第38話:三度目

 伯爵は住民たちに、「よくぞ生き残ってくれた」と労う。カズヤはそれを、本当か? と疑った。

 彼らに財産はない。なにかをさせようにも、先に家や食料を安定して与える必要がある。同じく手元になにもない伯爵としては、足手まといでしかないのでは、と。

 それを言うなら、この世界のことをなにも知らない自分が、最たるものだとも理解していた。


「おい。お前たちは、この集まりのことをよく知っているそうだな」

「知らなかないが――他の奴と、大して変わらないと思うけどな」


 明確に許されたカズヤはともかく、ジュネはまだ伯爵と顔を合わせたくない立場にある。それで離れたところへ居たのに、シヴァンはわざわざ探しに来て言った。


「案ずるな。大して変わらんなら、互いを知っているほうが良いというだけだ」


 そう言われると、それでも嫌だと言うほうが、まずいように思える。ジュネは、なにがとは言わずに問う。


「俺が行ってもいいんだね」

「問題ない」


 難民たちの中にあって、シヴァンが笑うことはなかった。しかし柔らかい態度で、深く頷く。

 廃墟となった領都を伯爵が見分するのに、シヴァンは同行を求めた。案内をさせようというのでなく、二つを同時に行うためだ。東の集団からも、数人の代表者が呼ばれていた。南からは、カズヤとジュネ以外に二人。

 同行した住民たちに求められたのは、雷禍の襲撃の様子と、それから今日までのあれこれを報告すること。

 雷禍がどうだったかなんて、みんな見ているわけがないだろう。当事者は、身を守るので精一杯だ。

 そう思いはしても、口には出さない。アルフィ然り、伯爵然り。腕力で敵わない相手には、なにを言う権利もないのだと学習した。苛々は募るが、そのために拘束されたりするよりは、よほどいい。


「カズヤ。なかなかの人気じゃないか」


 今の身分は用心棒だろうか。ずっと伯爵に着いている、グランが言う。もちろんその隣にはマシェも居て、マクナスの姿は見えない。門をくぐる前までは居たから、外で休憩でもしているのか。


「俺がなにかしたわけじゃない」

「そうかい? そうでもないと思うけどね」


 大通りだった場所を歩きつつ、さっきまでシヴァンと話していたのは、南の集団の一人だ。

 彼は屋根の下をどう区切るかとか、各々の役割りをどう割り振るかとか、具体的な提案をしていた。騎士も兵士も、生活に関してはろくな指示をしなかったから、彼が最高責任者だったと言っていい。

 その男が言うには、自分は口うるさかっただけで、実際にあれこれやってくれたのはジュネとカズヤだと。自分よりも他人の功績を讃えられる、良心的な人物なのだろう。しかしそれはカズヤに取って、ありがた迷惑というものだ。

 しかしその彼も、雷禍については大きな鳥だったとか、数えきれないほどの雷が見えたとか、伯爵も知っていることしか話せなかった。


「閣下。平民をあまり連れ回しましても」

「うむ――我が足元がと思うと、気が急いてな。すまん、休憩するとしよう」


 ずっと複数と話していたのに、そんな提案をしたのもシヴァンだ。それも目の前に、なんとか使えそうな井戸があるのを計算に入れているのだろう。


「そっと掬え。濁りを上げては、飲めるものも飲めなくなる」


 細やかな指示もあって、井戸から水が汲み上げられた。戦争があったわけでなし、毒の心配はない。泥水でなく、腐っていなければいい。一人の騎士が毒見をしたあと、いくつかの水袋に冷たい水が満たされた。


「さて……」


 回し飲みが終わらないうちに、伯爵の表情を窺ったシヴァンは口を開く。休憩だからと、のんびりしている暇はない。分かっているな、と彼の顔に書いてあった。

 カズヤには、またそれが気に食わない。ここに居る住民たちは、伯爵を待っていたのだ。伯爵が町を造り、そこでのルールを定めた。だからどんな緊急事態であろうが、指示があるまで待つのもルール。

 それ以外に、自分の身を置く場所を定める手段は持たない。そんな住民を作り上げたのも、伯爵だ。当人はそうでないとしても、その継承者だ。

 こんなところに居られるかと、逃げ出した住民も何人かは見た。けれどもそれは、単独で別の土地に行けるだけの能力を持ち、事後に伯爵や他の貴族から咎められることを覚悟の上だ。

 逃げた奴を羨ましく思うが、真似しようとは思わない。そのような苦悩のセリフを、カズヤは何度も聞いていた。どうしてそんな思いをしている人々が、伯爵の都合に合わせなければならないのか。

 偉い奴なんて、どいつもゴミだ。考え始めると、雷禍の行いまでが伯爵のせいに思えてくる。


「まだ話を聞いていない者は、誰だったかな」


 問いかけに手を挙げたのは、カズヤとジュネ。それに東の集団から来た一人だけだった。シヴァンはその一人に、「お前は、なにを見た」と問うが、他の者と大差はない。

 その男の私事に関わることがほとんどで、今さらどうとも出来ることではなかった。その男の妻に限らず、死んだ者を蘇らせることは出来ない。ましてや巨大な鳥に食われるなどと、惨い死に様の責任を取ることも出来ない。


