幕間

第25話:戦士たちの村

 大きな街道を、避けるように。古くから誰も触れて来なかった森の奥に、その村はある。名は、レトナと言った。

 付近に棲む獣の色濃く、その種類も他に類を見ない。


「兄さん! 長弓が引けるようになったわ!」

「それはすごいな。早速、午後にでも狩りに使ってみよう」


 村の者は、老いも若きも、男も女も。誰もが戦うことを義務付けられた。しかし誰も、それを嫌がることはない。

 産まれてすぐに、一枚の布を纏うよりも先に。斧頭を背負わされる村では、それが誇りだった。


「用意はいいかい?」

「ええ。獲物を括るロープは、長いのを持ったわ」

「それは楽しみだ」


 村に住む少年、グラーディオは十五。妹のマシェーテは、十三の歳。食料を得るための狩りは、既に任されていた。

 昨日と同じに、湖のほとりの洞窟の前を通った。中を覗き込んで、自分たちにはまだ早いと言い聞かせる。

 そこには何十年も前から、雷獣が棲みつくと聞いている。

 噂話などではない。村の大人が、もう何人も挑んで敗れている。次に挑むときには、村じゅう総がかりだと、きつく言われていた。


「兄さん、やったわ! 喉を一撃よ!」

「見てたよ。弓を使うなら、マシェのほうが上手そうだ」


 村の子どもは、記憶も定かでないころから狩りに連れられる。連れて行くのも、年長の子どもだ。

 出会う獣の対処法を教えられ、実践させられた。それがこの村の、生活の糧だからだ。

 村の近隣に大きな国はなく、都市国家や自由民の集落ばかりだ。そういった人々は、強大な力を持つ魔獣を、どうすることも出来ない。

 そこで傭兵のような立場で力を貸すのが、その村の仕事だ。故に外部の者たちは、この村をレトナとは呼ばない。

 狩り手の村と呼ぶ。

 一人前と認められるには、技術の習得のみ。年齢や性別は、一切の考慮をされない。

 その村で戦士と呼ばれることは、他で言う大人と同じ意味があった。


「戦士の数も充実した。そろそろ雷獣の、始末をつけねばならん」

「そうだ! 他に知られれば、倒せぬ相手があると侮られる!」

「そんなことは、どうでもいいわ。誇りの問題よ」


 ある日。村の広場で、意見がまとまった。そこには戦士の全員が顔を揃え、グラーディオよりも年少の少年も、マシェーテと同年の少女も居た。

 だがその二人には、席がなかった。


「今宵、全力で討伐する!」


 老いてなお盛んな長が、高らかに宣言する。それを二人は、輪の外で眺めた。


「兄さん。父さんも母さんもあそこに居るのに、どうして私たちは違うのかな」

「弱いからだよ。僕たちには、知識が足りない。知っていても、活かす技術がない。それを押し切るだけの、力もない」


 二人は唇を噛んで、屈辱に耐える。誰が嘲るわけでもない。己の力が、そこに達していないこと。

 ただ。ただ。それが悔しかった。


「戦士たちよ! 拳を捧げよ!」


 天に向けて、雄叫びと共に、数十の拳が突き上げられた。日が落ちて、いよいよ出発の時だ。

 雷獣は夜に狩りをすると分かっていた。わざわざ相手の活動時間に合わせて倒す。それが彼らの矜持だ。

 戦いの人生を成し遂げ、長老と呼ばれた者。さまざまな理由で、力量が整わぬ者。村に残ったのは、ほんの十人ほど。


「マシェ。今日は、あの鎌が使われるそうだよ」

「そう。私もいつか、持たせてもらうわ」


 その段になって、ようやく二人は平静を保てるようになった。今回ほどの強敵が、またいつ現れるかは分からない。だがその時には、必ず主力になってみせると誓った。

 戦士たちの長は、腰に鎌を差している。

 彼らの村では、獲物のとどめを刺すときには鎌と決まっていた。だから誰もが鎌を持っているけれども、この時には長だけが携えていた。

 それは他と変わらぬ形をしているが、他の金属と打ち合わせると、美しい音色を発する。

 それがいつから、どうしてこの村にあるのかは分からない。神聖な物であるとだけ、伝わっていた。


「……そろそろ決着がついたかな」


 風に乗って、甲高い鳴き声が何度か聞こえていた。そちらの空を見ると、時折白く輝いているのも見えていた。

 雷獣と呼ばれるだけあって、雷を操るのも知っている。だがそんな光景を見てしまうと、また身体が疼いてしかたがない。

 しかし少し前から、音も光も見えなくなっていた。

 村の戦士が、総動員されたのだ。負けることなどあり得ない。残っていた者は、広場に大きな火を熾して、戦士を迎える準備を始める。

 少なからず、死んだ者も居るだろう。その遺体は、村じゅうが見守る前で、焼かれるのが慣わしだ。

