第27話:見張りの意義

 山頂と比べて、その辺りは随分暖かかった。装備のない騎士や兵士たちも、凍えることはない。

 二人ずつが見張りに立って、仮眠を取る。現在地も伯爵の待っている方向も分からず、森を進むのは危険だ。

 最初にグランとマシェ。次にカズヤとマクナスが、見張りを引き受けた。

 その組割りには異論があったが、見張りが必要なのは分かる。全員が順にやるというので、面倒ではあっても、引き受けない理由が見つからなかった。

 案の定、互いにひと言も話さない、気まずい時間だった。座っていると眠気に負けそうで、カズヤは立っているのに。マクナスは先に眠っていた時と、位置も姿勢も変わらない。

 本当は寝てるんじゃないのか?

 そうも思ったが、次の順番の兵士が起きるとすぐに、「なにもなかった」と言っていた。


「お疲れさん。ゆっくり寝てくれ」


 騎士に言われるまでもなく、眠気はピークに達し続けている。山の登り下りはもちろん、雷禍に怯えるのも、気力だけでなく体力を奪われる。

 返事をしたかも曖昧なまま、カズヤは深い眠りに落ちた。

 ――それから、どれほど眠っただろう。睡眠と正気の狭間。ぎりぎり正気の側に、カズヤはあった。

 瞼に光は感じない。眠気が払われた感覚も、まるでない。どうして目を覚ましたのか。それも不思議に思わず、そのまま眠りに落ちようとした。


「――いいぞ」


 耳の奥をくすぐるような、低く、小さく、抑えた声。

 カズヤに囁かれているのではない。他の誰かと話しているようだ。かさかさ、こそこそと、枯れ葉が擦れ合うような、掠れた息の音が耳につく。

 軽々に目を開けては、良くないと思った。これはきっと、良からぬ密談だ。

 会話はそれほど長くなく、眠っている者たちの寝息だけが残った。いびきをかく者は居ない。

 終わったのか。ほっとしていいやら、判断がつきかねる。意識の網がなにか捉えないものかと、緊張が続く。おかげで眠気は、すっかり遠退いた。

 なにか。厚い布を、裂く音のした気がする。強引にではなく、頑強な布地に、刃物を突き立てた音。

 その方向には、グランとマシェが居たはずだ。その向こうにはマクナスが、カズヤの背中側には騎士や兵士たちが居る。

 方向がそちらと分かると、そこに誰かがしゃがんでいるのも感じた。やはりグランたちの傍だ。

 注意はこちらに向いていないと思って、おそるおそる、薄目を開ける。人影は三人。

 一人は立っていて、周囲を気にしているように見える。時にカズヤへも視線の向くのが、心臓に悪い。

 二人がしゃがんで――あの位置だと、マシェになにかしているのだろうか。布を裂く音。女の子。

 それが意味することに、目を見開いた。


「お前ら、なにしてんだ?」


 同じことを言おうとしたのに、ほんの一瞬、遅れた。実際に言ったのは、マクナスだ。

 相手の男たちは、答えない。マシェの近くに居た一人が、持っていたナイフを彼女の顔の上にかざしただけだ。

 身振りで、静かにしろとも示している。それが何者かなど、考えるまでもない。一人は騎士で、二人は兵士だ。


「頭が足りないのか? どうしてお前らの都合に、合わせてやる必要がある」


 どうしてって、マシェが危ないからだよ。

 思いつつ、身体を起こすべきか迷っていた。このままでは、単に見物をしているだけのようで居心地が悪い。

 しかし下手に動いて、それが妙なきっかけになるのもどうか。自分がマシェよりもか弱く、人質にされたら余計に厄介だとは思い至らなかった。


「いい。早く逃げろ」


 騎士はナイフを抜いた。武装は全て捨てたと思ったが、まだどこかに残していたようだ。

 兵士の一人は、指示に従って逃げ出した。なにかを胸に抱きながら、森の中へと走っていく。


「おいっ!」


 それでようやく気付いた。

 カズヤも立ち上がって、茂みのところまでは追いかける。が、それ以上は自殺行為だ。この世界の森は、カズヤの生き残れる場所ではない。


「くそっ!」


 彼らの狙いは、縞玉だ。全員が疲れて、眠りこけているところを狙ったのだ。

 まんまと奪われてしまった。価値の分からない物だが、他人に持ち去られるのは、この上なく気分が悪い。

 その間にも、騎士とマクナスは互いの間合いをはかる。有利な距離を取ろうと、離れたままの僅かな押し引きが続く。

 一方で、マシェにナイフを突きつけていた兵士は、まだ動かない。

 しかしそれは、カズヤの勘違いだった。動かないのでなく、動けないのだ。ナイフを握った手を、マシェの右手が握り込んでいる。彼女はまだ寝転んだままで、兵士は空いている手でどうにか出来そうなものだが。

