそうなんだと思ってた」

 「僕も同じだよ。でも水島さんが転校してきた」

 「沙織でいいよ」

 「今度からそうする」

 「ねえ、真琴くんは明日も図書室に来る?」

 「いつもいるよ。他に行く場所もないから」



 白髪


 死にたくなるほど恥ずかしいのかな、と真琴は不思議に思った。友人さえまともにできたことのない彼には、異性の気持ちがまるで分からなかった。


 若白髪は長生きの証らしいよ。本で読んだ


 「抜こうか?」

 「考えさせてほしい」

 「そんなに大事かな」

 「私にとっては大事なの」

 「それなら、明日また図書室で」

 真琴は席を立ち、本を片付けに歩こうとした。

 「待って」

 沙織の指先で裾を摘ままれて、真琴はどうすればよいのか分からなくなった。

 「真琴くんは残酷だね」

 「なにか困らせているなら謝りたい」

 「ごめん。ただのうそだよ」

 「どうすればいい?」

 「……そばにいてほしい」




 後天性進行型白皮症の初期症状である白髪は、沙織にとって忌々しい存在だった。着実に死に向かっているのだという不安を感じさせた。このまま少しずつ全身が白く染まっていく、いや、そんな綺麗な話ではない。色を失っていく。血色が悪くなっていく。人間の色ではなくなっていく。髪も眉も睫も目も唇も、幽霊みたいになっていく。彼女は思った、そうしたら私はもう真琴くんと顔を合わせられない。

 白髪は単純に年齢として恥ずかしかった。抜いてほしかった。でも「若白髪は長生きの証らしい」という彼の言葉が嬉しかった。彼は彼女に未来がないことを知らなかった。長生きはこれ以上ない皮肉だった。残酷だった。しかしだからこそ彼女は信じられた。同情も先入観もない清らかな言葉を。お守りみたいに思えた。彼のたった一言だけで、彼女は呪いさえをも愛することができた。彼女は淡い希望を抱く。……もしかしたら私は本当に長生きして、ずっと真琴くんのそばにいることができるのかもしれない。真琴くんの横顔を見続けることができるのかもしれない。

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後天性進行型白皮症 七井湊 @nanaiminato

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