第35話 第十章 死闘⑤

「おらよ」

 体は限界をとっくに超え、休みを訴えている。だが、その訴えに反して驚くほど体が軽い。

 不思議な矛盾に、ニコロは面白いと他人事のように思いながら、槍を振るう。

 振るえば振るうほど、人ではドラゴンに勝てない理由がわかる。こんな力インチキだ。

 だが、インチキはより大きなインチキに凌駕される。

「あなたは我々の兵士だ。味方に襲い掛かるとは、どういうことですかあああああ」

 代弁者は、ニコロの冴えわたる攻撃を巨大な剣で器用に弾き、力任せに振り下ろした。

「あっぶね! グッ」

 直撃は避けたが、地面を抉り、その余波で生じた土砂がニコロを襲う。あっという間に飲まれ、身動きが取れなくなる。

 ――まずい、あ……終わった。

 代弁者の剣が、ニコロの目には死神の鎌に見えた。つまらない終わりと、自虐気味に笑った時、槍が眩く輝いた。

「馬鹿者。男がすぐに諦めるな」

「え?」

 聞き違いだろうか? だが、どこかで聞いた事のある声だ。

 ニコロが槍を見ると、濃い茶色のウロボロスが勢いよく噴出してきた。

「何だというのです⁉」

 ウロボロスはニコロを庇うように、代弁者の視界を遮る。

(今だ)

 ニコロは代弁者が困惑している隙を付き、土砂から這い出た。

 どういった現象なのか、不思議でたまらないニコロの前に、濃い茶色のウロボロスがまた漂い、一つの絵を描いていく。はじめは首を傾げていたニコロは、ハッと表情を一変させる。

「まさか……親父」

 目の前に、見覚えのあるドラゴンの姿が描かれた。力強く、体の大きなドラゴン。いつも優しくて、時に厳しくて、誰よりも戦いを嫌っていた自慢の父親。

 ニコロの頬に、暖かなしずくが零れた。ニコロを育ててくれたドラゴンの名はアース。

 どうして今まで思いださなかったのか。このウロボロスの色は、アースの魔力だ。

「親父、本当に親父なのかよ。……ごめんな。俺、俺……助けに来るのが遅れちまった。なんて、親不孝な奴なんだ」

 ニコロは涙を拭うと、代弁者を視線で射抜く。

「おい、うちの親父が世話になっちまったみてぇだな。たっぷりお礼をしねえといけないぜ」

「おや、そんなに感謝されるとは嬉しいですね」

 代弁者は、心の底から嬉しそうに無邪気に笑った。

「へ……、皮肉に決まってんだろうがよ。行くぜ、親父」

 空を舞う羽のように、地を軽やかに駆けた。こんな時だというのに、不思議な高揚感がニコロの心を高鳴らせる。

「おらよ」

 槍を振るう。父親に自身の成長を見せるかのように、槍の使い手の本領を遺憾なく発揮する。突いて、払って。槍はニコロの一部だ。

(いい歳なのに俺ってヤツは)

 心の片隅でニコロは笑った。彼は幼く、まだ父親の存在が必要だった。甘えたかった、もっといろいろ教えてほしかった。

 けれども、奪われた。目の前の男が持つどうしようもない狂気によって。

 思えば、ニコロの人生はあの日を境に止まっている。ずっと、この男を殺すためだけに生きてきた。……なんて、つまらない人生だっただろう。

(今日で終わらせる。親父と一緒に、コイツを)

