第24話:そこにある死
脳天から足の裏までを、細く長い針で貫かれたような。その途中で、心臓をぎゅっと掴まれたような。
雷禍の鳴き声が、全身を竦ませる。
怒声で活を入れたシヴァンさえも、いまさらに身体を震わせ、それを大声で払おうとしている。
隠れる場所。逃げる道。探せと言われても、ないものはない。身を滑り込ませるくらいの、細い隙間ならある。しかしそんなところは、雷禍が身じろぎすれば、崩れてしまいかねない。
「打つ手なしか……やむを得ん、迎え打つぞ!」
「はっ!」
雷禍は、どうやって進んでいるのか。羽を畳んでも、それほど余裕のある道ではなかったと思う。
最初に聞こえたきり、鳴き声は聞こえないが、代わりに地滑りのような音が続く。
「なんの音だ……」
「もしかするとだけど」
騎士と兵士たちは、剣を抜いて構える。それぞれその余地を空けているので、そこへグランたちまでも並ぶのは難しそうだ。
それでカズヤと同じに、壁際へ退避していたグランが呟いた。問いに答えたのか、たまたまそのタイミングで言っただけなのかは、判然としない。
「他の動物の空けた穴を、巣に使う鳥が居る。その鳥は狭い穴を、身をくねらせて滑らかに進むんだ」
「くねらせて――蛇みたいなもんか」
「ヘビィ? それは分からないけど、雷禍はそれと同じかもしれない。そうだとすると、ここまで来るのにいくらもかからないよ」
あの巨体がここの斜面を利用して、土砂を巻き込みながら、こちらが走るよりも早い速度で落ちてくる。
そう、落ちてくるのだ。
明確なイメージが浮かんでそれと気付くと、カズヤの背すじに、ぞっと冷たい柱が通る。
「押し潰されて終わりじゃないか!」
「その可能性は高いね」
「なんでそんなに落ち着いてるんだよ!」
暢気な返事で、顔を見て気付いた。グランが、笑っていない。
いつも、なにをしていても、微笑み以上を浮かべていた彼が。表情を引き締めて、雷禍の来るであろう方向に、視線を刺して動かない。
睨んでいるのとは違う。怒りなどの、マイナスの感情は見えない。そういう意味で言うと、嬉しそうと言ったほうが近い。
「おいマシェ……」
どうしたことかと、その妹に助けを求めようとした。しかしそれは意味がないと、すぐに察する。
同じ目だ。兄と同じ碧眼が、爛々と見張っている。
「兄さん、これはいい機会じゃないかしら」
「そう思うね」
「お前ら……」
二人の目は、一瞬も動かない。そこにただならない異様さを感じて、カズヤは次の言葉を見失う。
「カズヤ、無事か!」
目の前に飛び込んできた影に、びくりと身を強張らせた。しかしそれは、ジュネ。身体じゅうを汚し、息を切らせている。
「な、お? ジュネ! どこから来た⁉」
「説明はあとだ! こっち!」
彼はカズヤの手を引っ張って、膨大にある岩の隙間の一つへ導こうとする。
「なんだ、外へ逃げられるのか?」
「そうだよ、早く!」
「あ、ああ――グラン! 逃げ道があるぞ!」
これまでのカズヤなら、そんな声はかけなかっただろう。いまそうしたのにしても、仲間と共になどと、殊勝な気持ちではなかった。
言ってみれば好奇心だ。妙な様子の二人に、命が助かると言えばどうなるか。その結果を見る、実験のような意識だった。
カズヤに取って、粋がる誰かは目障りだった。どこかでそれが、自分と同種だと感じていたのかもしれない。
万が一にも、それが実を結ばないように、邪魔をするということは何度もあった。まかり間違って、それがまた別の誰かに評価されては腹が立つ。
グランとマシェに感じているのも、きっとそれと同じだ。到底敵うはずもない相手に、立ち向かう勇気。
自分の持たないそれを、認めたくなかった。
「シヴァンさま! 逃げ道が見つかったそうです! 早く!」
「なんと! お前たち撤退だ! 直ちにだ!」
「はっ!」
我先にと兵士が。装備を切り落とした騎士が、それに続く。残ったシヴァンも、隙間に入りながら言う。
「お前たちも早く来い!」
「お気になさらず。僕たちは、雷禍に興味がありまして」
「ばっ!」
