第一話 (11) 父親

 晴奈の話は続く。


 晴奈が山ノ口城を落とし、2日ほど経った頃。

峡間館では、評定ひょうじょうが開かれていた。

評定とは、皆で相談して何かを決めることで、要するに会議の事である。

といっても、信虎が行う評定は、既に答えが決まっており、その答えは信虎が一人で決めたものであった。

家臣の意見が通ることなど滅多になく、信虎をいさめようものなら問答無用で信虎に斬られた。

この評定に何の意味があるのか。それは曲がりなりにも峡間の国主である信虎の政治上必要な処置であった。

この評定を開くことで、信虎は家臣にしっかりと相談し、合意を得たという事実を手に入れることができた。もしも評定で決まったことが失敗すれば、信虎個人の責任ではなく、評定に参加したもの全員に責任が連帯された。


 ここまでひどい君主に、なぜ家臣たちは従うのか。

それはひとえに、乱れていた峡間を治めたのが信虎であるという事実があるからだった。

信虎に謀反を起こそうものなら、なるほど家臣たちは一致団結して信虎を倒すだろう。

しかしその後、峡間の君主は誰がやるだろうか。

それぞれが我の強い家臣達である。再び峡間が乱れるのは、燃え盛る火を見て、「何か燃えているんですか?」と聞くようなものだった。


 長くはなったが、話を戻す。この日の評定の内容は、前島昌勝をどうするか、であった。

前島昌勝といえば、今川の家臣である串間彦十郎を調略し、それを今川の軍師、太原雪原に利用されて山ノ口城の惨禍を招いてしまった張本人であるが、その処理をどうするかという事である。

もっとも、いつものごとく信虎の中で答えは決まっていた。

家臣達はその惨い仕打ちを諫めることもできずに頷くだけという、この世の地獄を体現したかのような評定が始まっていた。


 しかし今回の評定では乱入者が現れた。

晴奈である。

評定をしている最中、いきなり顔を出したかと思うと、そのまま大広間に入ってきて信虎の前に座り込んでしまった。


家臣達は驚き、板堀が「若殿?」とらしくもない間抜けな顔をしている。

信虎の顔は驚きから一転、怒りに顔をゆがませ、声を裏返して一喝する。


「控えいッ!」


晴奈は意に介した様子もなく一度頭を下げると、普段の様子と変わりなく話し始める。


「父上。前島をどういたしますか?」


「控えよッ!」


「前島を討つことはなりません」


「・・・・・・」


信虎は、とても娘に向けるものとは思えない鋭い目つきで晴奈を睨む。

さながら虎のようであった。


「あぁ~お優しいのぅ。晴奈様はぁ~。

だがなぁ、情だけで国を治めることなどできんのじゃ!

前島の進言を受け入れ、信友は死んだのじゃッ!前島が今川と通じておったのじゃッ!」


「私も武郷を継ぐ者。情だけで国が治められるなどとは、思っておりません。

しかし、情がなければ、人は動かせません。

此度は、寛大なお心を示されることこそ、肝要だと存じます」


「・・・・・・」


「前島は、山ノ口城で捕らわれておりました。

今川と通じていたのではなく、今川に利用されていたのでしょう。

誰にでも、失敗することはあります。それを克服しようとして人は成長していくものではないでしょうか」


「・・・・・・」


「下手なところがあったらもう一度使う。そうすれば、必ず立派に成し遂げてくれるでしょう」


「・・・・・・」


「なにとぞ、前島をお許しくだされ」


そう言い切って晴奈は頭を下げた。

家臣たちはしばらく呆気にとられた。普段はいるのかいないのか分からない程の無口な晴奈が、ここまで饒舌に喋ったのだ。それだけ必死の願いだったのだろう。


(見事なお方だ・・・・・・)


