第47話:失ってなお

 すぐに分かった。衝撃の度合いも、方向も予想と異なる。なにより、カズヤを包むような感触はあり得まい。

 地面を背に、滑っていく。被さっているのは、ジュネだ。

 その向こうに、眩い光が見えた。領都ミュールズを消し飛ばした、あの光だ。力を溜め込むように、嘴の奥でさらに明るさを増していく。

 雷禍はアルフィに左腕一本で止められ、どうやら羽もうまく動かせない。ならば残っているのは、それだけなのだろう。

 嘴が大きく開かれて、いよいよと見えた。ジュネはカズヤに乗ったまま動かない。この距離では、巻き込まれるに違いないのに。

 アルフィの空いている右腕が掲げられた。そこにあるはずの手は見えず、代わりに青黒い球がある。

 小さな太陽と呼ぶには、あまりに禍々しい。だが黒い火焔を巻く姿は、そう例えるのが最も近い。

 彼女は雷禍の口に右腕を突っ込み、嘴を左腕で閉じさせた。ほんの一瞬。これこそ刹那のタイミングというものだろう。雷禍の光が膨らみかけた、その機会だった。

 口から喉、喉から腹へと、雷禍の体内をなにかが走る。カズヤの目には、ただ振動として映っただけだが。

 それを追うように、雷禍の身体は身震いを起こした。それが全身に伝わって、地を掻いていた爪が止まる。

 それは催眠術ででもあったのだろうか。あっけなく、静かに、雷禍は眠そうな目を閉じていった。


「……せっかく可愛がっていたのに。私に逆らうからよ」

「お嬢さま。館に戻りましょう」

「平気よ、このくらい」

「ダメです。これを見過ごしては、私はおろか、お嬢さまも叱られます」

「お父さまにね――ふう」


 事前には若干の狼狽を見せていたディアが、元の毅然とした態度で窘めた。アルフィもそれには従い、ディアのなすがままに身体を預ける。

 彼女の右腕は、首の下からわき腹までも含めて、なくなっていた。


「ソーラ!!」


 グランとマクナスは、雷禍から離れて戦っていた。互いに目立つ負傷はなく、マクナスもグランを置いて雷禍を守るとはいかなかったらしい。

 しかしようやく、雷禍が動かなくなったことに気が付いた。グランの剣を弾いたところで、駆け寄ろうとする。

 グランの追撃は、背中を見せたそこへ、まさに振り下ろされようとしていた。グランはしまったと驚きを見せるものの、もう刃は止まらない。


「ぅぐうっ!」


 二の腕の途中で、マクナスの右腕が落ちる。それでも彼は、脚を緩めない。

 切り口からは、洗面器に溜めたほどの血が飛んだ。しかしそれだけで、あとは時に少量が吹き出すだけだ。


「ソーラ……ソーラっ!」


 マクナスは大剣も地面に置いて、雷禍の頭の傍へと跪いた。頬を叩き、嘴を擦り、首を揺する。


「俺はまた――」


 また。とはなにか、もちろんカズヤには分からない。だが悔やむようなことがあったのだとは察せられる。

 彼の妹は、誰かに殺されたのだろうか。それがどうして雷禍の中に居るとなるのか、全く想像もつかない。

 歯を食いしばって、怒りやら悲しみやら、感情を殺していくのが手に取るように分かる。彼はいつも、そうしていたのだろうか。

 それならそうと、言ってくれれば。

 カズヤには、そうする男の気持ちが分かる気がした。言われたとして、放っておくことしか出来ないともすぐに気付く。


「はあ――」


 立ち上がって、ため息とも深呼吸ともつかない、大きな息が吐き出された。それは長く。その長さが、彼の心を冷やしていくように思える。

 カズヤには、彼の背しか見えなかったが。


「俺は、どうすりゃいいんだろうな」


 言って振り返ったマクナスに、感情はなかった。いつの間にか、また大剣を左手に握っている。

 いつも感じていた、なにを考えているのか、というのとは違う。

 大剣を片手で突き出す先に見える目には、きっともう一つの物しか見えていないのだ。


「私と戦いたいの? 構わないけど、お門違いというものよ」

「お前もだが――もっと悪い奴が居るんだよ」

「あらそう。じゃあ私は帰るわ。ディアに怒られるのは嫌だもの」


 アルフィの背から二本。人の腕を束ねたような物が、飛び出してくる。それは広がって、一対の翼となった。

 よたよたと不格好に浮く彼女を、腰から黒い翼を伸ばしたディアが支える。こちらは絵画に見る、堕天使のようだった。


「あんた。あの女に、ソーラをぶつけさせたな」

「そうだな――最初の思惑とは違ったが、利用出来たのでな」


 雷禍を直接に傷付けたのは、アルフィだ。おそらくそれは、マクナスも分かっているのだろう。

 それでも彼女より剣を向けるべきと、そういうことらしい。アルフィの背後へと回り込んでいた、レイシャス伯爵が。


「その男を気に入っていたようだからな。盾に出来ると考えていた。まさかあの女自身が下手を打つとは、予想外だった。おかげで同士討ちの格好だ」


 脅威が去ったからか、伯爵は兜を外した。汗に塗れて、顔に髪が纏わりついている。

 疲れた視線は、カズヤに向けられていた。

 たしかに位置関係を見れば、カズヤの居た位置へ雷禍が来るよう、伯爵が移動したのに間違いないようだ。


「俺はな。自分のために人を利用しようなんて奴が、いちばん嫌いなんだ。ましてやそれが、妹をな!」

「お前の言い分として、それは分かる。私も言いわけはすまい。だが、素直に切られてやるわけにもいかん」


 その伯爵の言葉は、暗にシヴァンへの指示となった。シヴァンは忠実に、マクナスを包囲させる。

 ただし命令は、「捕縛せよ、決して殺すな」だった。

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