第33話:侵入者は

 ジュネを起こしたほうが、いいだろうか。だが本当に誰かが居るとして、近くを歩いているだけだ。

 起こすにしても、ジュネのところまで行かなければならない。そうすると、カズヤが目を覚ましていると気付かれてしまう。相手が一人ならどうにかなるかもしれないが、わざわざ呼び込むことはない。

 いや――音は遠ざかっている。てっきり、こちらへ向かってきているものと思っていた。

 そうだ。考えてみれば、宿の従業員かなにかが、見回りでもしているのかもしれない。それなら客を起こさないように、静かにするのは当たり前だ。

 その解釈に「違うだろうな――」と思いつつ、念のために戸締まりを確認することにした。

 なにもなかったから良いようなものの、今の誰かがこの部屋に来ていたらと思うと、冷や汗が出る。


「え……」


 扉の掛け金が外れていた。他に錠はないので、誰でも自由に出入り出来る。

 まさか、この部屋に入ってきたのか。

 背すじが冷えて、いまさらに呼吸を荒くした。こんな世界で、よく殺されなかったものだ。


「おい、ジュネ。起きてくれ」

「んんー!」


 声を潜めて身体を揺すると、ジュネは四肢を突っ張って伸びをした。まるで犬か猫のように。


「どうした?」

「誰かが、この部屋に入ったみたいなんだ。もう出ていったけど」

「んん……?」


 どうもぼんやりして、話が伝わっていない。寝ぼけているようだ。ここまでの道中では、こんな風になるなど一度もなかったのに。


「ん、誰か?」

「そうだよ。この部屋に、誰か来たんだ」

「へえ……え?」


 がばと勢い良く、ジュネは身体を起こす。きょろきょろと室内を見回すと、カズヤをじっと見ている。

 どうしたものか、表情までは暗くて見えない。


「大丈夫か? なにもされてないか?」

「ああ、たぶん」


 ジュネは、ほっとひと息つきかけたように思った。それが息を呑む音がして、やにわに枕にしていた物を引き寄せる。

 たしかそれは、背負い袋だったはずだ。袋の口を開けて、彼は中を覗く。だがそれでは、分からなかったのだろう。あぐらを組んだ股に載せようと、彼は袋を持ち上げる。

 ざっ、と擦れる音がして、袋の中身が滑り落ちた。口ではなく、底のほうから。ベッドの上に、おそらく全ての荷物が小さな山を作る。

 この暗い中でも、ジュネが慌てているのはよく分かった。それほど多くない荷物を掻き分けて、なにかを探している。


「ない……」

「どうしたんだ。なにか盗まれたのか」

「カズヤ、ごめん……俺、やっちまった」

「えぇ? どうしたっていうんだ」


 空になった背負い袋を握りしめて、ジュネは顔を俯かせた。


「街中だと危ないから、底に入れてたんだ。だから、こうやって穴を空けられると、すぐに盗られちまう」

「なにを盗られ――」


 盜まれてしまったと、ジュネがカズヤに謝るような物は、一つしかない。縞玉だ。気付いて、盗まれたのだと理解すると、惜しくはあった。その物に興味はなくとも、金銭的な価値は高かったのだから。

 けれどもそれは、ジュネが落ち込んでいることよりも、些細な問題だ。


「俺の荷物が盗られたんだな。でもいいんだよ。俺は別に、欲しくはなかったんだ」

「だって大事な物だって……」

「そりゃあ、要らない物じゃない。でも、ジュネを責めるほどの話でもない」


 ジュネは言葉をなくして、いやいやをするように首を振る。カズヤもこれ以上になにを言えばいいのか、思いつかなかった。

 取りあえず散らかった荷物でも整理してやろうと思ったが、こう暗くてはどうにもならない。

 月明かりでも入れれば、少しはましだろうか。

 三つあるうち、一つの窓を開けた。鎧戸を開いた瞬間に、真っ白な光が顔を照らす。月がこんなに明るいなんて、知らなかった。


「ん?」


 カズヤが居るのは、宿屋の三階だ。その真下辺りで、なにかが動くのを視界の端に感じた。

 見下ろすと、宿屋と隣の建物の間にある路地から、人影が出ていった。すぐにまた別の路地に入ってしまって、顔は見えない。だが特徴のある風体だった。


「ジュネ。この町にラチルは多いのか?」

「ラチル? それなりに居ると思うけど、見たのか?」

「ああ。今この下から出てきて、どこかに行っちまった」

「……くそ。やっぱり居たのか」


 やっぱり、とジュネは言った。なにか思い当たる節があるらしい。


「なんのことだ」

「ここへ来るまでずっと、どうもつけられてる気がしてたんだ。でも見つけられなかった」

「え、ずっとか。それならさっきのは」

「たぶん、レットだ」


 ジュネも隣の窓を開けて、街を見渡した。元の町とは桁違いに建物が多く、当然にその合間には、たくさんの路地がある。

 高い建物と低い建物が入り混じって、見通しも良くない。単純に広さだけでも、何倍もあるのだから、ここでたった一人を探し出すのは難しい。


「ラチルは臆病なんだ。なにかしてくるなら、道中のどこかだと思ってた。わざわざ衛兵の居る、町でやるのは予想外だった」


 油断してしまったことを、ジュネはもう一度謝った。「迷惑をかけてごめん」と。


「なに言ってるんだよ。迷惑をかけてるのは俺のほうだ」

「いやそんな。預かった物も守れないなんて――」

「いいんだって。俺にしてみたら、そんな物のために、お前が落ち込むほうが困る」


 ここで笑ってみせればいいのだろう。そうすれば、本気で言っているのだと伝わる。しかしカズヤに、そんな技術はなかった。無理に笑おうと、顔を引きつらせているうちに、頬がつりそうだ。


「……分かった。ありがとう、カズヤ」

「ジュネはもう、たくさん俺を助けてくれてる。だからそんなこと、気にしないでくれ」


 不器用に表情を操ろうとしたのに、気付いたらしい。ジュネは小さく吹き出した。それでカズヤも、笑うことが出来る。「なんだよ」と憎まれ口を利きながら。

 二人は夜の残りを、これからどうするのか、語るために使い始めた。

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