第48話:最後の戦い

「う……」


 ジュネが呻いた。カズヤは肩を揺らして、「ジュネ、ジュネ」と呼びかける。

 しかし苦痛の表情を浮かべて、彼は答えない。意識があるのかも、よく分からなかった。

 ジュネの身体の下から、自分の身体をそっと抜く。気を付けたつもりだが、ジュネの身体は地面にどさと落ちた。

 疲労だか怖れが残っているのだか、カズヤの手は今ひとつ言うことを聞いてくれない。

 だがそれで、ジュネの背中を見ることが出来た。見て――絶句する。

 それほど広くもない友の背中は、鮮血に染まっていた。

 傷は一つ。真横に一本の線を引くように、鋭利な刃物で切られたような谷があった。脈打つのと同調して、赤い漣は止めどなく溢れ出る。

 雷禍の嘴で、引っ掛けられたのかもしれない。いや原因はいい、どうにかしなければ。

 このままじゃ、ジュネが死んじまう。俺を、俺なんかを助けて。

 その思いばかりが、頭の中を支配する。そうではない、血を止める方法だ。

 なにか、なにか。今度はそればかりだ。これではダメだ。カズヤは誰かを治療した経験などない。絆創膏を貼ったことさえだ。

 なら、出来る奴に頼めばいい。

 名案だ。カズヤの人生で、最高の名案だ。誰かに頼んで出来るなら、自分で叶わないなら、そうするしかないのだ。


「マシェ! 来てくれ! 頼む! ジュネが! 死にそうなんだ! 頼む! お願いだ!」

「すぐ行くわ!」


 短い宣言は、これ以上なく速やかに実行された。戦う相手が居なくなっていたのはもちろんだが、それにしたってこれほど早く、それほど速く、動けるものかというほど。


「雷禍の嘴に……庇ってくれたんだ、俺を」

「分かった。腕を押さえてて」


 なにから話すべきか言葉を探し、振り撒くカズヤを、彼女は一言で黙らせた。力強く、信じさせるに足る声だ。

 マシェはジュネの首すじやわき腹、太ももの辺りを叩いたり押さえたりする。背中の傷とは関係なさそうな気はするが、疑問には思わなかった。

 ただ、最後に傷口そのものを押さえて、ジュネが「くうっ」と喚いたのには驚いた。けれどもそれで、マシェはしっかりと頷く。


「私は薬師じゃない。でもたぶん、手当てすれば大丈夫」

「分かった、頼む。俺に出来ることがあったら言ってくれ」


 カズヤの申し出を受けて、まずは上衣が奪い取られた。

 その一方で、マクナスは虐殺を続ける。

 捕縛を命じられた兵士では、近寄ることも叶わない。騎士が数人でかかっても、一人ずつが確実に戦闘力を奪われていく。


「片腕を失ってなお、か。これほどの腕、どうして身につけた」

「教える義理はない。風にでも聞け」


 倒れた騎士から、シヴァンは剣を拾う。「違いない」と嘯きつつ、慎重に間合いをはかる。

 騎士も兵士も、まだまだ残っている。皆が手負いであるのを入れても、マクナスの力尽きるほうが早いだろう。

 素人目にもそうであるのに、指揮官であるシヴァンは、自ら切りかかっていった。その刃は、肩も胴も狙っていない。明らかに、大剣の手元へ向けられていた。


「血迷ったか!」


 見え透いた攻撃には、必ず裏がある。それくらいはカズヤにでも分かることだ。小さく変化して腕を狙うか、大きく変化して隙の大きい右腕側を狙うか。

 それをあえて放置したマクナスは、大剣を持つ手をそのままに左足を踏み出した。次いで右脚を大きく振り上げ、回し蹴りを放つ。

 シヴァンは、避けようとする素振りがない。片手持ちの剣を左手で押さえるように、僅か変化させた剣先を振り下ろす。

 二人の攻撃は、互いに同時。同時に命中して、剣先を打たれた大剣はびくともせず、無防備な腹を蹴られたシヴァンは、もんどり打って倒れた。


「剣先とは奇策だな。だが、足りなかったようだぜ?」

「シヴァン――見事」


 残るはお前だけだ。そう言っているのかもしれない。直衛をしていた兵士は既になく、騎士が一人残るだけの伯爵に向けて。

 その騎士が一歩出る。シヴァンの指揮していた者たちも、警戒の輪を縮める。だがそのどちらも、伯爵は腕で制した。剣の柄に手をかけつつ、ゆっくりと前に出る。


「マクナス。僕を忘れてもらっちゃ、困る」

「……ああ、まだ諦めてなかったのか。お前じゃ俺には勝てないんだが。なあ、グラン」


 ここぞという場面を、伯爵は奪われた。貴族の名誉と言うなら、グランは不敬を問われても良いのかもしれない。

 だが伯爵はなにも言わなかった。剣の柄から手を離し、乱れた髪を手櫛で撫でるだけだ。


「目当てを狩ったんだ、満足だろうが!」

「そうはいかないね! こんなの、僕が狩ったなんて言えるものか!」


 再び向かい合った二人が、もう激しく動くことはなかった。武器の使い勝手を試してでもいるかのように、振り下ろし、薙ぎ、突いて、互いの剣を互いが丁寧に受けた。

 手遊びと見る者が居ても、おかしくなかっただろう。けれども囲んでいる兵士たちの一人として、そんなことを口にしなかった。

 固唾を呑んで、桁の違う二人の技に見入っている。

 それはいつまで、なにをもって終わるのか、そう思った者は居たに違いない。だがそれも、当の二人にして分からなかっただろう。

 どこか納得出来るところがあれば。きっとそういうことだ。

 十と八合。結果で言えば、それが打ち合った回数だ。互いになので、三十六合と言っても良い。

 そこで二人は剣を下ろし、静かに語り合った。


「分かった。今の僕の技では、君に勝てない」

「当たり前だ。だが今の俺では、お前に勝てない」

「……僕は、手を貸すべきだろうか」

「いや、もう十分だ」


 片手持ちの剣は、鞘に納められた。グランはその場で直立して、好敵手をじっと眺める。

 両手持ちの大剣は、その場に落ちた。硬い地面によって、寂しくも無造作な雑音が短く響く。

 マクナスは、一歩ずつ、踏みしめるように歩いた。残った左腕を懸命に伸ばし、遠くなにかを掴もうとするように。


「俺は、最後まで役に立たない兄貴だった……ソーラ、すまん」


 雷禍の首元に縋る彼の、それが最期の言葉だった。

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