第23話:穴の中で
「ううーん……」
「カズヤ、どうしたんだい?」
シヴァンがどれだけの苦悩を抱えているのか。この国の住民が、どれだけの危機に瀕しているのか。
なんとなくは分かった。しかしやはり、なんとなくだ。
シヴァンの決意が崇高で、堅いものであるのは、そうしたいなら勝手にしろと思う。
多くの人が死ぬ。あるいは飢えたりすることも、自分がそうならなければそれでいいと思う。
どうしてそんなに、必死になるのか。国を守る立場にあるのは分かるが、どうしたって無理なことはいくらでもあるだろう。
そう、感じるのに。
頭に浮かぶことに全て、と思うんだけどな、と付いてしまう。そうに決まってる、と思えない。
苛々する。無性に頭がかゆくなって、無意識に掻きむしってしまうほど。
「ああ、めんどくせーな」
首を左右に振って鳴らし、大きく息を吐いた。書いてある文字も読めない地図など、眺めていても仕方がない。
言葉が通じるって、話せるだけじゃねえか。あのクソ女。
そうと思い浮かべてしまうと、また苛々が積もった。踵を返して、歩き始める。
「おい、どこへ行く!」
呼び止められても、振り返る気が起きない。
「俺には、なにも分かんねえことが分かったからな! なら、隠れられる穴でも探したほうがましだ!」
一人で逃げるという選択肢は、選べないのでなく存在しない。だから言ったように、隠れる場所を探す。しかしそれは、シヴァンの探している場所なのだ。
そんないちいちが、カズヤの苛立ちを最高潮に引き上げる。今この時だけは、後ろから剣で突かれるとしても、好きにしろとしか思わなかった。
「クソッ、なんなんだ」
そんなことをぶつぶつ呟きながら、荒れた気分に任せて足を動かす。
考えてみれば、どうしてここまでいいようにされているのか。何度も痛い目に遭わされたからと、どうして良い子に従っているのか。
日本に居た時だって、別に世界最強だったわけではない。
大学の教員には表面上で従って、裏をかくようなことばかりしていた。すぐケンカ腰になる学生が居れば、関わらないですむように立ち回った。
うまくやっていたじゃないかと、日本を懐かしむ。
帰りたい。あの平和な世界に、帰りたい。
けれども帰ったところで、喜ぶ誰かなど居ない。情けない話だと、また一人だと、カズヤは笑った。
「カズヤ、待ってくれ」
もう何十歩も歩いたはずなのに、呼んだ声は、すぐ後ろのほうだった。
驚きを感じて振り返ると、グランとマシェが走り寄る。その後ろに、マクナスもこちらへ向かっていた。
「なんだ? 俺は早く、逃げ隠れしたいんだ」
「そうね。私もそうしたいから、仲間に入れてもらえる?」
またグランが減らず口を言うのかと思った。意外ではあったがその当人を見ると、意味有りげに口角を上げている。
どうやらなにか仕込まれて、マシェは言ったらしい。
「好きにしろ」
視線を切って歩き出すと、後ろで微かに笑い合う二人の声が聞こえた。しかし構わずに歩く。
「シヴァンさまも探し始めたよ」
隣に追い付いたグランが話しかけてくる。だが腹が立つので、返事はしなかった。
「ただでさえ考えることが多いのに、あの方は自分で率先してやろうとするみたいだ。ある程度は任せてしまったほうが、いいだろうにね」
「俺は勝手にやることにした。だからあっちも、好きにすればいい」
「そうだね。だからみんな、今回ばかりはカズヤを見倣っているんだよ」
いつまでも一人で話していそうだったので、早く終われと、結論を言ったつもりだった。しかしやはり、返事をするのではなかったと後悔する。
大きく、わざとらしく、舌打ちで不満と苛立ちを示した。
◇◇◆◇◇
もしも心に、決まった形や大きさがあるのだとすれば、この数十分で微塵にすり潰されたことだろう。
眼下に見えていた雲は薄くなって、空中を泳ぐように飛ぶ、巨大な生き物の影が見えた。
陽が半分以上も沈んでいるせいもあって、はっきりと姿が見えはしない。だがその大きさと雷を纏うそれが、雷禍以外であるはずがなかった。
誰かを呼ぶ声ひとつ。歩くたびに転がる、小石ひとつ。そんなものにいちいち気を割き、音を立てぬよう、気付かれぬよう、この山に財宝を盗みにでも来た気持ちになった。
「ようやくひと息だな」
見付けた穴は、カズヤたちが目指した山頂とは違う、もう一つの頂きの陰にあった。ごつごつとした岩場ばかりで、手近なところから捜索範囲を広げたのが、発見を遅くした。
「私は、先の先まで考え過ぎていた。お前が動き出してくれたおかげだ」