 けれどもその手は、マシェの手を引き剥がそうと必死だ。どれだけの力で握り潰されようとしているのか、考えるのも怖ろしい様子だった。


「なにごとかっ!」


 シヴァンや他の兵士たちも、事態に気付いた。周囲を取り囲み、ナイフを持った兵士は、早々に取り押さえられる。


「縞玉を盗んだやつが、あっちに」

「なにい? 追えっ!」


 カズヤが訴えると、シヴァンはすぐに指示を出した。騎士と兵士の二人が、そちらへ駆ける。


「……あれは?」


 マクナスと向かい合っている騎士も、すぐに捕まえるのだと思った。だがシヴァンはこれと指示をせず、他の者たちも囲むだけだ。


「あの兵と、共謀したのだろう? 分かっている。だがこの男も、騎士の端くれなのでな。一対一の戦いであれば、手出しは出来ん」

「はあ……」


 大剣を振り回すのに、空間は申し分ない。騎士の持つナイフは、魚を捌くのにいいような、小さな物だ。

 戦いが武器の威力で決まるのならば、騎士に勝ち目はない。たいていのゲームも、ナイフでちまちまとダメージを与える間に、長大な武器で一撃与えたほうが勝ちということが多い。

 しかし実際の戦闘とは、そうでないだろう。カズヤも、いま目の前の光景を見なければ、そうとは考えなかった。目の前の光景を見て、素人でも理解した。

 マクナスは大剣の長い柄を、端と端で持ち、右肩へ担ぐように構える。それがきっと、最大の破壊力を出すのだ。

 対して騎士は、ナイフを持たない左手を、軽く突き出している。体勢は斜めにして、ナイフをマクナスから見えない位置に構えているようだ。

 ナイフだって、両手で構えれば威力は上がるだろうに、そうはしない。


「男ならば、見習っておけ」


 急になにを言われたのか、分からなかった。この二人の、なにを見習えと言うのか。少し考えて、戦うという行為を見て、習えと。そういう意味かと理解した。

 理解したところで、面倒なことを言うなとしか思わなかったが。


「あの左手を置くことで、ナイフの出現が分かりにくくなる。距離感も少し狂う」


 聞いていないのに、シヴァンは勝手に解説した。けれども、なるほどとは思う。


「シッ!」


 先に、騎士が動いた。左手をそのまま、マクナスの顔面へと押し出すように。

 しかしそれは、マクナスが動く前に元へと戻る。フェイントにもなっていない。様子見ということか。

 また騎士が動く。今度は、マクナスの左手へ回るように。

 ナイフが伸びて、表面を削ぎとるように動いた。それが帰る時にも、肘をかすめる。

 それには、まるで力がこもっていないように見える。当たったとしても、表面が少し切れるだけで、致命傷にはならないだろう。

 だがそれを、マクナスも柄を動かして対処するだけだ。近付いてきたところを、叩き潰せば終わりのはずだが。


「あの男も、大剣の扱いを心得ているな。ナイフを相手に大振りを外せば、その次は武器を捨てることになる。必ず当たるという機会を、待っているのだ」


 なるほど騎士は、マクナスのちょっとした動きにも反応して、先に移動し続けている。

 重い装備がなにもなくて、体力的にも余裕があるのだろう。少なくとも、ちょっと死にかけたらしいマクナスよりは。

 それから何度も、騎士は大剣の届きにくいほうを攻めた。

 マクナスは一撃の機会を待ち続けているのに、当たろうが当たるまいが、ナイフを切りつける。

 脚が伸びれば膝が狙われ、時に大剣から離れた左手が掴みかかれば、手首が狙われる。やはり柄だと短い距離で払えば、腕か胴が。

 どれも、放置したとて命には関わらない。失血による影響も、献血をするより少ない気がする。


「焦りだ。一方的に切られるのは、相当な忍耐が要求される」


 それで焦って大振りをしたところに、とどめの一撃か。それを狙うのも、耐えるのも、気の長い話だ。

 あいつは、そういうタイプに見えないんだがな……。

 カズヤがそう考えたあと、もう一度同じことが繰り返された。やれやれ、もう誰か止めてやれよ。そう思って目を離したとき、マクナスは動いた。


「くぐっ!」


 騎士の呻き声で視線を戻すと、腹に蹴りがめり込んでいた。しかしその脚に、騎士はナイフを突き立てようとする。

 それより一瞬早く、脚が引き抜かれて、代わりに頭上から大剣が振り下ろされた。

 その刃は地面を割って、剣先が見えないほどに埋まってしまう。

 だが騎士は無傷だ。半歩に満たない距離を退いて、一歩の距離を詰め寄る。無防備に晒されたマクナスの首へ、最短距離をナイフが走った。

 そこからは、カズヤの目では追いきれない。なにか金属を打つ音がして、気が付くと騎士が地面に顔を埋めていた。


「今、なにが起こった?」

「ん? 大剣の剣身に手をかけて、すくい上げたのだ」

「剣身に?」

「大剣というのは、手元に刃の付いていないことが多い。あれもそうなのだろう」


 説明を聞いても、どういうことだかすぐには分からなかった。しかし長い柄を見ているうちに分かった。

 柄の端にある左手を押し、剣身にかけた右手を持ち上げる。すると大剣は、鍔を中心にして回転する。

 それで剣身が、騎士を打ったのだ。理屈は分かるが、それにしたって出来るものかと疑いたくなる。

 結果はそうなのだから、出来たのに間違いはないのだろうが。


「どういう了見だか、問いたかったのだがな。事情が事情だ、仕方あるまい」

「あん? 殺しちゃいない。剣の腹を叩きつけただけだ」

「なに?」


 騎士は、ぴくりともしない。しかし脈を取っていた別の騎士が、肯定の頷きを見せた。

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