第24話 第七章 悪意の寝床⑤

 黒羽達が地下道に入って、一時間は経過した。

「けっこう、広いな」

 靴と地面がぶつかるたびに鳴る音だけが、この場所における唯一のBGM。いい加減、寂しいものを感じ、黒羽は言葉を発した。

「そうね。かび臭いし、湿気のせいでべたつくし、最悪だわ」

 彩希はタオルで汗を拭き、人差し指で壁を忌々しそうにつついた。

(さっきの場所から直進したから……)

 黒羽がしきりにペンを走らせ、地図を作成しているので、道に迷う心配はない。けれども、代弁者が罠を仕掛けていないだろうか、とそれだけが気がかりでならない。

「こんなことなら、水をもっと持ってくるべきだったな」

「本当よ。探索がこれ以上長引くようなら、一度引き返しましょう」

「ああ……、いや、どうやらそうはいかないみたいだぞ」

 角を曲がった時、真上から光が降り注いでいる場所が五十メートル前方に見えた。黒羽がその場所を指差すと、彩希が嫌そうに顔をゆがめた。

「一度戻りたかった。まあ、いいわ。こんな場所にいるのも、私が苛立っているのも、全て代弁者が悪いわ。ここで、終わらせる」

「よし、ここからは戦闘態勢だ。彩希、武器に変化しといてくれ」

 彩希は頷き、取り回しがしやすいようにナイフへ変化した。軽く振って、調子を確かめた黒羽は、ペンライトの明かりを消して忍び足で進む。

 一歩一歩地面を確かめるように歩き、時間をかけて光が漏れ出る場所に到着する。天井はグレーチング――金属を格子状に組んだもの――によって閉ざされており、格子状の穴からは岩の壁が見えた。

「コレって、始まりの世界の地面でよく見かけるヤツよね」

「地面って……ああ、そうだよ。排水路の蓋とかでよく見かけるな」

「誰かいる気配はあるかしら?」

「いや、そんな感じはしないな。でも、トラップはあるかもしれないから、お前もそのつもりで頼む」

「分かったわ」

 黒羽はナイフを構え、天井を開き、室内へと侵入する。

 ――トラップはなかった。だが、鼻を刺激する異臭と、目に飛び込んできた光景に、黒羽は吐き気を堪えることができなかった。

「おええええ」

「秋仁、大丈夫?」

「ゲホ、ここは何だ?」

 人に戻った彩希は、黒羽の背中をさすりながら、周りを確認した。

 彼が吐いたのも無理はない。淡く輝く光源石が照らす室内は、天井も壁も床も薄汚れた石で覆われており、さながら監獄のよう。いや、監獄そのものだ。

 なぜなら、

「人が沢山囚われて、殺されている」

 壁に鎖で繋がれた人々が、息絶えている。体は痩せぼそり、中には全身が切り傷だらけになった遺体もあり痛々しい。

 けれども、奇妙なことに、全ての遺体は心地良さそうな表情で亡くなっている。体に残された壮絶な経験と、表情の不一致さが、何とも言えない不気味さを感じさせる。

「秋仁、たぶんだけど、バーラスカの実験場ではないかしら」

「バーラスカだって。あ、そういえば強烈な快感を味わえるってニコロが話していたな。……代弁者。目的は分からないが、人としてヤツの行いは最低だ」

「おや、それは残念な言われよう」

 振り向くと、奥の通路から歓喜の表情を張り付かた男が、体を揺らし立っている。

「代弁者!」

「いけないな。いくら仲間になりたいからといって、無断で他人の家に入るのはマナー違反ですよ。ええ、ええ、でも許しましょう。当然です。レーサさんの言う通り。これくらいのことで怒るなど、輝かしい人としてあってはならないことです」

「黙りなさい! 誰に話をしているの」

「誰? ほら、そこにいるではありませんか」

 代弁者は、独特なリズムで足を動かし、遺体の近くで座った。

「この方は、マナさん。美しい女性でしょう。我々の考えを理解してくださった方で、涙を流しながら、ぜひバーラスカの研究に参加したいとおっしゃってくれたのですよ。最近は、ちょっとお疲れのようでしたので、休みなさいと言っているのですが、なかなか聞かなくて困りものですね」

 黒羽は、彩希は、身動きが取れなかった。代弁者は、次々と遺体に近寄っていき、何かを話しているが、痺れた頭では言葉が正常に認識されない。

 胃から食べ物が逆流し、吐きそうになるのを堪えるだけで精いっぱいだった。

「おや、どうしました? そんなに汗をかいて。プリウ周辺は、それなりに暑いですからね。倒れないように、しっかりと、注意した方がよろしいですよ」

「だ、黙れ! 黙れよ」

 彩希の静止を振りきり、黒羽は駆け出した。

 ――胸が嫌悪と悲しみで張り裂けそうだ。未だかつて、これほど許せないと思った相手はいない。不快でたまらず、怒りを拳に込めて代弁者を殴った。

「おっと、痛いですね。おや、歯が折れてしまいました。残念。食べ物が食べにくくなりましたよ。ああ、でもあれですね。柔らかい食べ物を食べれば良いので、さすがヨムアさん、ナイス判断です」