バカなことを言うなと、怒鳴ろうとしたのだろう。しかしもう時間がない。上に向かう空洞から、次々と土砂が落ちてくる。雷禍の到着は、間近だ。
「カズヤ! 俺はお前を迎えに来たんだ! お前が逃げてくれないと、意味がないんだ!」
「ああ……」
諦めたシヴァンのあとを追う。その後ろで、グランはゆっくりと剣を抜いた。
マシェもその隣に、手斧を正面に構え。マクナスは反対側に、大剣を頭上へ捧げた。
隙間を進んで、十メートルほども行っただろうか。
耳をつんざく高音が、辺りの空間ごと世界を揺らす。それは間違いなく、雷禍の咆哮だろう。
獲物が居たと歓喜しているのか、ねぐらを荒らされたことへの憤怒なのか。
カズヤの前に見える全員が、一分ほども足を止めた。もちろん、カズヤも。
岩肌に滑らせてきた手が、脚が、がくがくと震う。身体に力が入らなくて、勝手に小便が垂れた。
「ひぃぃ、怖えよお!」
情けない声が、カズヤの後ろで上がる。ジュネのそれが、ほんの僅か、気持ちを楽にさせてくれた。
助かった。俺は生きてる。ここから出たら、ジュネに礼を言おう。
そう決めて、カズヤは暗い隙間を進んでいった。
◇◇◆◇◇
どれくらい進んだのだろう。途中までは、雷禍の暴れる振動が伝わっていた。それも遠く感じなくなって、しばらくしたころ。先の暗闇が、樹木と夜に変わった。
「ここはどの辺りか……」
先に出たはずの兵士たちが、口々に「助かった」と言い合っている中。シヴァンはもう、現在地の確認に入っている。
すごいなと思う気持ちもあるが、やれやれとも思う。生真面目が過ぎる人間は、どうにも苦手だ。
「ジュネ。お前のおかげで助かった」
「いいんだよ、お前も俺を助けたしな」
「俺が?」
ありがとうという言葉だけは、やはり恥ずかしくて言えなかった。しかし感謝の気持ちは、伝わったに違いない。
彼を助けたという話は記憶になかったが、とりあえず今は助かったことで、頭がいっぱいだ。すぐに思い出せないことを、追求する気にはなれなかった。
「そうか。お前が狩人の――」
シヴァンの目が、ジュネを捉える。
どういう意味を含むのだか、これもすぐに思い出せなかった。しかしレットの顔が思い浮かんで、ジュネの罪状を思い出す。
「……お、おい! 逃げ道を教えてくれたのに、それはないだろうが!」
一歩近付いたシヴァンと、ジュネとの間に入る。そうしようとは考えてなく、いつの間にかそうしていた。
シヴァンも、助けられた事実に悩んではいるようだ。その葛藤は顔に見えて、上げかけた手が、宙で所在をなくしている。
「それは……」
随分な間があって、ようやくシヴァンが動いた。カズヤを退かせるつもりか、肩に手をかける。
「なんのことだ? 彼が狩人だから、あんな道も知っていたのかと、私は聞きたいだけだ」
「はあ……?」
苦しい言いわけだ。聞き返しはしたが、それなら良かった、と思う。
「お、おう。俺はこの辺のことなら、大抵は知ってるぜ」
「そうか。しかしまあ、なんだ。見ての通り、雷禍が危ない。しばらくは町にも戻らず、身を隠しているがいいだろう」
自分たちが居る間は、町に帰ってくるな。そうすれば見逃してやれる。腹芸に疎いカズヤにも、これくらいは理解出来た。
「そうか。それくらい、なんてことはないよ。あんたにも助けられたな!」
「忘れていい。早く行け」
シヴァンは顎で示し、ジュネはそれに従った。数歩を進んだだけで草木に紛れ、そこからはどちらへ行ったかも分からなくなった。
「しかしあの三人は、どうしたことだ」
「俺に聞かれても知らねえ……」
本当にこの細い空間が、あの場所へ繋がっているのか。振り返った目の前には、積み上がった岩と岩の、継ぎ目にしか見えないそれがある。
音も振動も感じないその先に、死を置いてきたこと。その場に三人を残して、自分はただただ逃げてきたこと。そこに卑しい感情さえ、放り投げたこと。
どうしようもない無力感を覚えて、カズヤはその場に、へたり込んだ。
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