「良く分かった。留守をしていて、お前たちを不安にさせたのは私から謝ろう。だがそんなことを予想するのは、誰にも出来なかったのだ。許せ」


 元々の住民の意見を聞き終えて、シヴァンはそう取りまとめた。伯爵も神妙に頷いている。あれが貴族から平民への、謝罪なのだろう。


「それでお前たちは? どうしてこの町に来た」

「どうしてって、いちばん近い大きな街が、ここだって聞いたからだよ。居心地が悪けりゃ、また別のところにいくつもりだった」


 手続きもしたぞと、通門証を示す。シヴァンはそれを一瞥して、もういいと手で制した。


「なるほど、妥当な話だ。しかし災難だな。どうにも雷禍と縁があると見える」

「なんだ? 俺のせいだって言ってるのか」


 そうではないと分かっていた。シヴァンはあくまで気遣っているのだと、口調からは感じられる。


「いや、そうではない。不運を慮ったつもりなのだ」


 だがここまでの、あれやこれやと溜まった憤りが抑えられない。シヴァンにではなく、その後ろに居る伯爵のせいだと、思えてならない。

 一つの土地を治める人間が、一人ひとりの事情にまで関われない事情もあるだろう。でも、それでも――。

 肝心な部分が、理屈にならなかった。頭の悪い自分への苛立ちと、鷹揚な伯爵への怒りが、強い者には逆らわないという教訓を捨てさせた。


「そうかい、それはありがたいね。すぐにでも住む場所と食う物を出してもらえれば、もっとありがたいけどな」

「カズヤ。大変な目に遭ったのは分かるけど、それくらいにしておくんだ」


 ジュネと反対の隣に居た、グランが窘める。

 どうしてお前は、当然のようにそこへ居るんだ。お前たちに助けられたのは確かだが、だからって保護者みたいな顔をするな。

 我慢の限界は近い。瓦礫の中という危険な場所で、同行している騎士や兵士が厳戒態勢でなければ、とっくだ。


「ふむ、まだ落ち着いていないようだな。今の話は、なかったことにしておこう。そちらはどうだ?」


 シヴァンは、カズヤとの対話を諦めた。まともな会話になっていなかったから当然だが、穏便に済ませたという事実がまた腹立たしい。

 次に話を向けられたのは、ジュネだ。彼はずっと、住民たちの話も、シヴァンの返答も、時に頷いて神妙に聞いていた。


「あ、えっと……カズヤ。俺の見たこと、全部話してもいいよな」

「やめとけ。また変な勘繰りをされるだけだ」

「でも――」


 見たこととは、アルフィたちのことだろう。重要な話を聞いた気もする。それを教えれば、もしかするとなにか役に立つのかもしれない。

 だが今は、それが嫌だ。幼稚な態度だと自覚している。けれど嫌なものは嫌なのだ。

 誰がお前たちの役に立ってやるものか。


「なにを見た? 頼む。教えてくれ」


 シヴァンの声は、優しかった。一つずつ、言葉を区切るように。そこに信念を挟み込むように。

 ダメだな。

 カズヤには分かった。ジュネは話すだろう。これだけ真摯に頼まれて、こちらは駄々をこねているだけ。それでこの気のいい男が、黙っていられるはずはないのだ。


「……カズヤ、ごめん」


 そう言った時、ジュネはカズヤを見なかった。カズヤに対して、裏切りのような気持ちがあったのだろう。

 しかし彼は話した。アルフィとディアの二人と出会い、雷禍の性質を聞いたこと。彼女らの目的を聞いたこと。彼女らが、雷禍を呼んだこと。


「あんたのせいだったのか――!」


 住民の一人。南の集団の、責任者に当たる男が言った。それはカズヤにも想定外だ。考えてみれば、当たり前のことだったが。

 アルフィは、カズヤを見込んだのだ。その理由がなんであれ。そんな話を聞けば、怒りの矛先が向くに決まっている。


「お前の……お前のせいでっ!」


 対面近くに居た、東の集団の男が殴りかかってくる。慌てて腕を上げて身を庇ったが、届く前に兵士が取り押さえた。


「その男の気持ちは分かる。手荒にはするな」


 シヴァンは静かに命じて、続けてもう一つ指示を出した。


「この男。カズヤを拘束せよ」


 これも予想外だが、納得だった。俺があんたでもそうするだろうよ、と。

 頬と顎が怒りに震え、シヴァンを睨みつける。だがその程度で、彼は動じない。より威厳に満ちた視線で、押さえつけられた。

 カズヤの両腕は背中に回され、縄をかけられる。


「カズヤ! カズヤは悪くないんだ!」

「ジュネ!」


 こうなることを予想しなかったジュネに、どんな態度を、どんな言葉を向けるべきか。

 カズヤが選んだのは、憎しみの視線を送り、唾を吐きかけることだった。

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