 静寂でつまらない時間が、静かに動き出した気がした。

 ※

「秋仁、行きましょう」

 黒羽の肩を彩希が叩く。

「できたのか?」

「ええ、これならヤツを倒せるはず。フフ、驚かないでよ」

 彩希と手を繋ぐと、彼女は刀身が白く、柄が黄金色の刀へと変化した。黒羽はまじまじと刀を見て、唖然となった。

「どうみてもただの刀じゃないんだけど」

「もちろん。これはデュランダルっていう剣を、私が刀にアレンジしたものよ。強靭さと切れ味の鋭さを両立させた剣らしいわ。これなら、代弁者とも互角に戦えるはず」

 刀を軽く振ったり、構えてみたりする。初めて手にするのに、何十年も使ってきた刀のように手に馴染む。

 黒羽は深く頷くと、彩希に力強く言った。

「行くぞ。代弁者を倒して、とっとと祭りの準備だ」

「はーい。マスターは、人使い、いいえ、ドラゴン使いが荒いですこと」

「悪かったって。ちゃんと埋め合わせはするよ」

 黒羽は彩希に笑いかけ、さて、と意識を完全に切り替えた。

 水面から水をすくい上げるように、ウロボロスを彩希から引き出し、体の隅々まで行き渡らせる。

 力が湧きあがり、体が別のものに変化したと錯覚した。いや、事実魔力で強化した体は別物。その感覚は正しい。

「……ハアアアアアア、ツア」

 気迫を漲らせ、黒羽は代弁者へ迫る。

「ヌウ、二対一ですか。ひどいですね」

「よう、やっと来たかよ」

 代弁者の斬撃を躱したニコロに入れ替わる形で、黒羽は刀を振るう。

「あまーい」

 剣で防がれる。だが、黒羽の表情には余裕があった。

「フ、そんなデカいだけの剣じゃ意味がない」

「おや、その武器は凄いものみたいですね。まあ、トカゲが上等なものになっただけ。我々の武器には到底及ばない」

「ハハハ」

 黒羽はニヤリと笑うと、

「その曇った目じゃ、目利きは無理だ」

 と言い放った。

「フン」

 黒羽は、両手に力を込める。

 対する代弁者は鼻で笑い、ウロボロスの濃度を高めて押しつぶしにかかる。だが、違和感があった。

「何です?」

 代弁者は違和感の正体に気付く。全長五メートル、重量数十トンもある鉄の塊が、徐々に切り裂かれていることに。

「チェゥストー」

 黒羽は空気を薙ぐように刀を振り切る。それだけで巨大な剣は、ただの邪魔なガラクタになった。

 およそ人らしくない代弁者の顔に、はじめて人間らしい焦りの色が見えた。

「何という武器なんでしょうか」

 代弁者は全力で離れ、岩を拾って投げ、木をもいで投げた。

 隕石が真横から降るように、全ての生物にとって絶望の暴力が黒羽達に襲い掛かる。

「おい、逃げるぞ」

「ニコロ、動くな。俺の後ろに」

 黒羽は正眼に構える。奇しくも代弁者とニコロは、二人して同じことを考えた。何を馬鹿なことを、と。だが、喫茶店のマスターと従業員は、一笑に付す。

「力でどうにかなるものか」

 真横から降る隕石が冗談ならば、これは一体何と表現すべきだろう。

 轟音を響かせ殺到する岩と木を、黒羽はその手に持つ美しき刀で両断した。それも、薄い用紙を鋭いナイフで切るような呆気なさでだ。

「なあ! そんな馬鹿な……」

 代弁者は汗にまみれた顔を、ぐしゃぐしゃに歪め、手当たり次第投げ飛ばしてきた。

 黒羽はそれらをやすやすと切り飛ばしながら、ニコロに問う。

「ニコロ、お前アイツをどうしたい?」

「あ?」

「殺したいのか。生きて罪を償わせたいのか。どっちだ?」

 答えるまでもない、とニコロは思った。

 殺したいに決まっている。それを生きがいにこれまでの人生を歩んできた。だが、

「親父……」

 槍から零れ出るウロボロスに、答えが書かれている気がして、ニコロは視線を下に落とす。 

 濃い茶色は、何をするでもなく、槍とニコロを包むように漂っている。

「あ……」

 ――ふいに過去の記憶が飛来した。


「人の世のことは分からん。しかしな、命が大事なのは種族に関係なく同じだ。なぜなら、生き物は生きる事が使命だ。生きているだけで、生き物としての責務を果たしているのだ。だから、お前も命を慈しめ。我が息子よ」


 命を慈しめ。人の世に出て、それはひどく滑稽なセリフのように感じていた。

「親父。あんたは自分の命を奪ったヤツでも、殺しては駄目だっていうかい?」

 問いかけても、答えはなく、風がニコロの前髪を撫でた。

 分かっている。答えなど、すでに持っている。

「……秋仁、アイツは捕獲しよう。これまでの罪を告白させて、他に協力者がいなかったか調べてもらおうとする。その方が、この国のためだし、親父も喜びそうだしよ。それに」

 ――これからもお前らに、真っすぐな瞳を向けて会話したいしよ。

「ニコロ?」

「いや、何でもねえ。秋仁、彩希ちゃん。協力してくれるか? 狂った野郎を無力化して、キースに引き渡す」

 黒羽は、一際大きな岩を切り裂くと、顔を後ろに向けた。

「もちろん協力するさ。だって俺達は」

「友達、でしょう」

 三人は、声を上げて笑った。気恥ずかしくて。でも、嬉しくて。

 代弁者は、そんな一同を見て、汗だくの顔で叫んだ。あらゆる色のウロボロスが、放出され、余すことなく代弁者はそれらを体内に吸い込む。

「あああああ、イラつきますねえ。人とドラゴンが絆を結ぶなど、吐き気がします。死んでくれよオオオオオオオ」

 代弁者は、木を引き抜くと水平に薙ぎ払った。

 その攻撃は、例えるならば轟音鳴り響く、巨人の一撃。

 ――ならば、黒羽の一撃は、精密なる神の御業か。

 刀を音もなく振るい、木を両断する。少し刀が当たる角度がずれれば、いかに聖剣といえど、きちんと木を切れずに肉片となっていただろう。

「ニコロ、行ってこい」

 黒羽は石を拾うと、代弁者の手に的確に命中させた。

「グウ」

 ニコロは槍を握りしめ、代弁者へと近づく。

 ウロボロスによって強化された肉体は、まるで銃弾のよう。あっという間に、槍の攻撃範囲に代弁者が収まる。

「我々の敵に回るなど何事だ。同志でしょうが」

「さみー冗談だぜ、ウオワ!」

 代弁者は自らニコロに接近すると、肩から彼にぶつかった。崩れる姿勢。代弁者の拳がニコロに迫る。

「しまっ!」

「やらせん〈炎よ、爆ぜろ〉」

 爆音響かせて、剣が代弁者の腕を切り裂く。

「キース」

「相変わらず、詰めが甘い」

「わりぃな。今度、おごるぜ。……テメェら、ありがとな」

 ニコロはこの場の友人全てに感謝をしながら、槍を突き出した。

「ウゥ」

 深々と槍は代弁者の肩を貫く。迸る鮮血が、土に染み込む。

「これからお前は、沢山の人を不幸に陥れた責任を果たす日々を過ごすんだぜ」

「責任? 言っていることが分かりません。あなた方は大罪人だ。人がドラゴンに蹂躙される世界を良しとしてしまった。責任を果たすべきは貴様らだ」

 叫ぶ代弁者を、ニコロは力の限り殴りつけた。

「ア!」

 ボールのように飛んで、代弁者は意識を失う。

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