放射、あるいは百足の不可視の毒

 三箇所目、最後の切断面の処置をしていると、セラススが子供たちとともに昼食を持って来た。


 「ありがとう、セラスス。だがもう終わるみたいだ」とギレニアが言う。


 「あら、そうなんですか?でもせっかくの良いお天気ですし、皆で外で食べましょうよ。ねぇ、ロバータさん!」


 水虫薬の軟膏を落としそうになった。急にボールが来たから……。


 「え?ええ、そうですね。本当に良い天気だ。ですが皆さんでお決めください。私のことはお気遣いなく。」


 俺はハハハと曖昧な笑いで答えた。


 弁当の中身は握り飯に漬物、卵焼きにソーセージ。相変わらず美味い飯だった。


 「ロバータ、これで木の修理は終わりなのか?」

 

 「そうです。あくまでも今日のところは、ですが。念のため、明日以降もしばらくは薬を塗り続けましょう。」


 「そうか。では食事が終わったら、研究所に行くとしよう。さっき連絡が入ってな、『人間に放射線を当てたがってる奴がいる』と伝えたら、大喜びで会いたがってたぞ。」


♧ ♧ ♧


 オリーブグリーンの電気自動車で研究所へ向かう。ギレニアが運転し、ピッコニアとセラススも同行した。


 村の公共施設・研究所はあくまで公共施設であって公共機関ではない、つまりそこは職員が研究に従事する施設ではない。村の物好き達が純粋に知的好奇心面白がって悪ふざけで研究・開発する施設であり、その結果できてしまった危険物ヤバいオモチャの隔離施設でもある。


 車を降りると、研究所の中から扉を吹き飛ばさんばかりに蹴り開け、矢のような勢いで女が走り出てきた。


 「あんた、あんたがロバータ!?ヒトに、それもよりによってウチの可愛いセラススちゃんに放射線浴びせようって最高にクールなイカれたこと言ってるヤツは!?しかも三十グレイって!じゃない!」


 俺の肩を掴み、で女が捲し立てる。ここへ来る車の中でギレニアに聞いた情報によれは、彼女の名はオレア。ピッコニアの母、つまりセラススの義母にして研究所の常連客マッド・サイエンティストだ。


 「えっと、初めまして。別にセラススさんを殺そうってわけじゃなく、私のいた所じゃ普通の治りょ……」


 「いやいやいやいや外から来ただか何だか知ら無いけど、良いわねイキが良くて!ヒトを殺そうって実験なんてなかなか言い出せ無いわよ!中々ホネがあるじゃないの、感心感心。うちの息子バカにも見習わせたいわぁ。」


 俺は天を仰いだ。天井の染みが文字になっていたが、読み飛ばしても良いと思う。

『一度に全身くまなく五グレイ浴びた場合、五シーベルトに等しい。消化管出血で五十パーセントの確率で死ぬ。部分的な被爆なら臓器によっては六十グレイくらいいける。』

 俺、患部の胸にしか当て無いし。十回に分けて照射するし。患者死なないし。


 「きっと私のクルックス管も、あなたに使われるために出来上がったんだわ……。」


 恍惚とした表情で意味不明なことを言いながら、コツリコツリとオレアは歩く。


 クルックス管、かのレントゲンにX線を発見させた偉大な装置。妻を言いくるめて彼女の手を撮影したレントゲンは、映し出された骨を目にしたとき一体なにを思ったのだろうか。


 オレアは一つの扉の前で立ち止まり俺に笑みを向けた。ドアノブに手をかけ、扉を開ける。


 「さぁ、ご覧なさい――。」


 それはクルックス管と呼ぶにはあまりに異質だった。ひたすらに長い強化ガラス製の本体に、隙間を空けて巻き付けられた金属板、そこから伸びる電極。ガラスと異なる光沢で縞模様を描く金属の配列は、まるで節足動物の纏う甲冑のようでもあり。例えるならそれは毒虫、巨大な百足ムカデ


 「これが多段加速により八百万ボルトの高エネルギー電子線を実現した改良版クルックス管、その名も百足型放電管ミル・パット=クルックス八百万ヤオヨロズよ!」


 驚いた、ただの直線加速器リニアックだ。


 ♧ ♧ ♧


 驚いたのは良い意味で、だ。放射線の単位も発生装置も自分が知っているものが使える。これは僥倖だ。イデアよありがとう、ご都合主義万歳。それにしても『良い意味で』と枕詞をつけておけば、大抵のことが許される気がする今日この頃。


 回転陽極と遮蔽板といったオプションを依頼してみると、皆して寄って集って嬉々として一時間程度で作ってくれた。可動式ベッドを作るのは面倒なので、椅子と分厚いブラジャー樹脂製乳房固定具・兼ボーラスで強行する。……どうもこの話には無視スルー可能な細かすぎる設定が多すぎる。


 ♧ ♧ ♧


 「明日の朝日を拝める保障なんてどこにもないのよ?そんな未来のことより今を楽しまなくっちゃ。」


 いきなり今日照射するつもりはなかったのだが、やる気に満ち満ちたオレアを止めることができず、今日から治療を開始することになった。フットワークが軽すぎる。とはいえ実際、初めての放射線治療もレントゲンの発見の三カ月後だったそうだ。フットワークが軽すぎる。


 三グレイなら三分だということなので、肺を避けるように左右から一分半ずつ照射。少し少ないが、緩和だし良いだろう。無理は禁物。


 「ちゃんと一分半で止めるんですよ!?」


 「分かってるよ、任せときなァ!」


 オレアがノリノリで百足型放電管ミル・パット=クルックス八百万ヤオヨロズのスタートボタンを押す。ヒャッハーじゃない。義理の娘に何やってんだ。


  一回目の照射が終わり、椅子に座るセラススに声をかける。


 「あれ、もう終わったんですか?」


 「いや、半分です。反対側からもやりますんで。」


 「どうだった?どうだった!?チェレンコフ光見えた!?」


 「いえ、特に何も感じませんでしたよ?」


 なんだぁつまんない、と言うオレアを引っ剥がし、椅子を百八〇度回転させて二回目の照射。一日目の治療があっさりと終わった。


 「何にも起きなかったわね……。」


 「良かったじゃないですか。」


 オレアに別れを告げ、研究所を後にした。ギレニアの家に帰り、風呂と食事をもらい、部屋をひとつ貸してもらった。柔らかなベッドだった。


 横になると、あっという間に眠りに落ちた。鋭い刃物で脳を左右に分断されるかのような、暴力的で唐突な眠りだった。


 とにかく長い一日だった。


 ♧ ♧ ♧


 夢の中で、何かが蠢いていた。薄闇の中、痩せた枝豆のようなものから何かが伸び、それが俺に触れ……。そこで俺の意識は途絶えた。夢の中だというのに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る