第28話:騎士の本音

 逃走した兵士は、グランが連れ帰った。彼がいつ目覚めて、いつ追いかけたのか、誰も気付いていなかった。

 しかし現実に、別に追いかけていた騎士と兵士は、目標を見つけられないままで。盗まれた包みも、取り戻したのはグランだ。


「ここに居ても、未来はないと思ったからですよ」

「今言った『ここ』とは、伯爵閣下の下と考えて相違ないか」

「そうなりますね」


 捕まった三人は。手拭いで両手を後ろに縛られ、地面に膝を突かされた。そこで問われた、「なぜこんなことをしたのか」に対する答えがそれだった。


「つまり縞玉を盗んだだけでなく、これが伯爵閣下の不名誉になるとも承知だったと。そう言うのだな?」

「不名誉? 不名誉と仰いましたか」

「なにか、おかしなことを言ったかな」


 立場上、最も上位にあるシヴァンが詰問する。それはきっと、普通のことなのだろう。騎士と兵士たちは、事態を見守る。


「不名誉は、既にあったでしょう。この有り様はなんです? 国の大事だというのに、ここへ派遣されたのは数十人。それが一匹の獣に、死に目に遭わされている」

「我らは先遣隊だ。しかしお前が言うように、大事なればこそ。伯爵閣下も、お越しくださったのだ。そのなにがおかしい」

「違うでしょう」


 シヴァンは立ったまま、騎士を見下ろす。騎士はそれを怯えた目で、卑屈に笑いながら見上げる。けれども次第に、その顔には嘲りが浮かぶようになった。

 それは事情を知らないカズヤにも、同情を感じさせるものだ。


「我が伯爵家は、どうにも落ち目だ。経営は上手くいかない。ハウジアとの小競り合いにも、明るい話題がない。このままじりじりと窮するくらいなら、博打めいた手段に出るしかなかった」


