第36話:雷を纏いし禍
ジュネの手を引いて走る。街の人々は、なにも知らない。ほんの数分の後に雷禍が訪れることなど、予想出来るはずもない。
だから、のんびりと通りを歩く中年の女性。屋台形式の露店を大通りの端に構える、野菜売り。数人連れ立って、一目散にどこかへ駆けていく子どもたち。
それに加えて、要所要所に立つ衛兵たちも、巡回する騎士たちも。誰もが、みんな、それぞれの日常を送っている。
そこに緊張感などない。必死の形相で走るカズヤに怪訝な顔を向け、至近をすれ違ったことで、迷惑げな視線を向ける。
どうして走るのか、考えはしないだろう。カズヤが逆の立場であれば、間違いなくそうだ。なんだよバカ野郎と、悪態も吐いたに違いない。
それで普通なのだ。なのに、この街は襲われるのだ。あのどうしようもない怪物に。
彼らは事前に知ることなく、突然の凶報に逃げ惑うのだろう。それを自分は知っている。
だがそこに、優越感はなかった。そんなことで、悦に入っている余裕はなかった。自分の命と、ジュネの命。その二つを守るにはどうしたら良いのかだけが、考えられる全てだった。
残念ながら、その妙案も浮かばなかったが。
「カズヤ! ちょっとカズヤ! 待ってくれ!」
共に走るのを、ジュネは抗わない。しかしいくらか走ったところで、声を上げた。尋常でないカズヤの慌てぶりに従ってはいたが、あまりに説明もないので堪りかねたのだろう。
「どうしてそんなに焦るんだ! 雷禍が来るのは分かったけど、遥か遠くじゃないか!」
あの夜、同じにあれを見て、どうしてそんな暢気な考えになるのか。少しばかり苛としたのは、否定出来ない。
「だいいち、どこに逃げてるんだ。当てがあるのか?」
しかしこの指摘には、足を止めるしかなかった。息も切れている。肩が勝手に大きく上下して、忘れていたように汗がどっと溢れ出る。
「あの町まで、どれくらいの距離があるか知ってるか?」
「距離? 学者でもないのに、そんなこと知らないよ」
ああ、クソ。そんなところからか。
その言い方では、計算を習ったこともないのだろう。ラノベの異世界では、頻繁に学校が登場する。しかしこの世界に、そんな物は存在していない。
「ええと……数字の計算は出来るか?」
「出来るわけないだろ。数えるだけなら、百まで出来るけど」
「そうか。俺は計算が出来るんだ。早ければ、百を十回数える前に、雷禍はここに来る」
「百までを、十回数えるのか?」
カズヤが「そうだ」と頷くと、ジュネは試みに数をかぞえ始める。
そんな暇はないと思いつつも、事態を理解してくれなければやはり困ると、カズヤは耐えた。どこに、どうやって逃げるのか。カズヤが当てもなく動くより、ジュネに考えてもらったほうがいいに決まっている。
「……それ、本当にすぐじゃないか」
「そうなんだよ! だから焦ってるんだよ!」
二十までを数えたところで、ジュネは感覚的に理解したようだ。
素早くぐるりと周りを見渡し、「あっちに行こう!」とカズヤの腕を掴んで走り出した。
さっきまでとは前後が反対になっただけで、事態はまったく変わっていない。一分ほどのタイムロスがあっただけは、悪くなったと言ってもいい。
しかしカズヤは、ほんの少し、気持ちに余裕が出来た気がする。それがどうしてなのか、自分でも不思議だった。
◇◇◆◇◇
この日は朝から、ずっと晴天だった。時分としては、夕刻と呼ぶには気が早いというころ。
二人は町の南門から外に出て、小高い丘に登る。手近な人たちだけでも、若しくは兵士に知らせるくらいはするべきだろうかと、ジュネは言った。
しかしおかしなことを言うなと、時間を拘束されるのが落ちだ。だから、二人だけで逃げた。
「本当に来た……」
多少の起伏はあっても、概ね平らな土地が町の東に続く。雷禍はその先の空に、姿を現した。
明るい中でも、稲妻が白く輝く。雲もないのに降り続ける、青空の下の雷。なんとも不可思議な光景だ。
町の中に居る人々も、気付く者は気付いているだろう。外壁で見張りをしている兵士などは特に。
いつかも聞いた、甲高い鳴き声が一つあった。音色そのものはいかにも鳥という風だが、音量が膨大だ。柔な物なら、それだけで崩れてしまいそうなほどに。
