106-62 やることできること
やっと日が昇って、あたりも充分明るくなってきたころ。
外に何者の気配もないことを念入りに、念入りに確認してから、そろそろと寝室から出る。
朝日の差し込む窓から麓を見ると、微かな朝靄が出ているようだった。もっと濃ければ雲海のようになっていたのかもしれないけれど、これはこれで、麓の集落が清流に沈んだ水面を見ているようで、趣があるかもしれない。
──清流といえば、ちょっと喉も乾いたなぁ……
そんなことを思いながら、しばらく、そうして朝日を浴びながら景色を見て、多少身体も温まったところで、クライアさんに貰った硬いパンとしょっぱいチーズを少し齧って朝ごはんにする。
食べ終わって、一息ついてから、ぐるりと家の中を見回して、ため息をひとつ吐いた。
「なにから、手をつけよう……」
ここから見えるだけでも、解決しておきたい問題は山のようにあった。
まず、火種。
今はまだ料理をするような余力はないし、夜もさっさと寝てしまえばいいのだけれど、朝夕は冷えるようなので暖を取りたいし、夜は動かないと言っても、明かりがあるに越したことはないので、一番に欲しい。
次に、水。
一応、軒先に水甕があって、雨水を屋根と樋で集められるようになっているらしく、その大きな甕に半分くらいは水が入っていた。けれど、それを飲み水にするには抵抗があるので、できれば水場などが近くにないか、探したい。
あとは、この家。
ぶっちゃけて言ってしまえば、人が住める状態ではなかった。屋根が落ちてるとか、窓がないとか、大きなところ以外にも、細かな問題はたくさんある。ただ、なにより、安心して夜を過ごせる程度に、しっかり戸締りできるようにするのは最優先事項だった。
──まぁ、屋根は……
屋根は、後回しでもなんとかなる、かな?
ついでに家のことでいうなら、ゆっくり眠れる寝床が欲しいけれど、それも後回し、かな。
父が日曜大工を趣味にしていて、よく家具などを作っていたし、自分も手伝ったり、見よう見まねで簡単なものを作ったりしたこともあるので、諸々の改装は自分でどうにかしようと思う。
というのも、そもそも、誰かに改装をやってもらうお金が、用意できない。
そう…… 火種とか、水とか、家とか、問題はいろいろあるけれど、お金の問題が一番大きい。
食べ物だって、ずっとクライアさんに頼るわけにはいかないのだから、せめて、食い扶持を稼ぐくらいの収入源を確保しないといけない。
家の改装──修理?──費用も…… せめて、自分でやるにしても建材の購入費用も必要になるだろう。
さぁ、どうしようか、と考える。
「………………」
……結局、クライアさんに頼らないと、いろいろつらいという考えに行き着く。
まず火種のことを相談しに行くついでに、何かしら仕事がないかも訊ねよう、と思う。恩返しもしたいので、クライアさんの農園で働かせてもらえれば、それが一番いいのだけれど、悪いだろうか。
昨日、山のように食べ物をいただいておきながら、今日もまたおねだりする格好になることは、心苦しいけれど、ただ何もできずに貰った食べ物を浪費するだけより、きっとずっと良いはず。
考えをまとめて、食べ物の入った袋をぼろぼろの棚になんとか仕舞い込んでから、わたしはまた、山を下った。
◇
山を下りて、クライアさんの家にやってきた。
道中には見かけなかったので、多分家にいるのではないかと思い、ドアをノックする。
「あのー…… すみませーん……」
応答はない。
──いないのかな?