「やめてくれ。俺は他に、やることがなかっただけだ」
別行動をしていた騎士と兵士たちが合流するのを待って、全員で奥へと進む。雷禍が外に居るのは見ているのだから、怖れる理由はない。
もちろん別のなにかが潜む可能性はあったが、数日前に雷禍が居たような場所に近寄る獣は少ないだろう。
その穴は先日見付けたものよりも、入り組んでいた。雷禍が通れる大きさであるから、進むのに苦はない。しかしやや急な下りになっていて、転べば相当の痛手を被るだろう。
「ところでこれ、雷禍が戻ってくるとかないんだろうな」
視界に見えなくなって、多少の安心感が生まれた。すると今度は、雷禍は次にどうするのかと考える。
ここが一度は潜んだ場所であるなら、二度目がないとは限らない。
「彼奴は夜になってから動く。それに遠方から移動してきたことを考えると、同じ場所へ定住する性質もない」
「だから大丈夫だって? まだ日が暮れてないのに、飛んでるのを見たじゃねえか」
「……まあそうだ。あくまで私たちがそう考えているだけで、実際の性質は分からん」
なにも保証はないらしい。そうと分かると、外に居たときとはまた違った焦燥感が湧いてくる。
見つからないように、ではなく、後ろから現れませんように。もはや神頼みの様相だ。
それと同時に、隠れられそうな横穴や窪みを探しつつの移動となった。
「ここがねぐらのようだ」
やがて広い空洞に突き当たる。先日見たものよりも、かなり狭い。この中で、あの巨体が方向転換出来るのだろうか。
そもそもここがそうと言っているのは、他にそれらしいところがないというのが理由だ。
もしかすると雷禍は、大胆に地表へ寝そべるのが好みなのかもしれない。だとすると、あちらの山では穴に入った説明が、つかなくはあるが。
足元は水平でない。下ってきた斜面と同じくらいの角度のまま、その空洞は完結していた。
そうだ、雷禍が通れるような別の出入り口は、存在していない。
「ここで休むとすれば、頭はこちらであろうな」
人間と好みは違うかもしれない。しかし上りになっている入り口側に、頭を向けただろうと予測された。
どのみち、食べ残しと糞とを探すのだ、どちらが頭でも同じことだ。
松明の数を増やして、捜索が始まった。
穴を探して、糞を探して、探してばかりだなと嫌気が差す。
けれども外と比べて、寒くないのは良かった。少し動くと暑くなりそうだったが、僅かに冷たい風が吹き込んできて、それもまた心地いい。
範囲が限定されていても、やはりすぐに見つかるものではない。そこでの時間も、相当に過ぎた。
早く見付けて、外に出なければ。しかし外に出たところで、目の前に雷禍が居たらどうするのか。
カズヤがそんなことを考えるのと、その場に居た者の多くは同じように思っていただろう。
周囲を囲まれた安心感が、見つけないほうが良いのではとも思わせる。
「ありました!」
騎士の一人が、なにかを手に掲げた。
見つけたのかよ。と毒づきたくなったが、それを口に出すのは堪える。
シヴァンが「そうか!」と喜んで駆け寄っていったから。
「ふむ。やはり縞玉の欠片のようだ」
「大きな塊が、砕けたように見えます」
「たしかにな……」
二人がそれを手にして話し合うのを、騎士たちが囲む。その輪に、グランとマシェも興味を示して、加わっていた。
期せずして、カズヤとマクナスが輪の外で待ちぼうけの格好になる。
彼は鋭い目で、縞玉の欠片を見つめていた。それがまるで、なにかの仇であるかのように。あるいはその眼光で、欠片を粉砕しようとするかのように。
たかだか石の欠片に、どうしたものか。鬼気迫る様子が、気にはなる。
興味とか好奇心のようなものではない。周囲が概ね同じ方向へ感情を向けているときに、一人異なる者が居れば誰しも気になるだろう。
なんだこいつ、と。ただそれだけだと、カズヤは誰にともなく言いわけをする。
その視線に気付いたようだ。マクナスは一瞬、カズヤを見て、顔を背ける。こっちを見るなとでも言うかと思ったのに、それも意外だった。
――が。
それを聞く機会は失われた。一行の耳に、怖れていたものが聞こえる。甲高い、鳥の鳴き声。カズヤの耳には、ジェットエンジンの音にも聞こえた。
「雷禍だ……」
「彼奴がここへ来る! 避難場所を探せ!」
こんな場所で、あんな大きな相手など、対処のしようも思いつかない。「マジかよ」と、引きつった笑いだけが、カズヤの言える全てだった。
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