 ハウジアとは、隣にある国の名だったか。どうも仲の良い国とは言えないらしい。


「しかも親衛隊長ともあろう方が、女こどもに命乞いをする始末だ。見切りをつけたくもなるでしょう」

「お前がどう受け取ろうが、それはかまわん。もう詮ないことだ。しかし――ならば、他人の物を奪う必要がどこにある。子爵家の誇りも見失ったか」


 騎士は初めて、すぐの返答をしなかった。たしかにカズヤの持ち物と、伯爵家への不満は関係がない。図星ということだろうか。

 騎士の視線が動いて、上司から同僚。部下たち。最後にカズヤの顔を見た。

 そしてまた、上司へと戻される。


「その男の処遇にしたところでそうです。伯爵閣下に、無礼を働いた。任務に使い捨てとして用いると決められたのは良い。しかし今や、そんなおつもりはない」

「……どれもこれも、お前の思い込みだ。それ以上、答える必要を認めん」

「はっきり仰ってはどうです! あなたももう、仕えることに飽き飽きしている! あの玉があれば、家のことも取るに足らない問題だ!」


 どんな思いが、シヴァンの胸にあったのか。数拍ほども目が閉じられて、深く深く、ため息があった。

 その次に目が開けられた時。シヴァンの上体が沈み、金属の擦れる音が夜を裂く。

 振り上げられて、振り下ろす。それは剣道の型であるかのように、要所で溜めが入れられていた。

 しかし、ためらいはない。十分にたいの乗った、真向切りだった。


「――うむ。いい手入れがされている」

「あ、ありがとうございます」


 シヴァンの隣に居た兵士が、勝手に抜かれた自分の短剣を受け取る。

 切り落とされた首には目もくれず、シヴァンは踵を返した。その騎士の姿を、もう見たくないと訴えるように。


「形見は残しておけ、子爵家にお返しする。あとの二人は、しっかりと事情を聞くように」


 そう指示をすると、彼は少し離れた木の幹に、よりかかって座る。残された騎士と兵士たちは、指示に従って動き始めた。


「邪魔になる。僕たちもあっちに行こう」


 カズヤは呆然と立ち尽くす。昨日の化け物の死体も、人間としか見えない物だった。しかしあまりに大量で、血もそれほど出なかったように思う。

 だからどこか、作り物のように見えたのかもしれない。

 けれどもこの騎士は、ほんの数秒前まで生きて、話していた。カズヤと視線が合いもした。

 その首が切り離され、そこからは大量の液体が弾け散った。操る糸を失ったように、ただのそういう物のように、身体は地面に落ちた。

 だのに何度か、びくりと動くのが見えた。


「カズヤ」


 気が付くと、グランが腕を取って歩いていた。視界には、向こうで座るシヴァンしか見えない。

 あまりのことに呆けていたと気付いたのも、マシェやマクナスと共に、地面へ腰を下ろしてからだ。


「ああ。お前たちには、迷惑をかけたな。玉は無事だったか?」

「いえそれが、あの兵士は別の荷物と誤っていたようで。そもそも盗まれていなかったのです」


 あ――。と、思い出す。縞玉はマシェには手渡されてなく、さらに今は、ジュネが持っているのだった。

 ならばあの騎士が死んだのは、誤りということになるのか。カズヤは「縞玉が盗まれた」とたしかに言った。

 それが原因で殺されたのであれば、カズヤのせいとなってしまうのではないか。

 その推測に手が震え、まるで自分が手を下したかのような罪悪感が芽生える。触れてもいない、斬撃の瞬間の手応えさえ、そこにあるかのようだ。


「そうか。しかしあれだけ伯爵家に不忠を示せば、それだけでも死に値する。それがなんであれ、盗んだ事実も変わらんしな」

「だそうだよ」


 怯えているのを察したように、グランが言う。常であれば、余計なことをと思ったのだろう。

 だが今は、それを誰が言ったかよりも他に、自分に責任はないのだ。その保証があったと言い聞かせるので、精一杯だった。


「子爵家のご子息なのですね」

「そうだな。騎士とはそのほとんどが、家を継ぐ資格のない、貴族の子弟が叙されるものだ」

「それでは僕が騎士になりたいと言っても、無理なわけですね」


 この辺りはもう、世間話として言っているのだろう。あくまで冗談だ。


「そうだな。よほどのことがあれば特例もないではないが、特例だけに、こうすれば必ずというものはない」

「それは残念です」

「どちらにしろ、お前たちはいずれも向いていない。もしも私の部下に配属されたら、すぐにクビだ」


 その評価も、冗談ではあるに違いない。そんな事態は、起こり得ないであろうから。けれどもそんな「もしも」が本当にあったら、その評価も本当になるのだろう。

 さてその、お前たちという中には、自分は入っていたのだろうか。そちらに気を逸らすことで、ようやく斬首の光景が薄れ始めた。


「出過ぎた質問とは存じますが、可能であればお教えください」

「なんだ」

「ここにあるのは、先遣隊とのことでしたが。すると本隊があるのでしょうか」

「あるにはある」


 そういえば、そんなことを言っていたか。言われればそのくらいには思い出せるが、あまりのことに記憶が曖昧だ。

 それはそれとして、シヴァンの返答も曖昧だ。


「その仰りようを問うても、良いものでしょうか?」

「隠しているわけではない。あるにはあるが、今のままでは使えんのだ」

「食料かなにか、足りないのですか?」


 兄が質問攻めをしてしまうのを、避けるためか。今度はマシェが聞いた。


「いや。物資も訓練も、今のところは十分だ」

「足だな」


 次はマクナスだ。これは質問ではないようだが。


「足?」

「あれは同じ場所に、じっとしてないってことだよ」

「そういうことだ。この数日、この付近に留まっているなど予想の外だ。そうと知っていれば、ここへ本隊を呼んだのだがな」

「……それなら、今からでも呼べばいいじゃないか」


 なんだか自分も意見を言わねばならない気がして、カズヤもそう発言した。しかしシヴァンとグランが、揃って首を横に振る。


「一つの軍を動かすのに、それはタダでは動けない。伯爵の領都りょうとからここまで、軍を呼んだはいいけどなにもなかった。では困るだろう?」

「それは分かるが、退治する手段がそれなら、そうするしかないじゃないか」

「そうだよ、退治出来るならね。ここに着いたころには雷禍が居なくなっていて、次はあそこだとそこへ行く。けれどもまた、そこからも居なくなっていた。そんなことを繰り返すのかい?」


 移動する速度も、移動できる距離も、雷禍と人間では比較にならない。

 移動費の都合かと考えて、カネの問題ではないだろうと思った。しかし実際には逆の意味で、カネの問題ではないらしい。


「そういうことだ。そのために我々が、糞を探していたのだよ」

「そのために? 糞?」


 雷禍の糞があれば、本来は追いつけないものに追いつける。そう言っているのだろうか。

 そんな魔法みたいなことが。と思いかけて、この世界ならあるのか? とも思ってしまう。


「食べこぼしか、糞。それがあれば、彼奴がなにを食べるのかが分かる。好物が分かれば、それでおびき寄せることも可能だと考えたのだ。こちらの有利な場所へな」


 発想としては単純極まりない。だが獣を相手にするなら、最も有効と言えるのかもしれない。あの雷禍が、ただの獣かという疑問は別として。


「でも、見つかりませんでしたね……」

「そういうことだ」

「おびき寄せる方法ならあるがな」


 簡単なことだ。と、マクナスは言う。同時に、無理だろうが、とも。

 簡単なのに無理、とは。彼をして、それは気が進まないという表情の窺える方法に、どうにも嫌な気配が漂う。

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