マイ・フェア・レディ、またはエピローグ

 ラグランジェ国際宇宙港の端の、辺境惑星行きのゲートから、三人の大人と一人の子どもが、他愛もないおしゃべりをしながら歩いていく。

「どうやってここまで来たの?」

 子どもが手を繋いで歩く男に尋ねる。

 シャトルには間に合わなかったはずだ。それに、シャトル内で一般旅客が他の宇宙船と通信なんかできるはずがない。

 まさか、パイロットごと宇宙船をレンタルしてきたとか?

 膨大なレンタル料金を考えて、子どもは青くなる。

「A級ライセンスなら持ってる。たまにそっちの仕事もしてるんだ。その関係で随分安くしてもらったよ。宇宙船のレンタル料金」

「なんでそっちメインでやんないの?」

 子どもを含む、連れの三人に一斉に突っ込まれても気にすることなく、男は答えた。

「地に足がついてる仕事のほうが好きなんだよ。ところで、兄として頼みが一つあるんだが」

 男がわざとらしく咳ばらいしながら言う。「兄」という言葉を改めて使われて、なんだかくすぐったい子どもは、わざとぶっきらぼうに「何?」と聞く。

「あのさ、『オレ』っていうの、やめてくんない?」

「なんで? おかしい?」

 郷里じゃ普通なんだけどなあと、子どもは隣を歩く男を不思議そうに見上げる。

「おかしいというか……田舎はそうだってのはわかるんだけど、女の子なんだから、せめて『あたし』とかにしてほしいわけよ」

「えっ?」

 後ろを歩いていた青年が、驚いて足を止めた。

 呆然としている彼を振り返って、男はにやりと笑った。

「やっぱり気づいてなかったんだ」

「その格好といい、その言葉遣いといい……どう見たって……あ、わかった。資料には性別も書いてあるから……」

 動きやすいのが一番という本人の嗜好もあるにはあったが、学校への親の送り迎えを望めない子どもは自分で身を守るしかない。顔立ちが整っていれば、男の子でさえも危険な地域もあるのだ。治安のよくない街に住む女の子は――大人の女性でさえも、めくればどうにでもできるスカートなど仕事とデート以外では履かない。

 そのことを、親の送り迎えが当然の、平穏な町で暮らしてきた青年は知らない。

「何言ってんの。見りゃわかるじゃない。ていうか、なんで見てわかんないの。クリスってばこーんなに可愛い女の子なのにねー」

 男は子どもと繋いだ手をぶんぶんと振った。一見、少年にしか見えない少女は耳まで赤くなり、恥ずかしそうに手を離す。

 青年の隣にいた小柄な女は、その兄バカぶりに我慢できず、声をあげて笑い出す。

「まあね、その辺はおいおい厳しい指導が入るとは思うよ。うちには優秀なヒギンズ教授がいるからさ」

「ヒギンズ教授って?」

 青年が尋ねる。何度も上演され、映画化されているそのミュージカルを、彼は知らなかったらしい。

「ひどい下町訛りの娘にきれいな言葉や礼儀作法を教えて、レディに仕立て上げるって話にでてくる先生」

「なるほど。そういうことなら任せてください」

 青年は誇らしげに胸を張った。

 後ろで笑っていた女は男に近寄り、青年にも少女に聞こえないように囁いた。

「あなたはあの話が最後にどうなるか知ってて、そんな例えを?」

「もちろん。お兄さんにはすべてお見通しなんですよ」

 男は微笑む。

「早く帰ろうよ」

 いつの間にか青年と少女は先を歩いていた。二人並んで男のほうを振り返って呼ぶ。

「呼んでるわよ」

 言い残して、女も二人のいる方へと急ぎ足で向かう。

「ま、どっちにしても、かなり先の話だろうけどね、それは」

 取り残されていた男はひとりごとのようにそう言うと、先を行く三人を追って歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

緑の冠 黒木露火 @mintel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