「人の命を何だと思ってる! 玩具じゃないんだぞ」

「玩具だと! 貴様、失礼だぞ」

 唐突なる代弁者の怒り。あまりの落差に、黒羽は戸惑いを隠せず、尻餅をつく。

「良いですか。人は、清く素晴らしい生き物です。この世界で最も神に近い存在だ。人は、愛をその身に宿して生まれた清いものだ。それを玩具など、人を馬鹿にするのも大概になさい。まったく、このような方には正しい知識を授けなくては」

 わけがわからない。それだけが、黒羽の心を占めた。ただ、このあとどうすべきか。それははっきりとしている。悲しみの連鎖がこれ以上広がる前に、一人の人間としてここで何としても止めなければならない。

「彩希」

「ええ、行くわよ」

 彩希が黒羽へと近寄り、刀へと変化した。直後、黒羽の全身から眩く気高い、白きウロボロスが溢れ出した。

「ほう、コレは素晴らしい。やはり、あなたはバーラスカを使用せずとも、ウロボロスを操れるようだ。興味深い。そして、そこの女性はドラゴン。それも、白き魔力を宿す者ですか」

 これ以上、ヤツの言葉で鼓膜を震わせるのは不快だ。無駄なく、速やかに黒羽は刀を振り下ろす。しかし、代弁者は半身になって躱すと、猛烈な蹴りを放った。

「ぐう」

 後方の壁へ叩きつけられた黒羽を、好奇心と狂気で歪む瞳で射抜く。狂人は歓喜し、地面を強く踏みしめた。と、その部分が下に数センチ沈み、壁から矢が発射される。躱す余裕などなく、黒羽の肩に矢は深々と突き刺さった。

「が! クソ」

「秋仁!」

 膝をつき、黒羽は地面へと倒れ伏す。体に力が入らず、意識が徐々に遠のくのを感じる。

 彩希は人に戻り、代弁者と対峙した。

「何をした!」

「毒ですよ。矢の先端に、私が独自に調合した毒を縫ってまして、よく効くんですよ。あなたのようにドラゴンには効果がありませんが。いかにウロボロスを使用しているとはいえ、毒の耐性が高まるわけではありませんからね。彼には効くんですよ。でも、ご安心を。しばらく動けなくなるだけです」

 彩希は懸命に黒羽の名を呼び、体を揺らしたが、まるで反応がない。心臓に耳を当てて、生きていることを確認すると、彼女は代弁者を鋭く睨む。

「その様子だと、私がドラゴンだと前から知っているようね」

「ええ、よく知っていますよ。あなたの名は、サンクトゥス。我々”聖なる人々”の聖書に、載っている有名な竜ですから」

「え?」

 彩希は目を見開く。

 岩で頭を殴られたかのような感覚がした。と、同時に、過去の忌々しい記憶が、当時の鮮明さを伴なって思い出される。

 動機が速まり、冷や汗が止めどなく溢れては、服を湿らせてゆく。

「おやおや、知らなかったとでも? 白きウロボロスに、変身能力を持つドラゴン。アグヌスデイ、今はカリムと名乗っているあのドラゴンの妹さんでしょう」

「聖なる人々ですって? あの邪教は遠い昔に滅びたはずよ」

「滅びた? おかしなことをおっしゃいますね。覚醒者から始まりし、我々の教えは、今もこうして失われずにあります。あなたが悪しきドラゴンではなく、人であったならば、耳を澄ませば彼の者の偉大なる声が聞こえるはずなんですが、おしいですね、残念ですね、可哀そうですね」

 冷静に、冷静に。彩希は己に言い聞かせた。今は逃げるのが先決だ。過去にこだわって全滅するのだけは、避けなければならない。

 黒羽を地面に寝かせると、彩希は拳を握り、構えた。

「おやおや? やる気ですか。愚かですね。我々に敵うはずなどないのに」

「我々って、あなたはボッチでしょうに。友達がいなくて可哀そうね」

「悲しいですね。所詮トカゲ如きでは、我々の意思を認知できませんか。ほら、モッラさんが怒ってますよ。分からないトカゲは、早く武器の材料しなければってねええええええええええ」

 無造作に飛び込んでくる代弁者の腹に、彩希は前蹴りを放つ。足から伝わる確かな感触。

 ――吹き飛ぶ。

 そう確信したが、実際は、

「痛くも痒くもありませんよ。ベロベロバア、アハハハ」

 効果はない。逆に足を掴まれ、床、壁、テーブルに次々とぶつけられてしまう。

「ガア」

 遠のく意識、流れ出る血。ウロボロスにより強化されたはずの肉体が、紙くずになってしまったような頼りなさを感じた。

「さあ、もういいでしょう」

 放り投げられて、二、三度バウンドした後、地面へと転がった。全身から伝わる痛みのシグナルが、かなりのダメージを負ったことを伝え、このままではと絶望的な気分が彩希の心を蝕む。

 どうにかしなければ。足掻く彼女に近づいた代弁者は、鳩尾を蹴り飛ばして、意識を絶つ。

 楽しげに、愉快気に、まるで小さな子供のように無邪気な様子で、黒羽と彩希を交互に見やると、手を叩き、飛び跳ねた。

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