 戦死した仲間を連れ帰れないのは、生き残った者の不名誉とされた。


「あれ……また光らなかった?」


 最初に気付いたのは、マシェーテだ。グラーディオは長老と話していて、見ていなかった。


「なに、どこだ」

「あっちよ。みんなが帰ってくるほう」


 湖は、小さな森を抜けた先にある。村からでは、見通すことが叶わない。

 ――空が割れた。

 黄金に輝く光が、森の向こうから天に向けて突き上がる。降るのでなく、吹き上がる雷などと、見覚えのある者は居ない。


「どうやら……負けたようだな」


 グラーディオと話していた、長老の一人が言った。驚きはなく、少し残念そうではあったが、余分な感情は見えない。

 戦士として、こうでありたい。グラーディオは、尊敬を抱く。

 やがて、長老の言ったことが証明される。雷獣と呼ばれた相手が、村の上空に姿を見せた。

 全身、暗い色の、一度には視界に収まらぬほどの、巨大な鳥。雷は纏ってなく、熾された火によって、夜に姿を浮かび上がらせる。

 それがひと声、鳴いた。

 明らかに、怒っていた。左と比べると、右の羽は動きがぎこちない。それ以外に、傷付いた様子はないと見える。

 戦士たちが全員でかかって、それだけなのか。グラーディオは、愕然とする。マシェーテは、もう帰らぬであろう、父と母に別れを告げた。


「あそこ! まだ残ってる!」


 誰かが言って、そちらを見る。羽と羽の間。雷獣の背中だ。

 そこに、一人の男がしがみついていた。高度があってよく見えないが、戦士の長だろう。

 雷獣はそれに気付いていないのか、気付いていて放っているのか、特にどうともしない。羽で風を起こし、時に雷を呼んで、村の建物を粉砕していく。

 人が居るのには、気付いているはずだ。彼らを中心にして、円を描くように破壊を繰り返している。

 獲物を追い込み、威圧するように、こちらを逃がす気などないとだけ感じられた。


「今宵が狩り手の潰える日となったか」


 長老の言ったその運命を、その場に居る誰もが受け入れた。あれだけの戦士たちが敗れたのだ。残った者に、進む道などない。

 それに答えたわけではないだろうが、雷獣もようやく、彼らへと矛先を向ける気になったようだ。

 残った者の集まる頭上に飛び、そこでひと息を吐くように、何度か羽ばたいた。


「狩り手は! 狩り手は死なず!」


 じっと耐えていた、長が叫ぶ。拳を突き上げ、そこには鎌がある。それは雷獣の背に突き立てられ、雷獣も身じろぎした。

 が、そこまでだ。雷獣が激しく首を振って、長は振り落とされる。

 高い木の頂上ほどから落とされて、長は血を吐いた。口からだけではない夥しい血が、地面を濡らしていく。

 それでも長は、拳を雷獣に向け続ける。その手には、折れた鎌の柄だけが残っていた。


「よくやった。お前は狩り手の長に相応しい」


 最も年長の長老が、長とそこに駆け寄った者たちの前に立つ。雷獣から、彼らを守るように。

 雷獣はその光景を眺め、最後に一度、大きく羽ばたいて去った。舞い上がった砂に視界を奪われて、次に見たときには影も形も見えなかった。


◆◆◇◆◆


「行くのか……」


 そのまま長は死んだ。死ぬ前に語ったところによると、洞窟には老婆が居たらしい。もう寿命が尽きかけていて、静かに死なせてほしいと言ったそうだ。

 戦士たちは老婆がなにを言っているのか分からず、雷獣を倒すために来たと告げた。それで老婆が姿を変えて、ようやく事態を飲み込んだ。


「ええ。僕たちを戦士と認めてくれる人は、居なくなりましたから。生きる道を、自分たちで探さないと」

「鎌の刃を見つけたら、返しに来ますね」


 湖のほとりに、父と母と、他の戦士たち全員を弔った。それからグラーディオとマシェーテは、雷獣を探す旅に出ることを決めた。

 誰かの仇などとは思わない。

 戦士たちの敗れた証である、鎌を取り返したなら。その時にこそ、自分たちは戦士であると言えるだろう。それ以外に、生きる目的はない。そう確信していた。

 やがて彼らは、探す雷獣が、雷禍と呼ばれていることを知った。何百年も前から、冥獣の一つとして怖れられていると。


「これは相手に不足はないね」

「ええ、兄さん。私たちが、あれを狩るのよ」


 二人の追跡行は、立ちはだかる魔獣を蹴散らす旅となる。疾き風の集落から遙か東。そこでの事件から、おおよそ一年前の出来事だった。

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