書きかけ
白煙を上げ、列車は駅から滑り出ていく。
少しずつ加速する窓の外の景色に照らされながら、学帽を被り外套をまとった少年が、手にした白紙の手帳に目を落とす。
「こんな小さな何でもない手帳が、千年後には魔術至宝、か……」
少年の名は藤原定家(ふじわらのていか)。
陰陽道と神道の地、ジーベンより、魔術と占星術の地、エゲレスへはるばる渡ってきたばかりの留学生である。
「惜しくなってきた?」
と、定家の正面に座る少女は、軽く問いかける。
少女は、定家が向かうヒッポクレーネー学園の制服をまとっていた。
しかし、彼女は生徒ではない。
「きっとこの先、友や恩師が出来て、ここにまじない文句を書き込む事になるんだろ?」
魔術師の伝統文化の一つに「グリモワールゲーム」というものがあるのだと、少女は語る。
初等生や新入りの弟子に先輩や兄弟子がそれぞれサインを添えて呪文を教えるという建前で自分がいかに珍しい呪文を知っているか周りにアピールする風習だと言う。
そして、自分を未来から遡ってきた者だと語る彼女、ダイアナ・ウィン・ジョーンズは、定家が行ったグリモワールゲームが、千年後まで及ぶ魔法史をひっくり返すものになると語った。
「それを兵器にされると聞いて良い気分にはならない」
「そうよね」
ダイアナが目を伏せる。
「だけど未来は変えられないわ」
「法的に、だろ?」
少しの沈黙が訪れる。
「タイムパラドックスは地獄を呼ぶよ、色んな意味で」
「何が地獄だ、兵器一つ無くなったくらいで」
苦笑いするダイアナの表情には、苦労の色が覗いていた。
「死ぬ人と生き残る人が入れ替わると、世界が石器時代になったり火の海になったりするものよ」
定家は顔をしかめて黙った。
「確かに気分が悪いでしょうけど、そのグリモワールは必ず完成させてもらうわ」
定家が、再び手帳に視線を落とす。
「幸先どころの騒ぎじゃないぞ……」
白煙を上げ、列車は山間の鉄橋を通り抜けていく。
はるか先にそびえる古城を目指して。
白煙を上げ、列車は終点駅に滑り込んでいく。
たった二人、列車から出てきて見上げた先には、巨大で歪な古城……ヒッポクレーネー学園の校舎がそびえ立っていた。
「でも一人で編入するの心細かったから、君がいて良かったよ」
「私はもうここの学生って事になってるよ」
「え?」
ダイアナは微笑むと、定家を通り過ぎてさっさと改札を通り抜ける。
「あとでまた会おうね!」
ダイアナの姿が霞み、淡い光に変わって、古城へ向けて細くたなびいて、消えた。
「えぇ……」
それを見送った定家は、トボトボと一人、駅を出ていく。
「やあ」
すると声がかけられる。
待ち構えていたのは、学園の制服を着た、背の高い生徒だった。
「君が留学生だね? 名前は?」
ちゃんと迎えの係がいたのか、と定家は安堵して、生徒へ駆け寄った。
「"初めまして"、"私の名前はフジワラノテイカ"! "会えて嬉しいです"」
定家が定型文の挨拶を済ませると、生徒は笑いながら名乗った。
「本当に外国人だ! "初めまして"、僕はダンテ、ダンテ・アリギエーリ。留学生の案内係として来てるから、最初の内は僕に何でも聞いてね」
そこで定家は早速、手帳を差し出して、ダイアナから習った決まり文句を唱えた。
「"ここで会ったのも何かの縁、ご参加頂けますか?"」
ダンテは、白紙の手帳の1ページを見ると、嬉しそうに驚いた。
「グリモワールゲーム! 懐かしいな!」
そして、手帳を受け取ると、彼はニヤニヤと何やら考えてから、ページの一行目を指でなぞった。
「暖炉や焼却炉に使うといいよ」
返された手帳には、一行ほどの文章が綴られていた。
"Lasciate ogne speranza, voi ch intrate(ここを通る者、全ての望みを捨てよ)"
「ら……らすしえいと、おぐんすぺらんざ……ぼいち、いんとらて?」
自信なさげに辿々しく読み上げる定家。
すると、近くの地面が「開いた」。
そこから一度、勢いよく火柱が上がる。
「!」
たじろいだ定家は、おそるおそる足元の開いた地面と、その中の炎を覗き込んだ。
それは、確かに暖炉のような、燃え盛る空間だった。
「こんなのでいいのか……」
ダンテが指を鳴らした。
「おめでとう! 初めての西洋魔法はどうだい?」
「"東洋のものより簡単に発動するから危なっかしいと感じる"」
「ドウジュツだよね? あれはむしろややこし過ぎる方なんじゃないかな?」
「道術ではないが……"事故は起こらないのか?"」
「事故なんか気にしてたら魔法界なんかに住めないよ」
