第20話 真昼7
雨川代行事務所、一階の応接室。
所々省いた部分はあるが、朝香と小夜の二人に姉のことを話し終えた。
既に随分と温くなったカップを持ち、真昼は残りを啜る。
「うーん……お姉さんが私に似てるって話だったけど、似てる気配が全くしなかったよ」
初めに声を上げたのは朝香だった。
そもそも雨川が朝香を気にかけているという話から始まった疑問。
当時のことを思い出しながら話していた真昼だったが、確かに本人が言うように朝香と夕莉は似ていない。
「まあそやな。顔? 雰囲気? あの人が成長したら、見た目はこんな感じになったかもしれんってだけや」
「こんなって……」
特に性格や考え方は全く異なるように思える。
しかしそれは朝香と近い付き合いがある者にしか分からない。
真昼の指につつかれた朝香が、あうあうと小動物のような声を上げ抵抗する。
姉とのあまりに違う反応に真昼は顔を綻ばせた。
「でも妹から見て似てると感じたのなら、雨川さんも同じように思った可能性は十分あり得ます」
小夜の言葉に真昼は頷いた。
「だから雨川さんは、今でもまだお姉さんのことを……ってことですね」
続く小夜の言葉には、視線を逸らして曖昧に口を噤む。
もちろんその可能性はあるけれど。
「ま、断言は出来んけどな」
そう言っておくことにした。
雨川は確かに夕莉のことが好きだった。それは間違いない。
でも今もまだそうなのか、と問われると首を傾げるだろう。
真昼から言いだしておいてなんだという話なのだが。
あれから何年も時が流れた。
夕莉のことを忘れるはずはないが、少なくとも引きずってはいない。
それに真昼は二人に言っていない重要なやり取りが一つあった。
「なるほど、参考になりました。ありがとうございます」
そしてそれを二人に言うつもりもなかった。
今の話が小夜にとって何の参考になるのか。
夕莉に似てると言われ、微妙な顔をしながらも仄かに喜ぶ友人は一体何に喜んでいるのか。
そんなこと決まっている。
「まあ、そんくらいわな」
だから聞かない代わりに言うつもりもない。
半分は意地悪で、もう半分は真昼にとって数少ない、真昼だけの思い出だったから。
――え? 真昼?
――久しぶりやね、兄貴。
ふと兄との時間を作ろうと思った真昼は、雨川代行事務所の戸を叩いていた。
――なんだ、また来たのか。
――別にええやん。兄妹なんやし。
せっかくまた会えたというのに頻繁に通うのは躊躇った。
だってそれは真昼の思う、兄と妹の距離ではなかったから。
――ねえねえ、兄貴兄貴。今度一緒に旅行行かへん?
――は? 旅行ってお前……俺は忙しいから、友達と行ってこいよ。
――ええ! 社会に出てきたばかりの妹を労わるのが兄の仕事ちゃうん!?
兄妹だから、兄なら、妹なら。
全部言い訳だ。
結局のところ、諦めきれてなんていなかった。
世間の普通の兄妹なんてどうでもいい。本当は毎日でも会いたかった。
なぜなら真昼は、未だ密かに雨川のことを想っている。
離れて暮らすようになったことで、より一層意識するようになっていた。
その想いに気付いた時から、自分でも驚くほど素早く行動していた。
――またか。
――いやいや、今日は用があって来てん。
実は朝香がストーカーに追われていた件は、本人には悪いがその意味ではよかった。
気兼ねなく会いに行く口実が出来た上に、共通の達成するべき目標のようなものが生まれたから。
それに、真昼にとって雨川より信頼できる人なんていなかった。
――なんかお前、昔と少し変わったな。
――そう? まあでもあの時は子供やったし……
――なんか今の方が子供っぽいような。
――そういうもんや。思春期が過ぎたら一周回って素直になれるねん。
雨川の隣は心地よかった。例えそれが妹に対する態度でも。
これ幸いと真昼は甘えることにした。
この程度なら、妹なら、そんな風に思わせれば大抵のことが許されたから。
今まで自分を縛っていた立場を利用して、言い訳だったものを武器にして、少しずつ距離を縮めることにした。
そんな強さとずる賢さを持てるくらいには余裕が生まれていた。
周りに振り回されてばかりいた頃の幼い自分はもういなかった。
真昼はそんな今の自分は嫌いじゃなかった。
――なあ兄貴、姉ちゃんが入院した時のこと覚えてる?
だから真昼は過去を精算することにした。
終わってみれば、思ったよりも簡単であっけなかった。
真昼が誘拐されたと思い込み、朝香が右往左往としていた日は朝から夕莉の墓参りに出かけていた。
スマホを家に忘れてしまったのは非常に反省している。
しかしどちらにせよ、名目こそあれ常にデート気分の真昼が、持っていないことに気付いたのは最後の方だった。
――あの時はごめんな。
夕莉の墓の前で、真昼は二人に謝った。
二人を会わせることは自分には出来たはずだったと。
言ってから段々と笑みは薄れ、最後には自然と涙が溢れてきた。
こんなのは自衛のための嫌らしい涙だと思った。
隣で暮石を眺めていた雨川には気付かれたくなくてそっぽを向いた。
でも拭っても拭っても、止まることはなくて。
――なんだお前、そんなこと気にしてたのか。
雨川の反応は限りなく予想通りではあった。
彼は子供の頃の話を気にしたりする性格ではない。
真昼が泣いていたことには触れず、雨川の手が頭にのった。
ふと昔のことを思い出した。
あのころに比べると、慎重で優しい手つきだった。
――あいつだって、絶対そう言うぞ?
