第42話:伯爵の作戦

 腹わたを掴みかかるように、低く響き続ける雷轟。次の瞬きのあとか、次に息を吐いたあとか、雷禍という実体となって現れる。それは予言でも予想でさえもなく、確定した事実。

 またあれを目にするのか……。

 カズヤのぼんやりした意識に、漠然とした忌む気持ちが湧き上がっていく。


「さあ、諸君。貴族の務めだ。存分に働きたまえ」


 そんな中で伯爵は、実に落ち着いた態度で言った。剣を抜き、神殿の入り口へ切っ先を向けながら。

 それに答えて、騎士の一人が叫ぶ。「我ら!」と。

 すると他の騎士や兵士たちも叫んだ。


「精強なる、レイシャスの剣!」


 日本で言えば、「エイエイ」と来て、「オー」みたいなものだろうか。士気を高めるための、掛け声。


「我ら!」

「名誉ある、女神の番人!」

「我らは、王国の盾なり!」


 最後は全員が揃って、剣と盾を構えた。小学校の卒業式かよ、と思う。しかし不覚にも、格好いいとも思った。一つ気付いたのは、彼らは今まで見た中でいちばんの重装備だ。盾は足元から肩までもあり、兜も装着している。


「女神アレトアよ。加護を我らに」


 伯爵もそう付け加えて、近くの騎士から受け取った兜を着けた。胸から上は全て鉄に覆われて、唯一見えていた目にも、面頬が下りる。

 全員が入り口を睨みつけ、沈黙と緊張の時間が残った。映画のように、ここでタイミング良くとはいかない。

 それでも十秒と待たなかっただろう。神殿の入り口から突風が吹き付け、雷禍の巨大な体躯を見上げた。

 あちらも探していたらしい。宙に留まりながら首を動かして、ようやくこちらを見つけた。

 く、と僅かに首が後退して、突き出される。それと共に、強烈な咆哮に襲われた。

 音が刃となって、目に見えるようだ。胸の奥までを一気に突き刺し、そこを掻きむしられるような不快な高音。

 ――ふと。程度は違えど、似た物を思い出した。手入れの悪い自転車から鳴る、錆びつきかけたブレーキ音。

 近所の中年の女性が、毎日のように長く鳴らしていたものだ。あれほど長く鳴らせるものかと、カズヤは真似てみたが出来なかった。


「来るぞ、備えよ! 意識を保て!」


 伯爵の声で我に返った。見れば兵士の幾人かが倒れている。雷禍の鳴き声で、意識を飛ばされたようだ。

 いまカズヤが突然に過去を見たのも、きっと同じだろう。

 雷禍は地面に降りていた。飛んだままでは、柱が邪魔になって入れなかったらしい。一歩ずつ、降参しろと、頭が高いと、威圧の叫びを上げる。


「笛の用意!」


 伯爵の指示で、騎士たちが笛を取り出した。指の太さほどの、指を伸ばした手の長さほどの、小さな笛。


「吹け!」


 これも甲高い音色ではあった。だが雷禍に比べれば、森で遊ぶ小鳥の声にも等しい。

 けれどもどういう意味があるのか、雷禍になんの影響もあるはずがない。

 ……いや、合図だ。普通に考えて、そうだった。笛を合図に、雷禍の背後を取った一団がある。

 先頭はシヴァン。姿は他の騎士と変わらないが、高らかに発する号令は彼に間違いない。


「総員、突喊とっかんせよ!」


 自身がそのまま先頭を走り、その後ろに数百の騎士と兵士が続いた。その誰もが、雷禍の尻へ槍を突かんと雄叫びを上げる。


「へえ、考えたわね」

「ん――?」


 アルフィはきろきろと目を動かし、雷禍と他の人間たちとの動きに見入っていた。疑問を向けたカズヤにも、答える気はないらしい。

 背後からの強烈な声に気付いていないなど、あり得ない。しかし雷禍は、目を血走らせて伯爵へと突進する。羽を畳んで、それはあたかも魚雷のように。


「前方防護!」


 伯爵の号令で、騎士たちは盾を地面に突き立てる。互いの盾の端が重なり合うように、その継ぎ目に肩当てを付け、一枚の壁となるように。

 そんなことで、あの巨体が止まるのか。その疑問の答えは出なかった。

 雷禍の左右の横合いから、質量を持った影が駆け寄る。二つはそれぞれ跳び上がり、巨鳥の首に、得物を振り下ろす。憤怒をそこへ、叩きつけるように。

 グランとマシェ。二人の剣と斧は、雷禍の首を地面に触れさせた。いや、切り落としてはいない。転ばせた格好だ。


「柱を落とせ!」


 シヴァンの指示が聞こえた。舞い上がる砂煙で、視線は通らない。

 だがそれで動いている兵士たちは見えた。雷禍の近くにある柱の根元に取り付き、大きな槌を振り下ろす。

 一度や二度、槌の音が響いても、なにも起こらない。雷禍は首をぶるぶるっと、濡れた犬のように震わせた。


「うがっ!」

「ぃやっ!」


 近接していた兄妹は、弾き飛ばされる。兄は地面を転がされ、妹は柱に衝突した。

 怒りの声が、雷禍の嘴に漏れて広がる。突き刺すような例の咆哮ではなく、尖った礫を撒き散らしているかのようだった。

 その目の前に立ったのは、マクナス。大剣を、柄を持つ手も、先日見たのとは逆だ。


「よう、でかいの。雷さえなかったら、お前なんか、ただの鳥なんだよ」


 怒りを込めた瞳。険しく、ひくひくと皺を寄せる眉間と鼻すじ。グランたちに付き合っているだけとは到底思えない、憎しみがそこにあった。


「雷が――ない?」


 言われてみれば。雷禍がこの神殿に入ってからというもの、雷轟も雷鳴も、稲光も消えたままだ。


「こんなところで雷を呼んだら、あの子も埋まっちゃうものね」

「――なるほど」


 風に揺れる風鈴のような、どこまでも転がっていきそうな声。もしかすると発せられた内容が、くだらない駄洒落であったとしても、そう言ったかもしれない。

 しかし今のは、たしかになるほどだ。それと同時に、あの雷は雷禍自身がコントロール出来ることを示唆している。

 そうやってカズヤが感心している間にも、勤勉な兵士たちは槌を止めていなかった。とうとうそれが、効果を表したようだ。


「総員、退避!」


 伯爵とシヴァンの声が、同時に響いた。

 それに答えるかのように、朽ち木の果てる断末魔にも似た、不吉な音が連鎖する。それはすぐさま地鳴りとなって、多くの柱が傾いた。

 そのように図っていたのだろう。いよいよ一本が崩れ、倒れると、一気呵成。どれもが雷禍に向けて倒れ、天然の檻を。柱の上部、遥か数百メートルの空からは、岩石の槍が降り注ぐ。

 雷禍の怒りの声でさえ、降り積もる岩石に押し包まれていった。


「私の誇りと! 私の伯爵家と! 心中してもらうぞ、冥獣よ! 我が守るべき、神殿と引き換えにな!」


 伯爵の叫びが、その覚悟を物語る。それがどれほどのものか、カズヤが察するには余りある。

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