ケラケラ笑うダンテは、何事も無かったかのように先へ進む。
定家は炎を心配そうに振り返りながらダンテに続いた。
駅を出て、古城まで続く道を二人は歩く。
夜闇の中、霧に濡れて不気味に照る木々はその道を通る者を指差すように歪んでいた。
「この森、良いデザインだろ?」
ニコニコしながら言うダンテに、定家は沈黙を返した。
古城はすでに霧の向こうから顔を出していた。
くるくるとねじ曲がった棟を持つ歪なその城は、月明かりを透かして二人を見下ろしている。
道端に転がるにやけ顔の形にくり抜かれた西洋カボチャの上でカラスが鳴いていた。
「奇怪な……」
定家が思わずつぶやく。
「"変に見える"?」
「!」
ダンテが分かりやすい発音で優しく話しかけた。
「僕にも変に見えるよ、コテコテ過ぎて」
古城へ着くのにそれほど時間はかからなかった。
人気のないエントランスホールは小さな灯りが点けられている程度で不気味に薄暗く、廃墟を思わせた。
定家が一歩踏み入ると、腰に付けていた脇差が弾けるように城の外へ吹き飛んだ。
残った太刀を押さえ、地面に跳ね返って転がる脇差を振り返る定家に、ダンテは苦笑いで説明する。
「申請されてない武器は城に入れられないようになってるんだ。あの短剣は手続きしてなかったんだね」
「"あれは術の為のものだ"」
「魔術道具?なら武器だよ、ここでは」
ダンテが小走りで脇差を拾いに行って帰ってくる。
「こういう事は珍しくないんだ、不本意だろうけど、ここに保管しないといけない」
城の壁に脇差が突き刺されると、壁に飲み込まれるように脇差がめり込んでいき、壁画の一部になってしまった。
定家はその時、壁画が剣や杖ばかりである事に気付いた。
「弁慶か?」
「"剣喰いの壁"だよ、みんなはそう呼んでる」
「あとで申請し直さねば……」
それからダンテの案内で応接室に荷物を置いた定家は、能力測定試験の会場であるダンスホールへ重い足取りで向かう。
一歩、一歩と、試験会場の明かりが近付く。
「そんなに緊張しなくても、さっきのアレが使えたなら魔力は十分あるから大丈夫だと思うよ」
先導するダンテの言葉も、定家には遠のいて聞こえていた。
「ええい、南無三!」
気を張り、ダンスホールへ入っていく定家とダンテ。
出迎えたのは、顎いっぱいに髭を蓄えた中年の男性……アリストテレス学園長と、寮長のローブを纏ったダイアナだった。
「始め!」
ダイアナの合図と共に人型の的が四体、五体と躍り出る。
カチャカチャと剣を振り回して走り寄るそれらを、握り慣れない杖を振り、魔力を飛ばして捌く定家。
「剣士の振り方だねぇ」
「西洋魔法も不慣れのようですね」
学園長とダイアナが淡々とそれを眺める。
次々と迫り来る的に、定家は一旦魔力を溜めて、詠唱を始めた。
「"春の夜の"」
的の動きが、大幅に鈍く、遅くなった。
「"夢の浮き橋とだえして峰に別るる横雲の空"」
室内が霧と暴風で満ちた。
人型の的は全て壁に叩きつけられ、動きを止めた。
「荒っぽいねぇ」
「やっぱりうちのラーテル寮かしら」
霧が散り、風も止む。
「そこまで!」
定家は、疲れた様子で立ち尽くしていた。
「慣れない魔法は疲れたでしょう、結果が出るまで応接室でお待ち下さい」
重い足取りでダンスホールから出てきた定家に廊下で待っていたダンテが声をかけた。
「どうだった?」
「あまり上手く振る舞えなかった……」
「魔力ほとんど使い果たしてるじゃないか。よく歩けるな」
「頭痛い……」
「応接室で待機だろ?早く座って休もう」
ふと、廊下にもう一人生徒がいるのに気付く定家。
その生徒は、少し二人を眺めていたかと思えば、歩を進め、話しかけてきた。
「そいつが留学生?」
「そう、試験が終わったとこだよ」
「試験で魔力を使い果たしたのか?ずいぶん……いや、なんでもない。僕はジェフリー、ジェフリー・チョーサー。よろしく、留学生」
それだけ言い残すと、彼はその場を立ち去ろうとした。
「"ここで会ったのも何かの縁"」
定家が慌ててそう呼び止める。
「"ご参加頂けますか?"」
そして、取り出した手帳を見て、ジェフリーはニヤリと笑った。
「初心者らしいね、カス呪文をあげよう」
手帳を受け取ったジェフリーが、短い文章を書いた。
そこには、英語でこう書かれていた。
"真実は、人が持っている最高のものである"
「探し物をしている時に使うと良いよ」
ジェフリーはひらひらと手を振って去っていった。
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