きょろきょろと周囲を見回してみるけれど、人影はない。
もしかしたらノックが弱かったのかもしれないと、力を込めてもう一度扉を叩いてみるも、やっぱり応答はない。
家にはいないのかと思って、そばの窓から、ちらっと室内の様子を見てみようと覗き込んでみて、ふと、そこであることに気がついた。
「……あ、ガラスがない」
ちょっと板の上げられた窓の隙間からは、何もなくそのまま薄暗い室内が見えていた。
──窓ガラスは……もしかして高級品なのかな? ガラスがないということは、ないと思うんだけれど。
こちらの経済とかはさっぱりわからないので、ここの窓だけが特別なのかもしれないけれど、他の窓は雨戸?が閉じられていて分からない。
ただ、昨日家に上がらせてもらった時に見た家の中の様子を思い出してみると…… 電気的なものは何も見なかったし、かまどだったし、桶だったし…… ガラスが高級品というのも、ないことはないと思えた。
となると、山の上の家も、とりあえず板を用意するところから始めないといけなさそうだ、と思う。
──でも、開け閉めするなら
さすがに、あまり細かいものをうまく作れる自信はないなぁ、と考えていたところ。
「おや? サクラちゃんじゃないか! どうしたんだい?」
不意に後ろからクライアさんの大きな声が聞こえてきて、飛び上がるほど驚いた。
飛び出してしまいそうなほど激しく鼓動する心臓を、なだめるように胸を押さえながら振り返ると、ちょっと向こうにエプロンを土で少し汚したクライアさんがいるのが見えた。
「あっ、あっ、あ、お、おはようございます……」
「あははは、ごめんごめん。それで、何か用かい?」
クライアさんはわたしをやたら驚かせてしまって、ちょっと申し訳なさそうに笑う。わたしの方は、クライアさんが近くに寄ってきてくれるまでに呼吸を整える。
「えっと、えっと…… あ、昨日は、たくさんご馳走になって、その上、あんなにいっぱい食べ物もいただいてしまって、本当にありがとうございました」
落ち着いて、まず言わなければならないことを思い出し、深々と頭を下げて、今できる精一杯の、お礼の言葉を述べた。
「サクラちゃんは良い子だねぇ。いいの、いいの、それくらい気にしなさんな! まだ越してきたばかりでいろいろ大変だろう? 何かあったら遠慮無く言いな。大丈夫、できないことはできないってちゃんと言うからね、はははは!」
わたしの頭をぽんぽんと撫でながら、おおらかに笑うクライアさんの笑顔は眩しかった。嬉しいし、ありがたいことこの上ない。この恩は、絶対に返さなければ。
ともあれ、今は最低限、落ち着けるだけの環境を整えなければならない。何でもかんでも頼り切る愚は犯さないと心に誓いながら、しかしお言葉には甘えて、クライアさんに話を切り出す。
「ありがとうございます…… その、ならば、と言うわけではないのですけれど、いくつかお願いがありまして…… 火種をいただきたいのですけれど、お願いできませんか?」
それを聞いたクライアさんは、そんなことかい? と笑った。それから、ちょっと待ってな、と言って家の中へと入って行った。
そして、数十秒後。
「ほら、火打石と火打金に、少ないけど
「あ、はい!」
ちょっと思っていた以上に古典的な道具が出てきて驚いたけれど、幸い、昔祖父に使い方を教わったことがある。ちょっと曖昧な記憶だけれど、多分大丈夫だろう、とありがたくありがたく受け取った。
「ありがとうございます! …………あ、この道具は、使い終わったら、お返しした方が……?」
受け取った道具をよく見てみると、年季が入っていたものの決して古びてはいなかった。大切に扱われていたように見えたので、大事なものなのかな、と思えたのだ。
「いやいや。昔使ってたもんだから、そのままサクラちゃんが使いな。……それに、火が消える度に山を降りたり登ったりするのは大変だろう?」
そう言いながら、クライアさんは、にやりといたずらっぽく笑った。
ところで、火打石と火打金といった、ちょっと手間のかかる着火具しかないと言ったら、一度着けた火は絶やさずに置いておくべきだろう、というのは想像できる。火口──火花を受けて燃え上がらせられる、火の着きやすいもの──を用意するのも、大変だから。
……ただ流石に、最低限の火種だけを残して火を絶やさずに置く、というのは不慣れ……と言うかやったことがないので、慣れるまでは、ちょくちょく火種を消してしまう気はする。クライアさんはその辺り、お見通しなのだろう。
クライアさんの笑みには、苦笑いで返した。
「では…… これは、ありがたく使わせてもらいますね」
クライアさんは、笑顔で大きく頷いた。
これでまず、火種の問題はどうにかなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます