第2話 投げキャラVSオーガ『これはガードだ』

 神官服の裾を振り乱し、娘は茂みの中を駆けていく。

 老いた祖父の言葉が、彼女の頭の中で繰り返し響いていた。


「火竜ハヴザンドを倒し村の危機を救うのは、異世界からの勇者を置いて他にない。彼らはゲンダイチシキという優れた文明や、神から賜われた『絶技チートスキル』、超上位錬金術により魔術を超えたマジックアイテムなど、我々の及ばぬ力で魔物の脅威を凌駕する」


 息せき切って神官の娘がたどり着いたのは、村外れの祠だった。

 木のウロにこじんまりと設えられた石碑には、苔むしてはいても僅かにその力を感じられる、魔物除けの呪言が彫り込まれていた。


「祠に収められた聖遺物を入手せよ。火竜の到来以降、今や祠へと至る道筋にも魔物が沸いている……。低級な魔物であれば祠の結界が通用するはずだ。強力な敵がこの地にはびこる前に、聖遺物を掘り起こせ。第七の遺物に祈るのだ、我らがシスター」


 祖父に言われた祠が、今もなお無事であることを認め、娘は安堵の表情を浮かべる。

 だがその顔に、一瞬にして暗い影がのしかかった。これは比喩ではない。

 晴れ渡った空を覆うかの如き、巨獣の飛来がそのときあったのだ。

 耳に届いた羽音から想定される、最悪の事態を胸の奥で打ち消しながら。娘は空を見上げた。

 そして絶望する。

 そこには、宙を舞う火竜の姿があったのだから。


 大口を開いた火竜は、怯える娘を歯牙にもかけず、祠に向かって紅蓮の炎を吐き出した。

 希望を打ち砕かれて、へたり込む娘――。

 が、膝が地に着く寸前にこらえ、彼女はそこに立ち続けた。震える手で十字を切って、神官としての矜持を示してみせる。

 自らの身の危険も顧みず、ただ娘は祈る。ドラゴンの吐く炎の息ファイヤー・ブレスが祠を焼き砕き、点々と花咲く野を燃やし、かすめた炎が衣服と肺を熱気で焦がそうとも。


 しかし祈りは、無駄であった。

 木のウロにあった祠は跡形もなく消し炭となり、もとよりあった木も根も野も花も、たゆたう風すらも、灰となったかのようであった。

 役目を終えたとばかりに火竜は、二度三度と翼を羽ばたかせてどこかへ飛び去っていく。

 火竜の羽ばたきを浴びせられ、娘の長き黒髪が乱される。こぼした涙も、乾いて消える風であった。


 去った火竜と入れ替わるようにして、小さきものの姿がぽつぽつと現れ始める。

 『尖兵たる小鬼』、ゴブリンである。

 彼女の脳裏に、先程の祖父の言葉がまたも蘇った。


「火竜の到来以降、今や祠へと至る道筋にも魔物が沸いている……。低級な魔物であれば祠の結界が通用するはずだ」


 既に、祠はない。焼き払われて結界もない。

 最後の祈りに費やしたことで、娘には魔力もろくに残っていない。

 小振りなメイスを握ってゴブリンを見渡すも、わらわらとその数が増えていくに連れ、自らの手先が冷えていくのを彼女は感じていた。

 突然のことだが焼け木杭ぼっくいより天を衝く十字の光が放たれた!!

 ドカーン!!

 光を伴って十字から吹っ飛び、現れたのは!

 神父服に十字架覆面の、巨漢レスラーだった!!


「まさか……! わたしの最後の祈りが……聖遺物に、通じた……??」


 驚く娘の目前で、神父服の覆面レスラー(そう、我々はこの男がロザリオマスクであることを既に知っている!)は、十字の光から宙に放り出されたその体で、焼け野に受け身を取ってダメージを最小限にした。

 火竜の炎の息ファイヤー・ブレスで燃やされたばかりの地面に、吸い付くように背中と両手を当て、バシーン! と音を響かせての背面着地。

 臨機応変の対応は、日々の全国興行の賜である。


「これは一体どういうことだ……? 致命傷を負って、俺は……。懺悔室に倒れていたはずだ……!」


 レスラーは記憶をたどる。アシッドシティにて戦いを終え、祈りを捧げる修道女の傍に、彼は横たわっていたはずだった。

 だがその身には怪我ひとつない。あえて言うなら、焼野に受け身を取ったので手のひらが今、少し焦げた。

 話しかけてくる見知らぬ娘は、まるで異世界の修道女シスターのような出で立ちをしている。教会で彼の傍らにいた、車椅子の女の姿と、面影が重なっていく――。


「あ、あの……あの! その見慣れぬお姿、異世界からの戦士でしょうか?」

「うん? まあ俺は、ファイター戦士ではあるが……」

「おお、神に感謝を……! いいえその前に、事情を説明しなくては……。ええと、火竜を倒していただきたいのですが、あっ、ていうかそれよりも! あなたは武器を持っていない……ですね? 急な異世界召喚で、武器をお持ちになれなかったのでしょうか……?」

「武器はこの肉体ひとつ!」


 ロザリオマスクは、はちきれんばかりに筋肉が詰まった神父服の胸元を、でかい平手でバチン! と叩いてみせる。まるでゴリラの威嚇である。

 急展開のこの状況に、レスラーを呼んだ側の娘も、娘に襲いかかろうとしていたゴブリンたちも、顔を見合わせて困惑していた。

 一番困惑するべきロザリオマスクが場に最も順応しているのは、レスラー特有の受け身のなせる技か。臨機応変の対応は、日々の全国興行の賜である。

 ファンとの交流や、巨躯に怯える子供の相手、リング上での決死の強がり。様々な場面でロザリオマスクがまず行ってきたことは、状況を知ることではない。力強い自分を、皆に見せることなのだから。


「ところで小娘。火竜がどうこうと言っていたが、それはこの小さき者どものことではないよな? こいつらが、このロザリオマスクの対戦相手か?」

「あっ、は、はい! この魔物はゴブリンです。低級な魔物ではありますが、群れをなして襲ってくるゴブリンは、充分に恐ろしい敵となります。まずは一旦この場を離れ、態勢を整えましょう!」

「ゴブリンだと? 俺の世界では、おとぎ話の魔物か何かだったはずだが……要はつかんで投げてしまえば良いわけだろう」


 かくして火竜を倒すために異世界から呼び出された覆面レスラーのロザリオマスクは、ゴブリンの一団をつかんでは投げ、つかんでは投げ、頭突きとかも食らわせ、倒しきったかと思ったところに腰に岩をぶつけられて振り向くとオーガがいたのだ!

 以上、異世界転移からこれまでの、あらましであった。あらかじめお伝えしよう、さらなる細かい経緯は今後、小出しにされる! 詳細な説明をまずは横に置き、戦いを見守ることとしようではないか。


 目下の対戦相手、でっぷりとした腹が腰布からはみ出し気味のオーガは、巨躯ではあるがロザリオマスクとは雰囲気がだいぶ違う。有り体に言えばデブである。

 くっちゃくっちゃと口を動かしながら牙むき出して笑みを浮かべ、つばを吐く様が憎たらしい。噛みタバコの類を口にしているようだった。

 さあ、プロ・レスリングVSアマ・ベースボール。オーガ振りかぶって第二球(岩)、投げました。

 かたやキャッチャーミットさながらの大きな平手を構えて待ち構えるは、ロザリオマスク。しかし相手はボールではなく岩なのだ。

 投げているのも身の丈5メートルはある大鬼オーガであり、どれほど鍛えた人間であろうと正面から受けてはデッド・ボール死球

 ところがである。ロザリオマスクは自らの顔を覆うように、両手を斜め十字にクロスさせたかと思うと、飛んできた岩をまるで、小石のごとく受けきったのである。

 明らかなる殺意の岩を、筋肉でガッと受けて落とす。

 オーガの投石を持ってして、この男なんと、ほぼノー・ダメージ無傷


「これはもしや、防護魔法ですかロザリオマスク? 詠唱もなしに魔法が使えるなんて、すごい……!」

「いいや、これはガードだ」

「ガード……?」

「ガードだ」

「た、確かに……ガードしたのはわかりましたが、素手で岩を受けて無傷ということは、つまり……? その服が特別製なのでしょうか?」

「いいや、ガードだ。レバー後ろだ」

「レバー後ろ……??」

「やれやれ、この世界の人間はガードも知らんのか? 俺がいた世界では常識だったがな……」


 大男と小娘が会話しているその間に、気づけばオーガは三度目の投擲攻撃を繰り出そうとしている。

 その手に握られているのは、槍だった。


「あの槍は、ゴブリンが持っていたものと同じもの……! オーガの背にも何本か似た槍が背負われています。もしかするとゴブリンを率いていたのが、あのオーガだったのかもしれませんね」

「ふうむ……さてどうするか。ガードすれば基本的にダメージは受けないとは言え、必殺技の場合はガードの上からでも四分の一の削りダメージは受けてしまう。このまま体力を削られ続けるのは戦況としてよろしくないな」

「……??? すみませんロザリオマスク、あなたの世界の常識についていけないもので、正直わたしはご協力することがあまり出来そうにありません! 削りって何!?」

「案ずるな、シスター。つまりはこういうことだ。ここでガードしていても削られる一方なのであれば、オーガに近づいて投げてしまえばいいというだけの話。やることは変わらん!」


 空を切ってロザリオマスクに向けて放たれた、一本の投げ槍。

 この切っ先すらもガードで防いでしまうのかと思いきや、大男は鍛え上げられた両腕を己の左右にぐいと伸ばし、両足をぴたりと閉じて、自らの身体で十字架の形を描いてみせた。

 彼のマスクの額に輝くロザリオの像に同じ、筋肉による美しき、人十字である。

 更にそこから全身を横回転。十字の姿でグルグルと回りながら、レスラーは叫んだ。


「クリスチャンラリアット!」

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