家臣達の心情は一致した。

みな、信虎がなんと答えるのか、固唾を呑んで見守る。

信虎はしばらくの沈黙の後、ようやく口を開いた。


「此度は、許そう」


家臣たちは安堵の表情をした。

晴奈は顔を上げた。その表情もまた、安堵の表情だった。


「ありがとうございます。前島もさぞかし喜ぶこ、」


晴奈が言い終わらない内に、再び信虎が口を開く。


「お前を、許すと申したのじゃ」


その場にいた全員が、信虎の顔を見た。


「よいな?前島は一族郎党、腹を切らせよ。以上じゃ」


そう言って信虎は、さっさと大広間を出て行ってしまった。


晴奈に生涯ついていくと誓った前島は、その短い生涯を終わらせた。


晴奈が信虎に対して失望し、絶望したのは、この事件があったからかもしれない。




正月。

大広間に武郷一族。家臣たちが一堂に会している。


板堀が家臣を代表して信虎に挨拶をした。


「さても目出たき武郷家の新年を迎え、家臣一同心よりお祝いを言上致しまする」


「うむ」


板堀は、続いて晴奈に笑いかけた。


「ささ、若殿様。武郷家の嫡女としてお屋形様より祝いの一番盃いちばんさかずきをいただきなされ」


晴奈は黙って板堀に頷き、信虎に新年の挨拶をする。


「父上。新年おめでとう存じまする」


「・・・・・・」


信虎が何も言わない。

どうしたのか。家臣たちが信虎を見ている。


「一番盃は、信繁じゃ」


「「「ッ⁉」」」


信虎が何を言ったのか、その意味するところは大きい。

正月祝いの一番盃とは、家督を継ぐ者が受けるものであり、それを長女である晴奈ではなく、次女の信繁にさせるということである。

信虎は家族には甘かったが、中でも一番かわいがったのが信繁であった。

そして、一番嫌ったのが、晴奈であった。


「父上。言っている意味が私にはわかりかねます。姉上がもらわぬ限り、私も盃はもらえません」


信繁は信虎を睨みつけた。

優しい目をしていて独特の雰囲気を漂わせている無口の姉と違い、信繁はつり目でさっぱりとした性格であった。

この姉妹の関係は、この時代では珍しく、極めて友好であった。

信繁が晴奈をやや慕い過ぎているくらいである。

信繁は文武両道なんでもできる、極めて優秀な人物ではあったが、一国をまとめるというよりは、それをサポートする役目に富んでいたように思う。


「信繁ぇ。おぬしにしては察しが悪いではないかぁ。

わしはおぬしを、次の武郷家の当主にするというておるのじゃ。

それともまた、この姉をかばうのか?」


「理由を言ってください。なぜ姉上を廃嫡なさるのか。

このままではどうあっても、得心できません」


「さすがはぁ、信繁じゃぁ。情がなければ人は動かせんと、どこぞの誰かがわしに説教しよったからのぅ。

晴奈にはぁ、しばらく南科野に行ってもらう」


晴奈、信繁、ほか家臣一同、みな驚いた。

これだけの数の人間を驚かせるとは、信虎にはなにか違う才能があるのかもしれない。


「今川梅岳殿はまことに立派なお方じゃぁ。梅岳殿のもとへ行って礼法を身に着け、生きた軍学を学ぶ、好機となろう。はっはっはぁ。うん?どうした?」


信虎は、黙りこくっている家臣たちをキョロキョロと見回す。


あまりのことに誰もが言葉を失う中、板堀が声を荒げた。

晴奈を娘同然でかわいがってきたのだ。晴奈は板堀のことを、「本当の父だと思っている」と言ってくれたのだ。その時に板堀は、涙を流し、晴奈を守っていこうと決めたのだ。

もはや、我慢の限界だった。


「それでは理由になっておりませぬっ!何をもって晴奈様をご廃嫡なされるのかっ!

この板堀を得心させる理由を、どうあっても伺いたいっ!」


「板堀っ!家臣の分際で言葉が過ぎるぞっ!覚悟はできておろうなっ!」


信虎はついに刀の柄に手をかけた。

それを見た晴奈は、すかさず声を出す。


「信繁。父上から盃を」


「ッ!しかし姉上っ!」


信繁が晴奈を見ると、晴奈は黙って頷いた。


「ッ。父上。信繁、盃を頂戴します」


信虎は信繁をジロリと見て、機嫌を取り戻して「それでよいのじゃぁ。あっはっは」と笑った。


これにて晴奈は、峡間を追われ今川の元へと行くことになった。

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