あの速度で、また上空を駆け抜けるのだろうか。という予想は外れた。
おそらく最大の速度のまま、雷禍は町の直上に達する。しかしそこで、ぴたりと止まった。車やヘリコプターのように、徐々に速度を減じていく必要もないようだ。
もちろんそこまでで、雷禍の通った道すじは、その通りに瓦礫の道となっている。
雷の落ちたところ。それはもちろん数え切れないほどで、数え切れない炎が上がり始める。
雷禍は悠然と首を巡らせ、なにかを探している。アルフィの言う通りであれば、レットの持っている縞玉だろう。
また鳴いた。見つけたらしい。
ある一点を見据えて、威嚇するように。いや、まさか雷禍にそんな必要はない。威圧だったのだろう。
それは水鳥が、魚を捕らえる様に似ていた。少しの距離を移動して、宙に留まったまま、首を地面に向けて突き出す。
起こされた首はそのまま上に向けられて、なにかを飲み込む動作がある。
「たぶん今のはレットだ――」
「そうか……」
カズヤには、雷禍の動作が分かるだけで、嘴になにがあったかなど見えなかった。しかしジュネには、見えたようだ。
この上なく腹の立つ相手ではあったが、化け物に食われてというのは、さしものカズヤも痛ましさの欠片くらいは感じる。
けれどもこれで、雷禍は目的を果たした。既に甚大な被害が出てはいるが、終わらないよりは終わったほうがいい。
「早くどこか行っちまえよ……!」
罪悪感なのだろう。誰に対してともなく、後ろめたい気持ちがあった。やはり誰に対してともなく、じゃあどうすれば良かったんだよと、胸の内で叫び続ける。
「いや――ダメだ」
「え?」
ジュネが目を伏せた。逆にカズヤは、逸らし気味だった視線を向ける。
雷禍は、鳴いた。先の二回よりも長く、高く、激しく。なぜだか昂ぶった感情を、撒き散らすように。
離れたカズヤの耳が、きんと痛んで、その音がまだ収まらない内に、雷禍の口がまた開く。
何度鳴くのか、いい加減にしろ。そんな風に思うのも、もう強がりだった。脚が震えて、座ろうにもうまく身体が動かない。
そんな中で、視界が真っ白に染まる。
咄嗟に腕で庇ったが、目の前に一条の影がぼんやりと残る。溶接加工の光を見てしまった時の、あれだ。
「カズヤ……街が、街が、なくなっちまったよぉ……」
隣でジュネも、ぶるぶると全身を震わせる。声までがガクガクとしていて、聞き取りづらい。しかしそれは、カズヤとて同じだ。
雷禍の口から放たれた閃光は、街の四分の一ほどを抉り取った。そこには瓦礫さえもない。いっそ谷と呼んでもいいほどの溝が掘られて、それは町の外までも長く続く。
昔のアニメの宇宙戦艦。不思議な七つの球を集めるマンガの、キャラクターたち。映像としてなら、似たような記憶はある。
だが今のは、現実だった。現実にカズヤ自身が歩き回った街が、そこに住む人々が、一瞬でなくなった。
死んだ、壊れた、とかでさえないのだ。消滅した。そこにあったことさえ、今となっては証明が不可能なほどに、跡形もなく。
「なんだよこれ……」
その自分の声で、カズヤは泣いているのだと知った。頬の涙を手の平で拭いてみると、泉から掬い取ったかというほどに溢れている。
それでもまだ、ぼろぼろと涙は流れ続けた。なんの涙なのかも分からずに、カズヤはジュネと抱き合って泣いた。
雷禍は、荒ぶり続ける。絶え間ない雷によって、街のどこにも、火の手の及ばない場所は見当たらなかった。例外は、町の北に建つ伯爵の城くらいだ。
燃え盛る街の中に雷禍は降りて、あちこちを嘴でつつき始めた。一つ突く度に、喉へとなにかが送りこまれる。人の声が聞こえなくて、良かったと思う。
どれくらいそうしていたのか、街から上がる炎が少し弱まった。燃える物が、あらかた燃え尽きたのだろう。
そこでまた雷禍は、宙に舞い上がる。もはや襲来前の形を残す物は城だけで、雷禍の視線はまさにそこへ向けられた。
どうするのか、カズヤは目を離すことも考えられない。呆然と、景色を映す装置になったかのように、なにもかもを見届けた。
高くそびえる城の尖塔が、二度目の閃光に溶けて崩れる様までも。
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