言われずとも分かっていた。
夕莉だってきっとそう言うのだろう。
だって二人は結局、最初から最後まで真昼に優しかったから。
――だから気にするな。お前がそんなんだと俺があいつに怒られるだろうが。お前は知らないだろうけど、事あるごとに妹を大事にしろって煩かったんだ。
きっとその言葉には二つの意味が込められていた。
妹である真昼と、もう一つの可能性。
自らの想いを捨て去り、託すというのは一体どんな気持ちだったのか。
真昼は再び、亡き姉を想い瞼を閉じた。
――ああもう、分かった。秘密にしろって言われてたけど言うぞ。さすがにもう時効だろ。
いつまでも泣き止まない真昼を見て、雨川はぶっきらぼうに口を開いた。
――俺、あいつが死ぬ一週間くらい前に会ったぞ。
ゆっくりと顔を上げた真昼は、逸らしていた体の向きを雨川へと向けた。
――嘘?
――本当。なんだ? 俺ってそんなにいい子だった? 人から言われたことに、黙って従うような子供だったか?
――そう……やな。確かに、そう!
今ではこんなに立派な大人になったとでも言いたげな雰囲気を醸し出す雨川。
子供じゃなくなった今でもあまり変わっていないように見えるが、という言葉は寸前で飲み込んだ。
しかし確かに言われてみればそうだった。
この男が、例え子供時代であってもあの雨川君が、真昼の想像通りに収まるわけがなかった。
――長い入院だし流石に気になってな。夜に病院へ忍び込んだ。
――え、それで?
――人から隠れながら病室を探すのに苦労してな……それでもやっと見つけてやったと思ったら、気持ちよさそうに寝てたから叩き起こした。
――ただただ姉ちゃんが可哀想やん。
雨川らしいエピソードを聞いて、いつの間にか真昼は笑顔になっていた。
夕莉が少々可哀想な目にあってはいたが、きっと彼女はそれでも嬉しかっただろうと思った。
――見た時は驚いた。元々瘦せてたのにさらに痩せててさ。
――そうやんな……。
――俺が何も言えないでいると、もうすぐ死んじゃうのに君が驚かせたからさらに寿命が縮まったとか怒られて。
真昼は最後まで夕莉がいつ死ぬかなんて聞かされなかった。
やはり姉は、雨川にだけは家族とは違うまた別の形で心を開いていたのだ。
懐かしい気持ちと悲しい気持ちが混ざりあい、変な気分にもなってしまった。
ただ続きを聞きたい気持ちだけは確かだった。
――それで、どうなったん?
――それで確か、俺は謝った。でも許してくれなくて、どうしたら許してくれるかを聞いた。
――意外にまともな対応やん。それで?
――何でもいいのって聞かれてもちろんだと言った。ああいや死者の蘇生は無理だぞって言ったんだったか?
――阿保なん……?
――無言で近づいてきたあいつに引っ叩かれた。
――うん。それでそれで?
――手を振り上げたから、もう一発来ると思って目を瞑ったんだけど違った。あいつは自分で叩いたはずの俺の頬を撫でていて……。
――そ、そのあとは!?
――そのあと目を開けるとあいつと目が合った。何を言われるのかと思って身構えていると突然顔を近づけてきて……ああいや。
――ん?
昔を思い出すように話していた雨川だったが、途中で歯切れが悪くなった。
真昼が訝しむような表情で覗き込むと、後ずさりした雨川は不自然な笑みを見せた。
――というようなことが、あったりなかったりしたな。
――いや、なかったりしたらあかんやろ。最後姉ちゃんは何を……。
――最後は確か仲良く別れたぞ。バイバーイって。そうだそうだ、思い出した。
――なんや怪しいなぁ。
うんうん頷く雨川を見ながら眉を寄せる。
夕莉の性格と行動力。
それらを考えた時、なんとなく彼女が何を望んだか分かった気はしたが、そこで真昼は考えるのをやめた。
――兄貴はさ、姉ちゃんの最後の望みを知っとったん?
真昼の問いに雨川はしばらく黙ったままだった。
その様子をみた真昼は、小さく笑みを作りながら続ける。
――雨川家と家族になる事。ほら、うちのとこ女所帯で大変そうやったやろ?
――そうだな。でもそれはほとんど達成したようなもんだな。
――そうは言うけどな……うち、今更かもしれんけど姉ちゃんの望みをちゃんと叶えたいねん。
――なかなか難しいなそれは。だって親父が。
――もう一つ、方法を思いついたんやけど聞いてくれる?
――そんな方法……。
雨川が何かを言い終える前に、真昼は彼の両頬に手を添えた。
そして顔を近づけ、自分の唇を相手の唇に押し当てた。
――兄妹ならキスくらいするやんな?
顔を離し、未だ両手に挟んだままの雨川を上目遣いで見た。
――いや、どうだろ。
――姉ちゃんとも、したくせに。
真昼の一言で雨川は黙った。
彼は肯定も否定もしなかった。
――ねえ? 次は兄貴からもして? それでも、願いは叶うから。
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